浅田真央が会心の演技をし、見ている人の多くの涙を誘った。その華麗な舞に酔った。それを可能にしたのは、本人も言っている。佐藤信夫コーチの言葉があったからだ。
前日のショートプログラムでの「失敗」。それを引きずっている浅田。コーチが叱っても浅田は覚醒しなかった。選手村に戻る前、佐藤コーチは静かに語りかけたという。
「昔、自分が指導していた選手がフリーの前に風邪をひいてぎりぎりの状態だった。“ぶっ倒れたら周りに叱られても必ずリンクの中まで助けに行く。倒れるまでやれ”。そう送りだした結果、会心の演技で総合8位に入った」。やさしくそのことを浅田に伝えた。そして言った。「何かあれば先生が助けにいくよ」。浅田は黙って聞きながら思ったという。
「私は何も病気でもないのに、出来ないということは絶対ない」と。自分を取り戻して少し寝て、食べて、励ましのメールを見て滑走に臨んだという。
呪縛から解放されたように、浅田は舞った。彼女にしか出来ない演技を披露した。
いつもリンクの脇で見つめる佐藤信夫コーチの柔和な姿が好きだ。みているだけだが。練習中は叱り怒り続ける時もあるという。
佐藤信夫さん、72歳。コーチとして円熟を極めた人は、その時、どういう言葉をかけるのか、それを「知っていた」人なんだろう。リンクでもどこでも主役はもちろん選手だ。しかし、その脇には選手を主役たらせる脇役がいる。
選手とコーチとサポート体制。それらが一体となって結果が出る。
背中をポンと叩いて送りだす「おまじない」だってそうかもしれない。
浅田をして後世に残る演技を、伝説を成し遂げさせたには佐藤コーチの言葉。
「言葉の力」だったと。
3・11後、何回も「言葉の力」について書いた。あの時、どういう言葉が発せられていたか。「頑張ろう」。
国や県のリーダーからは「力」を貰う言葉は一切発せられなかった。狼狽ぶりしか感じられなかった。「指針」を持たない多くの民は、それに失望し、それが今でも尾を引いている。
言葉の力を求める人たちは、絶叫する詩人の言葉にすがり、やがてその無意味さを知る。古人の言葉に救いを求めた。それとても奮い起こすものではなかった。
寄り添うだの、なんだの、“偽善”に満ちた言葉の翻弄された人とて多い。
コーチとは決して技術の指導者だけではない。心の支えであるということ。
昨日、縁あって一本のドキュメンタリー映画を観た。「ぼくのうしろに道は出来る」。脳幹障害を患い、“植物人間”とされた一人の人を回復への道に向かわせる人と人との“物語”。
“主役”は「言葉」だった。毎日のように、医者には意識障害でなんの判断能力も無いと烙印を押されて人を意志の疎通が出来る人間に回復させる。それは毎日話し掛けること。やさしく話し掛けること。患者の人格を認めて。
その映画でも「言葉の力」をあらためて知った。目で字を追いながら、話しかける言葉一語一語にうなずきで返すことの繰り返し。患者は「覚醒」していったという実話。
言葉が生命力を持っているということ。
どっかでは、いぎたない言葉や無責任な言葉が飛び交い、言葉はまさに世相の反映の如く「大量消費」されている。それを追及されると前言を翻し、釈明、言い訳け、取り消しに走る。いったん発せられて言葉はいとも簡単に保身のために「ゴミ箱」に投げ入れられるかのよう。
「初めに言葉ありき」だ。神が人間に授けたものは言葉なのだ。火を授けられてのは悪魔の仕業なのだ。プロメテウスと言う。
民を安堵させる言葉を持たない政治家。
浅田真央とともにあった佐藤コーチに拍手を送る。感動を与えてくれた原動力となったその言葉にも。
人は、言葉によって蘇ることが出来るということ。多くは語るまい。そのことだけをこころにとどめる。
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