2014年2月26日水曜日

「再稼働」と「避難計画」

安倍政権は、とにかくすべてのことに前のめりになっている安倍政権は、エネルギー基本計画なるものを決めた。
それはイコール「原発再稼働」を進めるということ。原発を重要な電源と位置付けたこと。ベースロード電源なんて、またもや官僚の持ち出した意味不明の言葉で煙に巻くように。

そこには東京電力福島第一発電所における「大爆発事故」のことは”なかったこと“とにした国家形成の野心が存在している。

原発再稼働を推し進めようとしている多くの人達。この国の枢要な地位にいる人達。

原発推進を使命だとさえ思っている自民党の議員は、勝ち誇ったようにさえ見える顔で言う。
原子力規制委員会が厳重にチェックしたものは絶対に安全なのだと。そして付け加える。「避難基準、避難計画が出来上がっているところしか再稼働を認めるはずはないのだから。避難計画が出来ているのだから」と。

どう考えてもここにある「論理的矛盾」。

絶対安全なら事故が起きるわけがないはず。事故の可能性があるから避難基準を作るはず。避難基準があるということは事故の可能性があり、それに備えておかなければならないということ。

避難という言葉があるかぎり、絶対安全は無いと言っていることに等しい。

日本語ではそう解釈されるはず。論理的に言って。

原子力規制委員会という、原子力の“専門家”が、危機管理をも担えるのだろうか。それを判定できるのだろうか。

「万が一のことがあるかもしれないので、避難を想定し、人命に影響が無いようにする」。そうとでも“正直”に言えばまだ”救い“はあるものの。

絶対安全だと言われていた、そう思い込んでいた、思い込まされていた福島原発だってどうにもならないシビアアクシデントに見舞われた。
とりあえず住民は避難したが、関連死を生み、いまだまともな生活を営むことすら出来ない。

事故の総括もなされていない。事故の直接的な原因は地震だ。しかし、それを拡大させてしまったのは誰が考えてもあきらかなように、すべからく「人為的」なものなのだ。

今でも現場では連日のように人為的ミスが連発している。

原発を建設するための専門家は大勢いた。事故後の危機管理や拡大防止が出来る人はいなかった。

関係省庁や電力会社で、その後、そんな人材の育成、発掘につとめた形跡なんてどこにも無い。

再稼働の審査。それはあくまで技術的なものであり、施設が完備されているかどうかだ。

避難のための道路なんて確保もされていない。パニックに陥った時の人間の心理や行動なんて机上では計りえない。

この前の大雪。立ち往生した車。閉じ込められて人達。あのときひたすら願った。地震が来ませんように、富士山が爆発しませんように。と。
逃げようとしても逃げられない。

避難計画が機能するとは全く思えない。

なぜ「再稼働」なのか。経済成長だという。
福島原発建設のために多額のカネが使われ、後処理のために今後どれだけのカネがかかるのか。何十兆円を必要とするのか。

あの時、多くの関係者は、推進してきた官僚は、何かをする「リスク」よりも「何もしないリスク」を選んだ。何もしないことの方が責めを追わないで済むから。

これだって「リスク」をめぐる論理的矛盾の為せる業だ。

安倍が声高に、脅すように言う「経済成長」。早くも国際的にも国内的にも、さまざま“ほころび”が“ひずみ”が、目に留まらないような形で出てきているというのに。

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