2014年2月18日火曜日

やはり「想定外」が登場した

簡単にひとくくりで言うのもなんだけど、今度の雪による大災害。自衛隊も動いている。懸命の作業が続けられている。国土交通省の道路事務所の職員も、各自治体の職員も。

とにかく一応天候が収まっている間になんとか「救出」の道を付けて欲しいと祈りばかり。

また明日から雪の予報もあり・・・。

例えば、大渋滞を招いた最初の原因はノーマルタイヤの車のせいかもしれない。
人の生き死にに関係してくる事故。やはり行政、国が責めを追うのは致し方ないこと。
対応の遅れというのは厳然としてあった。それを「想定外」という言葉で片付けようとする“言い訳”は納得出来ないのだ。
「想定外」というのは言い逃れであり、自己を正当化するための逃げ道でしかない。その言葉の「あやしさ」は、あの原発事故で経験済みであり、為政者が使ってはならない言葉になったはずなのに。

大昔、40年以上前か。豪雪都市と言われた新潟県長岡市を視察に行ったことがある。街の中心街、中心道路には日本で初めての融雪装置が施されていた。道路の真ん中からスプリンクラーのように水が出てくる。雪が積もらないように。溶かして流す。一口でいうとそういうこと。

豪雪地帯ならではの「知恵」と思った。新潟県は山梨に災害派遣部隊を出した。
そういう備えが常日頃からあったということだろう。

今度の大豪雪、大災害。「異常気象」だという。もはや、たぶん、これは「異常」なのではなく「通常」ということになってきているのではないだろうか。地球規模での。

温暖化が原因だ、大気汚染が原因だとも言われる。たしかにそうだろう。でも、他人事のようなことを言うようだけど、それを受け入れ、そうしたのは全部人類。

あの数メートル先も見えないPM2,5なるものの大気汚染。経済成長を国是としている中国が、工場から吐き出している煙。

原発はクリーンエネルギーだという。化石燃料に頼らなければ大気汚染は防げるという。それは全く次元が異なるエネルギー論議。

論理の飛躍はあるかもしれないが、「成長」を希求する以上、地球規模で“最悪の事態”が来ることは必定なのかもしれない。

これだって「想定内」じゃないのだろうか。

今度の事態で物流は全部ストップした。その影響は全国に及ぶ。ここ郡山だって例外ではない。昨日の卸市場は入荷が無かった。

物流がストップしたことによる「経済的損失」。市民生活への影響も含めて、どれくらいの数字になるか。自動車の生産工場の操業停止になってるということなど含めて。

その損失は、成長率を上回るかもしれないのだ。道路マヒだけじゃない、生活マヒだけじゃない。国の経済がマヒしたことにもなるのだ。

明日から予想される再度の雪。すでにして買占め、買いだめが行われているとも聞く。物流が滞っている中で。

決して豊かな国でなくていい。安心して暮らせる国であって欲しいのだが。

豪雪被害だけを問題にしていてはダメだ。国の在り方、世界の在り方。それを根本的に見直していくための出発点と捉えるべきだ。想像力の世界だ。とりあえず安全な地域に居る人たちへの課題。

除雪車だって、ほとんどの自治体は完備されていない。細い道路は人力以外に方途が無い。

そこでだけは「助け合い」という“アナログ”精神が発揮されている。

いろんな場で、今度の経験を生かさない限り、また同じようなことは起きる。
「想定外」は通用しないのだと。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...