歌壇に久々「ホームレス」が登場した。その人が自分の“肩書き”をホームレスと書いているから、それをそのまま継がせてもらう。
途方もなく 空広がりき リュク背負ひ
ホームレスの道踏み出したとき
氏名は宇堂健吉とある。どこの人だかはわからない。ホームレスと書いてあるだけ。住所は無いということなのだろう。
大豪雪をもたらし、多くの被害を与え、今なお残滓が残っているあの雪空。
それは、まるで無かったことのように、きょうの福島の空は青い。本当の空のようだ。青空がひろがっている。途方も無く。
ホームレスへの道を踏み出したのはいつの頃なのかワカラナイ。その時の思い出が途方もない空の広さだったということなのだろう。
途方もないひろい空。それは寄る辺無い身の対象としてあったものか、それとも限りない自由への象徴だったのだろうか・・・。
過日の二度にわたる大雪の時、東京に大雪が降った時、飢えもせずぬくぬくとした場にいながら、東京の代々木公園にいたホームレスのことを思っていた。
あの寒さをどうしのいでいるのだろうかと。
あの頃、たまに東京に戻った時、いや、それ以前もか。犬を連れて必ずのように代々木公園に行っていた。顔見知りというわけでもないが、何回かすれ違うホームレスの人たちと挨拶を交わすようになっていた。彼らは犬を見ると笑顔になり、なにやら餌になるようなものを探してきて、与え、頭を撫でてくれていた。
あの大雪の中、飯舘の太郎こんという繋がれたままの犬を思い、代々木公園のホームレスのおっちゃんのことを思っていた。
数年前か、宮下公園から強制排除されるホームレスのことをテレビのニュースで見ていた。なぜかボクの中には“怒り”があった。
もうどれくらい経つのだろう。“有名”なホームレス歌人がいた。その人の名は公田耕一。それ以外は何もワカラナイ。
最初に知った彼の句。
「(柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ」。
この人は只者ではない。と思った。柔らかい時計とは、ダリの代表作だ。ダリの「記憶の固執」のモチーフ。柔らかい時計は、通常の時計とは進み方が違う。
原発事故後、ビグパレッとが避難所になった時、そこでは炊き出しが行われていた。温かいラーメンの日もあった。カレーの日もあった。知り合いがそのカレーの列に並んでいた。二時間はかからなかっただろうが、一緒に並んで取り留めのない話をしていた・・・。その時、このホームレス歌人の句を思い出していた。その日の空は“広かった”ように記憶している。
失礼な言い方かもしれないが、家を捨てさせられて避難所に押し込められている人。炊き出しに並ぶ人。その人達だって行き場を失ったホームレスじゃないのかと。
公田耕一の句は、歌壇に載った句は、ほとんど、メモにしてとってある。一時は毎週のように載せられていた。どんな歌がくるのか。期待していた。
もう一句。
「パンのみで生きるにあらず配給の パンのみみにて一日生きる」。
避難所で配給される支援物資のパン。それはどうみても固くて常人ではたべられるようなシロモノでは無かった。
公田耕一はある日忽然として消えた。待っていたが帰って来てくれなかった。
歌壇の選者も困惑していたであろう。
きょう、久しぶりにホームレス歌人に会った。でも名前は違っていた。作風も別人だと思えた。
仮設の人たちの中で短歌つくりに勤しむ人たちがかなりいると聞いた。
半ば絶望的な状況になった時、前向きに生きる気持ちを持ちうるかどうかは、「表現する力」を持つことなのかもしれない。そんな勝手な感想を抱きつつ・・・。
2014年2月24日月曜日
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