先月、郡山のユラックス熱海という施設の大ホールでコンサートがあった。
Soul Japan 鎮魂の響き。和楽の第一人者による演奏会。
企画して実行した人は佐藤三郎さんという。多分75歳。逸話の持ち主だ。
若いころ、友人とアメリカ本土やハワイに行き、そこでたまたま出会ったのが「ウッドストック」。刺激を受けた彼はそれを日本でもやろうと決意した。
どういう経緯や伝手をたどったのかは知らない。昭和が終わる前に、郡山の陸上競技場で「ワン・ステップ・フェスティバル」という野外ロックコンサートを実現させた。名立たるミュージシャンが、それこそ小野ヨーコを筆頭に。
その時、郡山は、音楽で炸裂していたという。
仲間も含め私財をなげうってのイベントだった。
その後、彼は「おにぎりおじさん」に“変身”する。
自作の「おにぎりの歌」、親子の愛情、家族の絆、自然への感謝。ギター片手にどこにでも出掛け、「おにぎりの歌」を歌い続けていた。2,000回の及んだという。
その彼が、またもやってくれた。
去年の3月11日。東京の紀尾井町ホールに超一流の日本音楽の演奏家が集まり、東日本大震災で亡くなられた人の魂を鎮め、慰めるコンサートがあった。それに彼は行っていた。そして、それを郡山で再演したいと思った。そして実行してしまった。
鎮魂の響き 祈りのうた。
人間国宝の尺八奏者から、見たことも無い30弦の琴、琉球筝まで。演奏者は14人。それを企画・構成したのは福島生まれの小島美子さんという日本音楽の学者。
魂なんてものを持ちあわせているつもりはないが、もし、それが、あるとするならば、鷲づかみにされたような演奏であり、歌い続けられていた祈りのうたの詩に打たれたということか。
歌を書いたのは岡野弘彦。折口信夫と親交があり、天皇家の和歌進講役も務める人。一昨年3月11日に発刊された歌集「美しく愛しき日本」にある歌だという。
この詩を、歌詞を、和楽者たちのことを書きたかった。でも、なぜか書けずにいた。重かったからだろうか。
今日は今のところ春を思わせるような気候。思い切って詩の一部を、ひたぶる書き写してみる・・・。
豊穣の海より来たり わが幸のなべてを奪ひ 去りゆきし魔(もの)
わたつみの沖より迫る凶(まが)つ神
雄叫びあげて 陸(くが)を責めくる 子も親もいづくにゆきたる
海原の水逆まきて 家並を呑む 身にせまる津波告ぐる声
乱れざるまま をとめかへらず
山は裂け 海や死にする 人や死にする
死すれこそ 人は祈りて ひたぶるに往く
墳りひたすら耐えてゐる夜半(よは)も 命絶えゆく牛馬の声
亡き人をなげく夜毎に 橋の花香(はなが)くるしく われを責めくる
夕かげに ほのかに笑みて去りゆけり この世にあらぬ妻のたましひ
この演奏会は録音、録画禁止。CDももちろん売られて無かった。
あの音色は、歌声は、記憶の中にしかない。
記録として残されていない一つのコンサートのこと。
2014年2月3日月曜日
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