2014年2月9日日曜日

「傲慢」さと「謙虚」さと。

きょうも雪がやんだ時間から雪掻き。御近所も。車はやっと出せる状態に。今夜は多分凍る。明日が怖い・・・。

雪掻きをしながら誰も雪を恨まない。自然の為せる業に謙虚であろうとしている。

豪雪地帯はなんとか人為的工夫で豪雪被害を防ごうとしている。

かつて田中角栄が言ったように「三国峠」をダイナマイトでぶっ飛ばせば新潟の豪雪は緩和出来ると言った具合に。

でも雪を恨んだりはしない。

雪はやがて水となり、水と同化して河川に注ぎ、河川の水は海にそそぐ。その自然の循環で人々は生きて来たから。
雪の恵みだって知っているから。

雪掻きをしながらそんなことを思っていた。そして自然への畏敬も。

自然に対する謙虚さ。あらためて学んだのが「3・11」。

人々の暮らしを破壊した大津波。それを時の東京都知事は「天罰だ」と言ってのけた。原発事故させその延長線上に置き、“天罰”が自然とともに生きて来た農民の暮らしを“破壊”したことも他人事としていた。

彼はあまりにも傲慢だった。

その都知事戦。投票率は極めて悪いと伝えられている。それは雪のせいだけなのか。

朝、ちらっと見たテレビ。コメンテーター、政治ジャーナリストなる輩が雪に言及。不要な外出は控えましょうと。外出は出来るだけ控えましょうと。

投票所に行く人、行こうとしている人の気をそぐような全く無意味なコメント。そう感じる。選挙は不要な外出なのかとも言いたくなる。

そして、多分、今夜、投票率の低さを彼らは「正義」として嘆く筈。

これとて“傲慢”だ。


日本は侍の国ではない。常に農民の国だった。
だが、今は違う。
近代文明を日本は崇拝し、世界は私たち人間のために存在すると信じた。
そして原子力を選び、今は扱いきれていない。


映画「無人地帯」にあったナレーション。


日本は侍の国だと信じ、国会議員の3分1を「たった3分1」と言ってのけた安倍。
集団的自衛権をめぐる論議で「もう何回も、何回も、何回も答えたでしょ」と質問を切ってすて、笑みを浮かべ、国会の委員会室を笑いに包んで得意満面の表情だった安倍。
NHK会長の発言、経営委員の発言を「私は聞いていないのだから答えようが無い」とにべも無くあしらった安倍。

傲慢だ。傲慢な政治を是とするやり方。

3分の2の国会議員。それは、選挙と言う民主主義における「一つの民意の手段」で出来上がった数。そこには「捨てられた民意」が半数を占めていたと言うのに。

安倍の顔は最近、とみに傲慢さを増してきていると見える。NHKの会長の顔も素振りも傲慢だった。

あえて一部と言う。一部の傲慢な人間が、その地位に就いて、その権力をなんとしても行使しようという民主主義。欺瞞の民意の拡大解釈。

大阪市長とて同じレベル。

いつの間にか、日本は傲慢な国なった。
いた、傲慢さを許す社会になった。国民がそう望んだからとしか言いようがない。

彼らの傲慢さに辟易としながらも、それを感じ始めながらも、それに対しては謙虚さが求められるというこの国のありよう。

侍の国になってしまったんだな。侍とは本来の意味では無く、まったく違った意味での。
侍とは・・・。

武器を持っていれば使いたがる階層。その武器とは戦争兵機だけとは限らない。


雪中夢のような話だが・・・。

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