大震災、原発事故。多くの被災者、避難者。その環境にあった、その環境が整えられるか、整えられない中でも、「炊き出し」が随所で行われていた。
飯舘村でも南相馬から避難してきた人に割烹着姿の人たちが、手にやけどをするような数のお結びを握って配っていた。
なぜ時々飯舘村を引き合いに出すのか。そこにこだわるのか。あの「美しい村」は原発から何らの恩恵を得ずにいたにもかかわらず、多量の放射能汚染という不条理の象徴のような場所であったから。
“被災地”にある割烹着の風景。温かみとほっとした思いに包まれる。
STAP細胞を開発した小保方さんの研究室での割烹着姿が話題に供されていた。
研究者といえば白衣が定番とされているからだろうか。
割烹着姿での研究。制服としての割烹着。日本女子大で始まったことだという。
あまりその姿に昨今お目にかかる機会がないせいか。新鮮に映るのだろう。本人は別に奇をてらっているわけじゃないはずだ。
割烹着、母親の姿も重なる。
大昔、東京の日本橋あたりで始まった割烹料理店。そこの制服だったとも聞いた。
戦時中、出征兵士を見送る母や妻。女性は皆割烹着姿だった。それは「正装」だった。
あの頃、「国防は台所から」。そんなスローガンが定着していた。正装だった。国防婦人会なるものが組織されていた時代。
もちろん国防婦人会は解散してが、割烹着は健在だ。
その機能性は、日本人特有の感性による極めて機能性に富んだものだったから。
銀座のカフェでも割烹着を真似したような衣装がウエイトレスの制服だったしな。
戦後も、皇居の清掃奉仕に行った人達。婦人は皆、割烹着姿だったような。
農作業の時の野良着。野暮な格好ではない。極めて機能性に富んだ着衣だった。
様々な工夫が凝らしてあるし。
野良着と割烹着がある光景。日本の原風景にも思えるし。
今、飲み屋の主流は居酒屋。料理屋を割烹という人は、名付ける店は少ない。
割烹料理屋は高級なお店。普通の勤め人や労働者の行くのは大衆割烹。
たまたま昨夜「割烹」と書かれた看板を見かけたもので。その字を読めなかった人もいたけど。
だからなんだって言われるような、たまには暇ネタでも。
2014年2月6日木曜日
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