舛添要一が新しい都知事になった。投票率46%余りの“民意”で。
投票率が低いのは舛添えのせいではない。都民の民主主義に対する民度。
郡山市長選だってそんなような数字だった。
この事だけを言えば、選挙という一つの手段をもって民主主義を語ることは、もはや、意味をなさないということかもしれない。
全ての候補者に魅力が無かったわけでもない。雪と言う悪天候の影響だって、それは「ためにする」言い訳。
無党派層という人たちで投票した人も舛添支持が多かった。だから、投票率が高かったからと言って他候補が有利だったとは言えない。
なぜ結果として都民は舛添を支持したか。舛添に票を入れたか。根底にあるのは「現状肯定主義」ではないだろうか。
争点では無いといわれながらも原発は争点だった。その原発について升添はこんなことを言っている。積極的再稼働とは言わない。
原発をゼロにすれば経済に支障が出る。今急にゼロにするわけにはいかない。少しずつ原発依存を減らしていけばいい。こんな感覚。
多くの都民の感覚と一致しているのではないだろうか。
福島であれだけの事故があり、多くの人が悲惨な生活を強いられている。それは“特別”な出来事で、これからは無いだろう。そんな自己暗示による安心感。
原発をゼロにする、積極的に脱原発をはかる。海のものとも山のものともつかない自然エネルギー。「とりあえず自分たちが生きているうちは、今の生活を“後退”させたり、不便な生活を強いられるのは嫌だ。とりあえずは今のままがいい」。そんな意識が働いていたのだろう。
これは都民だけではない。国民の中にある「空気」なのだ。厳然と存在する「空気」。
それにしても・・・。
沖縄の名護市長選で辺野古移転反対を言った現市長が当選した。国策に反する選択。その結果に対して、官房長官も自民党の幹事長も「一地方自治体の選挙の結果についてはいちいちコメントしない」と切って捨てていた。
東京だって「一地方自治体」。人口の多さとかなんとかは関係ない。舛添勝利に湧き、積極的にコメントしていた。歓迎、歓迎と。
その“差別”に対して、誰もそのおかしさを指摘しない。舛添は「自民党の歴史的使命や、役割は終わった」と大見得を切って離党した。
昨日の知事選後、真っ先に自民党本部を訪れ、応援への謝意を表し、協力を依頼した。この変わり身の鋭さ。
「今さえよければ、自分さえよければ」。そんな空気が支配している。そんな“民意”が今度の選挙の結果。
もう一つ。民意として出来上がった民主党政権。政権交代。その結果の無様さを皆が覚えている。民意は常に豹変する。
そして今ある民意。「強いもの」への寄りかかり。
表面上、演説にしても、風貌にしても、舛添は強い指導者にうつった。宇都宮、細川は、その訴えの内容よりも、受ける印象。弱々しいという印象。
慎太郎も猪瀬も強い男のイメージ。
なぜ安倍政権が50%の支持率を得ているのか。彼の傲慢さ、強引さが「強い男」に見えるからだろう。
今すぐ原発再稼働、新設はしないだろう。そんな淡い期待。今すぐ戦争はしないだろう。いくらなんだって戦争はしないだろう。そんな平和に慣らされて来た人たちの感覚。積極的平和主義なるものに幻惑されている人達。
「男はね、強いばかりじゃ生きていけない。優しくないと生きていけない」。そんな“価値観”があったバブルの前。その価値観から優しさは排除されてような。
舛添勝利という「味方」を得て、安倍の強権政治はあらゆるところで如何なく発揮されるだろう。
でも、アベノミクスというもので景気は上向いた、成長が見えてきた。「今がよければいいじゃないの」。そんな“価値観”の人がますます安倍を支えるはず。
そして、いくらかの不満は抱きながらも自民党内は安倍になびく。党内から公然と反旗が翻される気配はない。公明党も蜜の味を嘗め尽くす。蜜を求めて、維新、みんなは安倍に擦り寄る。
「安心・安全」への全否定。2年余り前はそんな空気に満ちていたんだけどな・・・。
やはり「とりあえずビール」ってことか。ちょっとした苦みも甘さに変えての。
2014年2月10日月曜日
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