2014年2月23日日曜日

「福島」と「フクシマ」

災後、時々「フクシマ」という書き方をする。あえて「フクシマ」と書く。
福島ではなくて。

福島は県名であり、地名である。「フクシマ」は、原発事故がもたらした、その後のさまざまな事象、多くの避難者を出しながらもなも且つ「その動き」を止めようとしない国、事故によって人生を、生活を根っこから変えられて人達の“日常”。未だ解決の糸口も見つけられない1Fの現場。賠償金、補償金をめぐる時には醜くも見える人の動き。

それらの事象の、原発をめぐる社会システムの、そこに日本という国の縮図があるから、敢えて「フクシマ」と書く時がある。

フクシマとカタカナ表記されることを嫌う人たちが多い。県民には。それは特にネット上でカタカナ表記することによってこの地を揶揄し、貶す人達の言辞が流布されていたことも大きい。
マスコミも時には無意識のように、悪意は無くともカタカナ表記をする。

福島かフクシマか。

福島市生まれで川内村に住んでいた作家の鐸木能光氏が書いた本の題名は「裸のフクシマ」だった。彼はカタカナを敢えて使うことに確固たる思想を持っていたから。嫌がられることを承知の上で表記を使った。
社会学者の開沼博も“「フクシマ」論”と題した本を書いた。ゲンシリョクムラはなぜ生まれたか、そういう副題を添えて。彼も福島県出身者。

俳人、金子兜太。94歳。自らを「荒凡夫」と称する。父親の感化もあり若い頃から俳諧の道へ進み、大学を出て日銀に就職。やがて戦争で召集。南洋の島でも句を詠んでいた。生きて帰国。日銀に復職。その権威的な体質の日銀、権力を求める日銀マン。それに反抗する。

福島支店に転勤する。福島を好んでいたが、数年で転勤、長崎へ。

過日、兜太は福島を訪れた。福島西高校の先生と俳句を通じてのよしみがあったから。その先生はたしか吉田先生だったと思う。兜太の前で、先生は黒板に句を書いた。

ひとりひとり フクシマを負い卒業す

その句を見て、噛みしめるように、目を閉じて兜太は言う。
「福島は綺麗なところだった。でも、それが消えようとしている。フクシマとされている・・・。そういうことなんだよな」と。

フクシマと書いた先生の気持ちは、フクシマが福島に戻ることを願っての句ではなかったのか。そんな風に受け取った。

兜太は東日本大震災、特に津波で多くの人が一瞬のうちに亡くなったことへの思いは尋常では無い。戦地で人の死を、非業の死と見てきたからだろう。こころの傷を持ち続けているからだろう。

津波に呑まれた町で、捜索隊が一軒の倒壊した家屋の中から人の声が聞こえる。見つけ出すと、わずかな空間の中に年取った、身体の不自由な祖母と高校生の男の孫がいた。二人は無事救出された。そのことを句に切り取る。

津波のあと 老女生きてあり 死なぬ

災後、兜太の作風も変わったともいう。

「フクシマ」という表記方法はあってもいいと思う。それが訴求力を増す場合もある。

身勝手な“言論”がまかり通っている昨今。言葉が軽々しくなっている昨今。考え抜かれた上での「フクシマ」が、“自由”であることを・・・。それが言葉の重みなのかもと。

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