2014年2月5日水曜日

官僚と民主主義と

日本は民主主義の国です。では、民主主義とは何かと聞かれた時、どういう風に答えますか・・・。

民主主義の「手段」の一つが議会制民主主義。つまり選挙。それは多数決原理であり、少数意見の尊重とされている。
国でも地方でも議会議員は選挙で選ぶ。それをして民意の反映という。だから国会は国権の最高機関だという。
だから民意が変われば政権も替わる。つまり選挙で、総理大臣といえども、最高権力者といえども替えることが出来る。
制度や理屈の上ではそうなる。

国会は立法府である。しかし、議員立法などはほとんどなく、(小沢はそれを禁止したし)、行政府、内閣が出してきた法案を審議するだけだ。

民主主義は憲法を始め、法律によって支えられている。とも言える。
法律に定められたことを順守するのが国民の義務だと。

民主主義ってなんだろう・・・。考え直す時期にきているのかもしれない。

昨日の国会。また安倍が吠えた。改憲をめぐって。96条の改正をめぐって。
彼の一語は、民主主義の“否定”だと思う。

「国会議員のたった三分の一の勢力で、国民の6,7割が望んでいたとしても、拒否してしまうのが果たしていいのか」。

たった三分の一。たった。独裁ってこういう発想なんだろうな。
3分の一の国会議員。それは3分の一の国民の選択。

彼の事を語るのは本当に疲れる。

自民党には「党内民主主義」という発想が伝統としてある。

自民党の中の最高意思決定機関は総務会という組織だ。
そこでは滅多に強行採決をしない。

熟議を重ねたり、説得したり、議論を重ねたり、時には「根回し」をしたり、恫喝をしてみたり。いろいろあるけど、最後は会長一任とか、満場一致とか、合意の道を探る。
党内民主主義はあるのに、国会では無い。


法律を作るのは誰か。作ってきたのは誰か。官僚だ。官僚は自らが都合のいいように法律を作り、法律を解釈する。

国家という統治機構は官僚によって成り立っている。その官僚機構を作り上げ、”成熟“した統治機構にしたのは、明治維新だ。明治維新が日本に官僚という「特権階級」を輩出した。

民主主義と民意。民意は、選挙と言う手段で政治家を選べることが出来る。しかし、民意は官僚には及ばない。
官僚をクビにしたり、任免することは出来ない。

官僚に「民意」を反映させる方法は無い。
日本の民主主義とはオカシナものだと思えてくる。

だから官僚は思いのままの国家観をもとに、保身のために、つまり省益、自分の利益、出世。そのためにさまざま細工を企てる。

政治家の顔色を伺いながら、内心は「バカ」にしながら、政治家をうまく利用する。政治家は官僚無くしては何も出来ない。
自民党の中の政務調査会。それは官僚機構を党内に持ち込んだもの。

その中にあっては、民主主義の“基本”である民意は都合よく「もてあそばれる」だけ。

一つの好例が、津波の被害にあった地域への防潮堤問題。それを一例にした、巨大公共工事プロジェクトクトの数々。

防潮堤は住民からの要望だといい、住民は異を唱える。県や町は、そのはざまで戸惑う。
住民合意という“民主主義”はそこには無い。押しつけがまかり通る。

巨大防潮堤工事で、得をするのは誰か。

とにかく「復旧」を錦の御旗にカネがつぎ込まれる。それが本当に必要なことなのかどうかは二の次。

もちろん一口で語りきれることではないが。

かつて堺屋太一が良く言っていたこと。”神話“として。
日米安保があるからアメリカは日本を守ってくれる。
官僚は優秀だから、政治家が総理大臣がどんな能力であろうとも日本は安泰だ。

その“思想”はいまだに日本の大きな「空気」として存在している。

それを民主主義として疑わなかった自由民権運動家たち。その一人、浪江の苅宿仲衛。彼の墓は地震で倒壊し、それは今もそのまま倒れていると聞く。

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