2015年4月30日木曜日

「言葉」が意味を為さなくなった世界

おかしな夢を見た。

母親の、ずっとしてなかった墓参に向かおうと郷里にむかう列車に乗った。
列車の中で、記憶が薄らいでいる母親のことを思い出していた。
母親は言っていた。
“あなたには男親が出来るように強い男になる方法、相手を力ずくで屈服させる方法を教えることは出来ない。スポーツが上手くなる方法も教えられない。
だから私はあなたに言葉を教える“。
そう言って母親は毎晩、物語を、言葉を聞かせてくれた。“あなたが字を読めるようになるまではね”と言って。

車中で居眠りをしていたみたいだが、降りるべき駅で目が覚めた。その駅は雰囲気も模様も全く異次元の世界だった。

すれ違う人は皆、アングロサクソンの顔をして、英語をしゃべっていた。改札口では持っていた切符が通用しなかった。改札口で戸惑っていると軍服を着た大きな男たちに囲まれ、連行された。その場には自動翻訳装置があり、それを通して“会話”が出来た。
やがて軍服を着た日本人の女性が、日本語が話せる女性が現れ、こう告げられた。

私たちは日本人です。あなたは旧日本人です。今や日本は生まれ変わりました。
民主主義の国になり、100%近い投票率で選ばれた人達で構成される国に生まれ変わっているのです。

時々、それに不服を唱えるあなた達旧日本人が現れます。旧日本人は隔離され、日本人になりかわれるまでそこで教育を受けなければならないのです。

そして軍用トラックのようなものに乗せられ、高いコンクリートの壁で囲まれた施設に入れられる・・・。そこはまるでカフカの「城」のような光景だった・・・。

夢と書いたが、昨夜寝る前に読んだ本の冒頭の部分だ。言葉が通じない世界に入り込んだ主人公・・・。
この物語の展開はまだわからない。読みながら眠ってしまったからだ。



安倍訪米、日米首脳会談。
「日本を取り戻す」と言い続けて来た彼は、結果、アメリカ追随、同盟強化という名の下のアメリカの属州のようになることを宣言した。
日本である沖縄を見捨て、中国を意識して、アメリカのアジア政策の尖兵となることを誓った。
やがて明らかにされるだろうTPP交渉の結果とて、アメリカのいいなりにほぼなるのだろう。
「日本を取り戻す」。その言葉にはもともと主語が無かった。何処からが無かった。それはアメリカからでは無かったということを証明したに他ならない。

安倍の“詭弁”その一だ。

「福島の再生無くして日本の再生は在り得ない」。選挙の時、二度にわたって大見得を切った。
福島の再生は、全くと言ってもなされていない。“詭弁”その二だ。

アメリカの上下両院で演説をした。そこで語られたのは祖父岸信介の思想の敷衍だ。
「戦後レジームからの脱却」。それは岸信介に回帰することだった。“詭弁”その三。

かくして、歴史名を残す宰相が誕生した。

演説は英語だった。オバマとの会談は通訳を介してだった。相いれない言葉の乖離というものがある。通訳がどういう表現をするかによって、その意味合いは変わる。

オバマが言ったとされる辺野古への柔軟な対応。それは記事にもされていたが、実際はグアム移転のことだった。

猛練習をして、晩さん会のスピーチで「ジョーク」とされ、歓迎されたと自賛する演説。
スピーチライターが練りに練って書いた演説。その演説原稿、ネットにあった写真では、日本の国会での演説と同じように、赤鉛筆で何回もなぞった英語の中に、日本語のト書きがあった。
「顔を上げて拍手を待つ」と。

10回ものスタンディングオベーションがあった。そうマスコミは伝える。安倍もフェイスブックにそんな自慢を書いている。
海外のメディアは伝える。立たない人もいた、拍手をしない人もいた。と。

安倍を取り巻く言葉の問題の数々。

安倍は「レッテル貼り」だと言い、沖縄県知事は「固定観念」という。

安倍の演説はどこの国民に向けられたものか。アメリカの議員や国民に向けられたものなのだろう。日本人に向けられたものなら日本語で話すべきだった。
そこには双方ともに通訳の、翻訳の問題はあるのだが。

この安倍訪米、その真相を知るには時間がかかるかもしれない。「専門家」はそれらを読み取るのに今は懸命だろうから。


多分、今夜もその本の続きを読む。何ページ進むかは眼精との勝負。旧日本人としての誇りを掛けて読みすすめてみる。SF小説もどきのその文学を。時代を表層したその文学を。

いま、頭を駆け巡っているのはジョージ・オーエルの「1984年」・・・。

2015年4月29日水曜日

それって「ニュース」なんだろうか

日米首脳会談、日米同盟の強化を確認。そんな見出しが躍る。
それってニュースなんだろうか。
そのために行ったのであり、当たり前じゃないのか。

犬が人を噛んでもニュースじゃない。人が犬を噛んだらニュースなんだ。
そんなことを言われていた時があった。

日米首脳会談をアメリカのメディアはどう伝えているのだろうかなと。
そん扱いの仕方含めて。

従軍慰安婦は、主語の無い人身売買という言葉にされ、沖縄の辺野古問題はんんら「変更」は無い。米軍基地の重要性をお互いが認め合う。辺野古移転が唯一の解決策と言う両首脳の認識の一致。

屈辱の日の夜の屈辱の再確認。オバマは“より柔軟に対処したい”と会見で言ったと言うが・・・。

共同声明とは、すでにして双方の事務方で出来上がっているもの。会談の内容は双方の広報担当がブリーフィングするもの。
その結果の記事は、双方の目論見通りっていうことであり。

たぶん、この会談の結果に中国は相当苛立っていよう。政権は陸上自衛隊員を数百名単位で沖縄の島に常駐させるという。

尖閣問題。中国をおびき出す作戦か。「強固な同盟復活」という。字面から見れば、中国は日米共同の敵となる。でも、アメリカは小ずるい。

ま、何にしてもだ。安倍は日本を取り戻したのではない。再びアメリカに譲り渡したのだとも。

すべてが“予想”の範囲。ニュースとしての価値は如何。

テレビ放送を巡って期せずしてNHKとテレビ朝日が、政権の意向に従ってしゃない処分を決めた。
その処分の中に、NHKの会長や幹部、テレビ朝日の会長、社長、役員の報酬カットというのがある。NHKは会長、理事の報酬を二か月10%自主返納だとか。
テレビ朝日も10%の自主返納だという。

彼らの年収は3千万とも4千万とも、それ以上とも言われる。その10%、たかだか一か月か二か月。何の痛痒も無い。処分の名に値しない処分。
しかもNHKは過剰演出なんてもんじゃない。完全にやらせ、虚偽報道なのに。

身近なニュースに目を向けてみる。
未だ持って原発の汚染水問題は解決を見ない。汚染源21件で更なる対策が必要だと言う。45件で更なる調査が必要だという。

「福島」は依然として、常に“疑惑”に晒されている。

凍土遮水壁の工事は山側で明日から試験を開始だという。

もちろん、この原発事故の後始末の事と、日米同盟とはおおよそが無関係だ。
しかし、犠牲のシステムとして成り立ってきた福島原発は、いまだにそのシステムの中に置かれている。

沖縄の怒りは倍増するだろう。同盟強化の中で進む、沖縄の“切り捨て”。
沖縄は日米安保の中にあって、まさに犠牲のシステムそのものだ。

日米会談、とりあえずのニュースを見聞きしただけでは、そのすべては語れない。

今夜か。安倍の演説は。それらも含めて、アメリカの世論を見て考えねばならない事だろうが。

ネパールのその後のことの方が気になる。
そして地球規模で起きているさまざまな天災のことが。

ニュースって何だろう。素人臭く考えるのが一番なんだとも。

2015年4月28日火曜日

「平和条約」の日に「戦争」という字が踊る皮肉

きょう4月18日は日本にとって歴史的な日だ。サンフランシスコ講和条約、日本と連合国の間で締結された平和条約が発効した日だ。

日本と言う国が主権を回復した日なのだ。昭和27年のこと。講和条約発効を記念して、日の丸の小旗を打ち振っていた大人たちの姿をよく覚えている。

「平和国家日本」と学校で習った日だ。公式に戦争が終結した日なのだ。

だから、戦後70年では無く、戦後63年というのが正しいのかもしれない。

70年前は天皇の詔勅によって戦争を終わらせ、ポツダム宣言を受諾した8月15日。その日から7年間はアメリカの占領下に置かれていたということ。

理屈を言おう。昭和20年8月15日は「敗戦」の日、それから7年後の4月28日が「終戦の日」だということを。

日本国憲法が制定公布されたのが5月3日。だから憲法は占領下で作られていったという未だに尾を引く“憲法論議”にもつながっていくのだ。

講和条約発効、平和憲法制定。それによって、戦後の平和国家日本が動き始めたのだ。そして誰しもが「平和」を疑わず「戦争」はしないで済むと思っていたのだ。思って来たのだ。

昭和40年代、日本の国防論議が盛んだった頃、日米安保をどう解釈するかの論議が盛んだった頃、自衛隊は出来たけど、それは「専守防衛」とされて来た。

シビリアンコントロール、文民統制が言われ、「軍隊」の長に文民である総理大臣がいる以上、「軍」が主導する戦争は在り得ないと公言されてきた。

今は・・・。「軍隊」としての自衛隊が戦争をいうのではない。戦争をしたがっているのでも無い。戦争をしたがっているのはまさに“文民”である総理大臣だということ。

今朝の新聞に踊っている見出し。防衛指針の改定。日米ガイドラインの変更。
それこそ日米安保の枠を超えて、地球のどこへでも自衛隊が派遣出来るということ。

戦争放棄をうたった憲法の理念はどこかに消え去り、平和の対義語でもある戦争が出来る国家になったということ。
安保法制を巡る与党協議なるものが、まったくの「玉虫色」で決着したということ。

極東の範囲とは・・・。連日そんな国会論議があったにも関わらず、自衛隊は明らかに極東以外の地域にも行ける・・・。

その講和条約発効の記念すべき日に、安倍は訪米している。上下両院で演説するという。
講和条約のことに触れるのだろうか。何を語るのだろうか・・・。
そこで語られたことをアメリカはどう受け止めるのだろうか。

そして明日29日は「天皇誕生日」だ。もちろん昭和天皇の誕生日。
昭和天皇は平和を希求されていた。
それこそ、昭和22年の頃、我が家には大事にされている本があった。ビロードで装丁された「天皇裕仁」と金色で印字された写真集。
昭和天皇の戦後の行幸などの記録が主な内容だった本。なぜか毎日のようにそれに見入っていた記憶。

「四方の海、皆同胞(はらから)と思えども、なぜ波風の立ち騒ぐらん」。明治天皇の御製を引いて東条英樹に開戦を思いとどまるよう迫った天皇。その真意を汲み取り、戦争回避の意向を伝えようにも、もはや軍部の独走で、開戦不可避となっていたという史実。

その昭和天皇の意志を受け継ぐ平成天皇をはじめとする皇室の意向、意志。それらは“無視”されている。

平和の日に戦争の文字が踊る4月28日。

歴史の記憶すべき日は時日とともに、時の経過とともに「忘れ去られて」行く。

4月26日はチェルノブイリ原発が事故を起こした日だ。その日はすでにして忘れ去られ、言葉遊びに数字のごろ合わせの「風呂の日」と巷間呼んでいた人もいた。

今朝の新聞の折り込みチラシには「明日は肉の日」と特売が大書されていた。


毎日が3・11だ。忘れられる日とはされまいが。それとてもやがて歴史の中では忘れられる日となるのかもしれない。

歴史にあった出来事の中には忘れてはないないことがある。

ネパールは東日本大震災時に、日本の被災地に5,000枚の毛布を支援物資として送ってくれた。ネパールの国民所得からすれば、とんでもない大きな金額に相当する「毛布」・・・。一刻も早く日本の救助の手が彼の地の被災者のもとに届くように祈る。

青空が広がっている。その青い色の空が何故か悲しく見えるのだ。今年のこの日は・・・。

2015年4月27日月曜日

昔も今もボクは“不良”だった

2011年、まだ郡山に避難所があった時、時々そこにお邪魔していた。
そこで何人かの避難してきた人たちと知り合いになった。

仮設住宅にとりあえず落ち着いた頃、お茶のみしながら、なにかと話をした。

「あんた最初に見たときはヤクザもんに見えたのさ、ヤクザが避難所に何しに来てるんだって思ったさ」。

なるほど左様、最初に会話を交わした時、その人には確かに一種の警戒心みたいなものがあったようだった。

「でもさ、しばらくしてそうでは無いとわかってさ」と言われて・・・。

で、よくよく話してみたら、その人の無くなった旦那は、ヤクザの組長やっていた人で、苦労させられて・・・。なんだい、その人、昔はヤクザの姐さんだったってこと。

ふざけんなよ、ヤクザのカミさんに言われたくないは・・・。
「なんかね、あの野郎と同じような雰囲気を感じたんでね。ごめんね」ときたもんだ。

どうも僕は見た目、ヤクザっぽい、不良っぽい雰囲気を持っているらしい。

そう言われれば、子供の頃から不良っぽいところがあったようだ。親譲りでは無い。
あの戦後の空気がそうさせていたような。

小学生の時、家の近くに「オンリーさん」と呼ばれている女性がいた。ジープに乗って米兵が来る。それが来ると、その家の女の子は表で遊んでおいでと出される。その子の泣き声や怒ったような表情をみるにつけ、米兵が憎かった。
帰るジープに石を投げつけていた。

中学生で煙草を吸っていた。もちろん親には隠れて。すぐにばれたが。

高校生になると、深夜放送のラジオから流れてくるジャズに惹かれていった。

その頃、ジャズは「不良の音楽」と言われていた。不良に憧れた。
学校帰りに池袋の盛り場をうろつき、新宿西口の「しょんべん横丁」や「歌舞伎町」の繁華街をうろついていた。

中学・高校、気に食わない教師にはめっぽう反抗していた。先生が「贔屓」をしていたから。

どこか反社会的文学に惹かれていた。読みふけっていた。学ランの襟はいつも外していたし、袖のボタンは5個付けていた。

大人の居場所である盛り場を、大人の背中に隠れるようにして覗くのが好きだった。

大学生になると、ジャズ喫茶に通い詰め、かたわら、安保反対のデモに出かけていた。どこのセクトに属すると言うことでは無かった。全くの個人行動としてのデモ。痛い思いも、冷たい思いもした。

社会人になると、やたら上司に反抗していた。嫌な奴だと思われていたのだろう。

そうだ、高校生の時から雀荘に入り浸っていたっけ。

ちょっとおかしい振り返りだが、反権力イコール不良だったような。

郡山に来てからも時折ヤクザぽいだの不良っぽいだのと言われた。その筋の人とも「友達」になっていた。彼らに言われた。「とっちゃん、なにか同じ匂いがするぜ」って。

だからと言って何をしたわけでも無い。

3.11.郡山市の野球場が避難所になっていた時、そのヤクザどもが、大量の差し入れを、支援物資を運んできた。
なにせ、かっては田舎ヤクザだったのが広域暴力団に吸収されていたのだから。
組織を挙げての支援物資。その中身は見事だった。カップヌードルを食べるための箸、子供のおむつ。気が利いているねと褒めてやった。

今、ビートたけしが監督をした「龍三と7人の子分たち」という映画が話題を呼んでいる。一見怖そうで間抜けっぽいヤクザ屋さんたち。平均年齢70歳以上。

昔の任侠映画やヤクザ映画も人気をはくしているという。

なんかそういう時代なんだろう。時代の空気なんだろう。

毎日、権力に反抗するような、世の中を斜にみたことを書いている。これとて「不良性」の為せる業かもしれない。

なんとなく思うんだけど暴排法が出来てから、ガキども(15歳から25歳までか)の凶悪、陰湿な事件が多くなったような気がしないでもない。
昭和34年頃、売春防止法が出来てから性犯罪が増えたと指摘する人もいるが。

ま、それらはともかく、もう少しだけ不良老人でいようと思う。全く違法行為はしませんが。

権力の流れに、この国を覆っている空気に対して反抗してみようと思う。
そんな年寄りの一人くらいいたっていいじゃないかと。

もっとも、著しく「体調不良」ではあるのだけれど。
「不良」・・・なんとなく心地よい響きさえ感じてしまうんだ。友人や仲間たちからもそういわれているけど、それは「許された不良」なんだとも思いながら。

2015年4月26日日曜日

狭い日本、そんなに急いで・・・

昔、交通事故防止の啓発標語にあった「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」。

もはや朽ち果てた言葉か・・・。

やはり、世の中、スピードと便利さが最高のものという“価値観”がまかり通っている。スピード・便利至上主義だ。

先日もリニア中央新幹線のスピード実験があり、時速603キロを記録したと軒並みメディアは伝えていた。
通過地点の“展望カ所”のようなところに見学者が集まり、その速さに驚愕の声をあげ、携帯で写真を撮って大騒ぎの光景。

603キロを記録した時に、その担当部署に上がる拍手と歓声。

東京(品川)と大阪間が全通すれば、今の東海道新幹線より所要時間は1時間あまり短縮されるという。平均時速500キロ。それが目標。

総工費は9兆円。東日本大震災の復興資金、原発事故収束のために国が東電を支援する予算も9兆円。

JR東海は言う。2045年に全線開業すれば8,700億円の経済効果があると。

2027年には東京・名古屋間が開業予定だ。ピーク時の想定消費電力は約27万キロワットとされる。東京・大阪間が開通すればピーク時の消費電力は約74万キロワットと言われる。

福島原発事故があったばかりの2011年5月、すでにしてJR東海の葛西会長は「原発継続しか活路は無い」と明言している。

74万キロワット、それはたとえば浜岡原発1基分に相当する電力量だ。

3・11以降、電気に頼る生活への疑問を持った人たちもいる。節電が言われた。それを実践している人たちもいる。

国民の電力消費量。50年前に比べて、今は、少なくとも原発事故前までに比べて、なんと4倍以上に増えているのだ。

9兆円の投資を回収するためには原発再稼働しかない。至極当たり前の論理だ。

リニア新幹線は他にも数々の問題点が指摘される。ほとんどがトンネルの掘削工事。それによる自然環境の破壊、環境の変化。

大量輸送手段、スピードによる経済波及効果。それは喧伝される。リニア反対運動がある。地元の人たちを中心に。
しかし、その「動き」はほとんど話題にされない。意図的と思えるくらいメディアは取り上げない。

603キロという“夢の数字”が達成されると「勝利の雄叫び」を上げる。

500キロのスピード、トンネルだらけの沿線。車窓の風景を楽しむなんて旅はそこには存在しない。

これって我々が求めていた新世紀の夢の生活なんだろうか・・・。

新幹線技術やリニア技術は海外にも輸出される。技術大国日本と誇らしげに言う人もいるはず。

50年前の4倍の電気使用量。たしかに周りは電力頼りばかりだ。いくら省電力を謳っても、あらゆる家電製品の中で我々はその近代的生活を享受している。

それを皮肉な光景というかどうかはともかく、在来線の、SLは依然憧れであり、のんびりした列車旅を望む人も増えているという。

電気を使わない生活なんてありえない。
でも、余計な電気とまでは言わないが、スピードをこよなく希求するための、時間を電気で買うといった暮らしまで必要なのだろうか。

もはや「リニア」は既成事実となった。止めるわけにはいくまい。リニアを理由に再稼働という論理は当然出てくるはずだ。

省電力モードにしてあるとは言え、こうやってパソコンの電源を入れ、電力を消費しているくせに・・・と言われるかもしれないが。

2015年4月25日土曜日

“蜂取らず”

ドローンとは蜂の羽音のことを言うのだそうだ。

ドローンは官邸の屋上で見つかったという報道があった時、「笑っちゃう話だが・・・」と言う風にちょこっと書いた覚えがあるが。

結局“犯人”は出頭し、逮捕され、反原発の意思表示として、ドローンに福島県内でとってきた土を搭載して、いわば官邸側に一泡吹かせてやろうとしたみたいなことを供述しているようだし、経過をブログに克明に載せているとも言う。

まったくもって「バカな奴」だし「いっちゃってる奴」と・・・。

この男が真剣に反原発の考えを持っていたのか、単なる「お騒がせ野郎」なのか、まったくもっとバカバカしい話なんだけど。

虻蜂取らずという言葉がある。同義語は二兎を追うものは一兎も得ずということだ。

真剣に反原発を訴えてきた人たちには迷惑この上ない話だ。

この世の中、なにかあると話に尾ひれがついて広がる。福島の土と言われただけでも福島にとってはいい迷惑だ。

官邸警備の間抜けさもさることながら、これを契機に、官房長官が咄嗟に言明したように、規制強化が進むだろう。

官邸前で毎週行われている反原発集会、行動への監視強化、規制強化は十分あり得る。

いかれた奴の犯行だとしても、それはいくらでも口実にされる。
真剣に反原発を言っている人たちにとってはとんでもない迷惑行為だ。

権力の側の監視、規制の強化だけではない。世間の眼も変わる。

世間を騒がせただけの、官邸周辺の警備の間抜けさを知らしめただけの、何も得ることが無かった行為。

今、この時代にあって、ネット社会が日常のなっている中にあって、「自己承認要求」心理があちこちに散見される中での起こるべくして起きたことと言っていいのだろう。

伝えられることから考えてみるにつけ。

おそらくこの「模倣犯」も出てくるだろう。一握りかどうかはともかく、世間を「あっと言わせてやろう」と思っている“欲望”を持った人間は居るのだから。

想像力の多大なる欠如。

この“犯人”にしてもそうだ。何等の意味も持たないバカげた行為。それが反原発に意を用いている人たちに与える限りない迷惑。

そして反対側にあっては、「ドローン」なるものが開発され実用化されている中で、この種の犯行に使われるだろうという想像すら持っていなかったような当局の限りない想像力の欠如。

想像力の欠如。それは反省材料どころか、何にも生かされていなかったということ。

3・11当時の政権側の想像力の無さが“悲劇”を拡大させていたということは、事故調の“検証”でも指摘されていたこと。

文明の利器なるものは「悪意」を持ってそれを使おうと考えれば、いかようにもなるということ。
文明の利器は両刃の剣だということ。

この“事件”を虻蜂取らずという教えを引いて語るのは適当でないこと十分承知。たまたま、ドローンが蜂だったからアブを引き合いに出してしまっただけのことだが。

これで「警備」という名の蜘蛛の糸はさらに張り巡らされるのだろう。

古賀のテレビにおける言は「蜂の一刺し」みたいなところはあったのだが・・・。

政権は、対米外交含めて、二兎どころか三兎も四兎を追っているの感ありだ。
一兎も得られず元の木阿弥になることだってあり得るかもしれないし。

どの国がアブでどの国が蜂なのかはともかくだ。

土曜の夕方、朧な中での妄語で。

2015年4月24日金曜日

地方選挙と「民主主義」というお題目

地方統一選挙の後半戦が今度の日曜日に投開票される。
なにやら全国的なおおまかな傾向として、「無投票」が多いという。
市町村長、地方議会議員選挙。

過日、NHKの夜9時のニュースを見ていた時、あの最近代わった“能面キャスター”(そう勝手に名付けている)がしたり顔で言っていた。

無投票が増えるという事は民主主義の危機ですみたいなことを。民主主義の在り方が問われています。みたいなことを。

おもわず、また無意味なことをした。テレビに向かって怒鳴っていた。
「ばかやろう、もっと気の利いたこといえないのか」って。

地方選挙の様を見て民主主義に結びつけるっていささかおかしい。いや、まったくおかしい。

民主主義、それは英語のデモクラシーから来た言葉だ。
デモクラシーとはギリシャ語の「デモス」と「クラトス」を重ねた“造語”だ。
デモスは民衆、クラトスは力。

それこそ大昔、ギリシャでは政治を決めるためにアテナイあたりの広場に民衆が集まり、大いに議論を交わし、その結果出された民意、民衆の力を王に示していたとうことなのだろう。

「権力は人民に由来し、権力を人民が行使する考えと、その政治形態」と辞書には載っている。

基本的人権、自由・平等がその理念であり、その「属性」として多数決の原理とか法治主義があるとされている。

この世の中、毎日のように、「民主主義」「民主主義」が言われ、誰しもがそれを口にする。さまざまな場面でその言葉を用いる。使われるだけ、それは色褪せてくるかのような。

日本は民主主義国家である。それは明治時代でもあの時代の民主主義があった。
大正デモクラシーという言葉や、その形態は語りつがれている。

民主主義の反対語は。独裁主義とか全体主義とかいう表現しか見つからない。
安倍が独裁政権を、独裁政治を目指している。その指摘は理に適ってはいる。
しかし、彼自身は民主主義だと言い張る。

民主主義と言う言葉の「大安売り」。だから、それの「価値」が見えなくもなってくるのだ。

主権在民と言う民主的な方法で選ばれた議員さんが、果たして民主主義の正しい履行者か。
民主主義の属性として、いわば制度の一つとしてある選挙。その選挙制度そのものも、今の制度はいかがわしいのに。

そして多数決の原理。それには付随して「少数意見の尊重」という事が“決められて”いる。しかし、現実、少数意見は切って捨てられるような存在。

だから、何をもってして、地方選挙の候補者が少なく無投票当選者が出るということを民主主義という理念を用いて語るのか。

NHKには言いたいよ。世間の民主主義を偉そうに言う前に、お前らの局内民主主義はどうなっているんだよと。会長独裁に甘んじているくせにと。

民主主義が問われている。キャスターも新聞の論説・社説もだ。相手が誰かを特定しないで言葉だけ放り投げて「いい仕事」をしたつもりなんだろうか。

きっと「政治に無関心」だとする民衆を責めているのだろう。なんで無関心になるのか。
民主主義と言う言葉の濫用に飽きてきたからかもしれない。いや、それよりもなによりも民主的方法である、一つの制度にしか過ぎない選挙で選ばれた、議席を手に入れた「センセイ」たちが、政治をつまらない物、魅力の無い物にしちゃっているからだ。
政治に無関心な民衆を責める前に、民主主義なるものをろくに理解もしていない、「いるだけ政治家」を責めろよ。

福島に民主主義はあるのか。無い。基本的人権が侵され、脅かされたままなのだから。

そして、そのことを恥ともせず、選挙の票稼ぎに奔走しているような県選出国旗阿銀さんよ。県民のデモスとクラトスをどう受け止めているんだいとも。

「使い捨て民主主義」って言葉さえ浮かんでくる。

2015年4月23日木曜日

「福島」をどう見たかということ

「福島の事故を踏まえ、深刻な事故が万が一にも起きない厳格さを要求し、新基準を緩やかに過ぎ、合理性を欠く」と指摘して再稼働禁止の仮処分を決定したのは福井地裁。

「新基準は福島の事故に見られるように、放射性物質が放出されることを前提としているとして、基準を満たせば、重大事故が起きる危険を社会通念上無視できる程度に小さくできる」と判断したのが鹿児島地裁。

そして、人々が声明を守り、生活を維持するための人格権を前面に出し、経済活動としての原発稼働はそれより劣位にあると位置付けたのが福井地裁。

これまでの専門家の意向を支持し、つまり規制委の考えを至当とし、科学の領域に司法は立ち入れないとするかっての最高裁判断の前例に添った判断を示したのが鹿児島地裁。

実際に起きた福島の事故を「見て」判断した福井地裁。科学の限界をその事故は証明しているにも関わらず、規制委の予知・予測をもって安全と判断した、事故があっても無視できる程度に小さいとした鹿児島地裁。

鹿児島地裁の処分棄却という決定を支持するということは、無視できる程度の危険だということなら、避難計画の策定なんて必要なくなる。

まして・・・。福島の事故の原因ははっきり究明されていない。地震なのか津波なのか、原発の構造そのものなのか、人為的な要素があったのかなかったのか、万人が認める特定は出来ていないのだ。

火山の噴火という要素にしても、それは福島の体験知にはないことなのだ。


原子力規制委員会。それが何なのかよくわからなくなってきた。学者。専門家を集めた我が国最高の原子力規制の権威のはずだけど。

委員長の田中俊一氏は福島県の出身者だ。小中高と福島県内の学校に通い、東北大に進んだ人だ。福島県出身だからと言って特にどうだというわけではないけれど。

彼は今のポストでは無かったが、2008年に裏磐梯にあるダリの作品を数多く収蔵している諸橋近代美術館を訪れている。そこでダリの作品「ビキニと三つのスフィンクス」という「原爆」をテーマにした作品と出会っている。
きのこ雲に模した三本の樹木。それは、広島、長崎、ビキニの核実験、原爆。そこに“隠し絵”のようにしてある、アインシュタイン・フロイト・ダリの「脳」。

田中委員長はその絵を見て「文明のあり方について考えるところ大であった」と書いている。
「ダリは明らかに、原爆、水爆、原子力というものに対して、人間の非力さと恐ろしさ、その警鐘を発しているはずなのだ。いずれにせよ、アインシュタインの核兵器廃絶への思い、フロイトの人間の愚かさに対する冷徹な評価、人間同士の争いを嫌ったダリという全く異なる分野の3人の巨人の思い、広島、長崎に懲りずにビキニでの核実験を繰り返していることに対する憤りが、この絵に集約されているようである。」

原子力委員会のメールマガジン に載っている。2008年8月1日付けで。

鹿児島地裁の決定があった日、この原子力規制委は、福島の事故で政府によるデータ公表の遅れが問題視された緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)は活用しない、使わないことを正式に決めた。そして、影響予測は、「30キロ圏の放射線監視装置(モニタリングポスト)の実測値を基に対応を判断するという。

福島県も大いに疑問視している。新潟県知事は「全く理解できない」と猛反発している。

福島県内のモニタリングポストは誤操作、誤設置によって「異常計測値」を各所で出し、大きな問題になったばかりだ。業者の怠慢か、県の怠慢かはともかく、「信頼に足り得るもの」ではない。

2011年のあの頃、爆発や異常が続出した頃、それこそ毎日、テレビの天気予報の風向きばかり気にしていた。もし、強烈な東風が吹けば60キロ離れた郡山も“避難”だって有り得ると。
それは行政の中でも、一部で「論議」されていたことでもあった。全くの情報過疎、SPEEDIの存在すら知らない中で。出された指針は「不要、不急の外出は控える」という対策だけだったということ。

原発訴訟をあずかる裁判所は、「福島」の4年間を見るべきなんだと。

2015年4月22日水曜日

全ては個人の「主観的判断」なのであり

原発の再稼働をめぐって、福井地裁は再稼働差止めの仮処分を決定した。
その裁判長は判断の基準を「個人の人格権」に置いていた。

再稼働は人格権を否定するものだとした。規制委員会の安全基準なるものを“信頼できないもの”として、判断の埒外に置いた。

原告住民や弁護団は「司法は生きていた」と喜び勇んだ。
それが「ぬか喜び」になると思った。
メディアの中には他の裁判に大きな影響を与えると書いてはいたが。

川内原発。再稼働差止めの提訴を裁判所は却下した。規制委員会の新規制基準を「最新の調査・研究を踏まえており、内容に不合理な点は認められない」とした。
そして、前田裁判長は「具体的危険性を検討しても申立人の人格権が侵害されるおそれは認められない」と判断している。

原発についてどう判断するか、どう考えるか。
この種の裁判は、すべからく裁判長や裁判官の「主観」のよるところが大きい。
いや、全くの主観なのだ。

やはりこの原発再稼働の問題は、司法にはなじまないものかもしれない。
原告は即時抗告したが、川内では再稼働へ向けての動きが加速するだろう。

原発はやはり政治問題なのだ。規制委員会なるものは、その政治判断の「具」にされているに過ぎないのだ。
規制委は「絶対な安全は無い」と委員長も言っている。それをどう受け取るかは主観だ。

安保法制をめぐる議論だって、改憲論議だって、それは政治家の主観に基づいている。歴史認識だってそうだ。

客観的判断なんてものは存在しないという事なのだろう。

マスコミ問題だってそうだ。

客観的報道というお題目だけが言われてきた。それは公平、中立ということから生まれた“発想”かもしれないが、客観的報道なんて有り得ない。

対立する二つの意見を並べて書くことが客観的だなんてことも在り得ない。それは「小手先細工」のことなのであり、そこにあったことを書くという事自体が、それをニュースにするという事自体が、すでにして記者の主観に基づいているのだ。

主観的と言われることを避けるために、皆んなが横並び報道に走ることを良しとする。

ニュースの価値、価値判断。それは主観によるものであり、だから多様な価値観が生まれるのであり、それが概念としての「民主主義」なのだ。

カオスの名はカオス。

原発が生まれた時から、この言葉は蘇ってきているはずだ。

原発をめぐる司法判断に一喜一憂しているのは、他人事のようで失礼かもしれないが、その司法の手に委ねるしか方途が無いにしても、司法とて「カオス」の中に埋没しているということ。

首相官邸に「ドローン」が落ちた。そこには放射線も検出されたという。カメラも搭載されていたとか。
墜ちたのではない。そこに向かって飛ばしたのだろう。そこに着地させたのだろう。

ドローンとテロ。素人でも想定されていたこと。そんなちょっとした想像力も働かない人が、科学文明の成果だとしてもてはやしていたことの滑稽さ。

“お笑い草”の種なのだ。

これでわかっただろう。ドローンという“文明の進化”が、何者かが意図さえすれば、原発施設の上に飛び、そこから悪さを仕掛けることだって出来るのだ。

規制委員会の新基準、そこに「ドローン対策」を明記しては如何かとも揶揄したくなる。

「もう笑うっきゃないぜ」。それが亭主の目下の主観的判断なのであります。

2015年4月21日火曜日

「訪ねて感じた現実」

バレーボール女子の元日本代表、大山加奈の話が新聞に書かれていた。

彼女の母親は幼少期、福島に住んでいたという。そんな縁があったかどうかはともかく、3・11以降、彼女は福島の子どもたちのことを気に掛けていた。
福島入りが果たせないのがずっと心残りだった。

震災後2か月たってようやくいわき市でのスポーツ教室に一度出向いた。それを知った勤務先の会社が放射能の影響を心配して、以降止められた。

彼女自身も不安がなかったわけではないが、福島の子供たちが待っていると言う連絡を貰うと居ても立ってもいられなかった。
「やはり、福島こそ行かなくっちゃ」。

一昨年、浜通りの最北端、新地町の小学校を訪ねた。子どもたちは大喜びだった。子どもたちに将来の夢を書いてもらった。
何も書けない子どもがいた。
<応援しているよ!>。そう書いて返した。

「頑張ってとは言いたくない。子どもたちはもう十分がんばっているんだから」。

スポーツ選手は皆、フアンの観客の応援を糧にしている。現役選手時代に彼女が貰っていた「応援」。
「応援」という言葉には彼女たちの特別の想いや価値があるのだろう。
だから「応援しているよ!」と返したのかもしれない。
彼女にとって“一番”の言葉なんだとも。

「頑張って」「頑張ろう。その言葉の無意味さは再三書いてきた。もう十分頑張っている。これ以上何を頑張ればいいのだ。そう呟いていた老人の言葉を忘れない。

記事によれば彼女はこんな気持ちも語っている。
「2020年の東京オリンピック、大山は素直に喜べない。“楽しみだけど、今優先すべきは、被災地の生活再建では?”」。

これもまた全くの同感なのだ。“当事者”であった選手、メダルを獲った選手。その人でさえ抱く気持ち。
これとても全くの同感なのだ。

毎月のように福島を訪ね、厳しい現実を肌で感じるからこそ、そう思う。

記事はそんな書き方で締めくくられていた。記事を読んで大山加奈という人が好きになった。

「訪ねて感じた現実」。この記事の見出しだ。

知ると言うこと。知ろうとすること。それが如何に大事なことなのか。あらためて、あらためてだ。

フランスの思想家、ロラン・バルトはこんな事を言っている。
「無知とは知識の欠如では無く、知識によって“飽和”されているせいで、未知の物を受け容れることが出来ない状態を言う」と。

福島の人も、県外の人も、それなりに福島に対する知識は持っているはずだ。でもそれは肌で感じた知識なのかどうかということ。

知っているつもりになって、知る努力を惜しんではいないのか。

そんなことを大山加奈という人のことを書いた記事を読んで、これまたあらためて思った次第。

東北楽天が宮城にやっと戻ってきたときもそうだった。子ども達を激励にサッカー選手が来た時もそうだった。
一回キャッチボールをしただけでも子供たちの目の輝きが違う。
ひとこと言葉をかわしたり、触れ合っただけでも、子供たちの中に生まれる感情は違う。

直接の接触でなくてもいい。自分たちがそこに居るということを知ってもらえただけでも子どもたちには意義があることなのかもしれない。

「頑張る」という言葉の持つ意味をちゃんと知っていた、わきまえていた大山加奈という一人のアスリート・・・。「知る」ということの大きさを教えてくれた若いアスリート・・・。

2015年4月20日月曜日

落花は枝に還らずとも

この地では大方桜花は散った。まさに一夜にしてといったあんばいだ。
桜の木は緑の葉に変わった。

雨の舗道に落ちた桜の花びら・・・。一陣の風が持て運ぶでもなく、雨靴に踏みしだかれていくのだろうか。

今年の桜はなんとなくその季節が短かかたような気がする。

散る桜、残る桜も散る桜。
散らばこそいとど桜はめでたけれ、この世に何か久しかるらん。

散る桜への“手向け”のような句が浮かぶ。

芥川賞作家、玄侑宗久の寺、三春の福聚寺。そこには見事な紅枝垂れがあった。その枝垂れ桜の散り際、寺を訪れたことがある。
その山門にはこんな句が掲げられていた。
「散る花を風の咎とは思い召めさるな」。

夜の森の桜もおもう散ったのだろうか・・・。


「落花は枝に還らずとも」という会津藩士、秋月悌次郎の生涯を描いた本がある。中村彰彦の著作だ。

その中にこう書かれている。
「一度枝を離れた落花は、その枝に還って咲くことは二度と出来ない。しかし、来年咲く花の種になることはできる」と。

路傍に身を置く桜花は、その名残は、どこかで種になって来年会えるのだろうか。

桜花とはあまりにも華麗であるだけに、その散りざまは残酷さを伴ってくるようにも思えて・・・。

もちろん皇居の桜も散っただろう。千鳥が淵を覆うように咲いていた桜も去ったのだろう。

沖縄を想う。昭和20年、米軍が沖縄に上陸したのは3月の末だった。その頃には沖縄の桜もすでに散っていたはず。
迫りくる米軍の足音を、空襲を予感しながら、沖縄の人はどんな思いで桜をみていたのだろうか。

平成天皇は沖縄に10回慰霊に訪れられている。侍従の話しによれば陛下の書斎には沖縄に関する本が山と積まれていたという。
沖縄の事をそれだけ学ばれていたということだ。沖縄を知ったが故の10回にも及ぶ慰霊の旅。

一昨日、八重桜が満開の新宿御苑では恒例の総理の桜を観る会が催されていた。
春風が吹く中、御苑には満面の笑顔の安倍の姿があった。

なぜ招待されたのかは知らない。安倍を「バカ、バカ」と言った爆笑問題のお笑いタレント太田光がいた。

安倍が誘ったということだが、記念撮影がされていた。笑顔の安倍、笑顔でおちゃらけたポーズをとる太田。

まさにバカと阿呆のからみあいの態。
テレビであれだけ安倍をバカ、バカと言った奴。でもそれはお笑いタレントということで安倍にとっては何の痛痒も無い事なのだ。もしかしたら安倍は根っからのタレント好きなのかもしれない。

笑いのネタではなく、真面目に安倍を批判したテレビのコメンテーターは“抹殺”されるというのに。

バカと阿呆の絡み合い。それは鶴田浩二の”傷だらけの人生“という歌の文句だ。
歌の出だしはこうある。♪何から何まで真っ暗闇よ、筋の通らぬことばかり・・・♪

会津藩士として、あの幕末の時代に奔流され、維新後は日本の教育者の一人としてこの国の礎となった秋月悌次郎。

彼が学んだ会津の藩校日新館。そこの桜も見事だったのだろうと・・・。

2015年4月19日日曜日

「地方消滅」と福島

いわゆる「増田レポート」なるものによって地方消滅ということが去年しきりと話題になった。

地方消滅とは一言でいうと「人口減」のことだとしよう。

過日日本の人口統計が発表された。
総人口は減っている。

そして地方の人口が減り、いわゆる大都市圏に人が移動している。その人口増地域には沖縄が入ってはいるが、それはあまり話題にされない。

東京への人口集中が問題視されるのだ。そして減少地域には、増田レポートにもあったように秋田が挙げられ、青森が挙げられている。

そして「政権」は「地方創生」を掲げ、なにかと対策を打っているような“ふり」をする。

この問題、えてして東京対地方という構図で捉えられがちだ。
戦後の一時期、いわゆる金の卵として、高度経済成長を支える労働力として地方から若い労働力が東京に移った。

若者のいなくなった地方は衰退し、人で溢れた東京は栄えた。
「労働力の収奪」とも言われた。

でも、それは昭和の40代半ばまでのこと。それから60年。東京は新しい問題を抱えた。もちろん東京だけでは無いかもしれないが、高齢化だ。

人口減と合わせて問題視されているのが少子高齢化の問題。高齢者と言う範疇に入る65歳以上は4人に1人ではなく、3、何人に1人。25%を割るという状況。

3・11の被災地で問題視されるのがその高齢化による“孤独死”なるものの事。それをどう食い止めるかが地域社会の仮設社会の大きな問題だ。
でもたぶん、“孤独死”なるものは都会の方が比率は高いのかもしれない。

孤独死。それを是とするか非とするか。その死と言うことの在り様も含めての社会問題。

この地方の人口減問題。福島の人口は大きく減っているだろうと世間では見られているはず。
未だ持って「福島は住めない」というご託宣が幅を利かせているのだから。

ところがどっこい。福島の人口減は「減っている地方」の中では最低なのだ。最低と言うのはおかしいかもしれない。減少幅が縮小しているのだ。

平成23年に大幅に流出した人口減に“歯止め”がかかっているということ。
しかし、高齢化率は高い。高齢者は27、8%だ。
でもそれは「合計特殊出生率」、つまり一人の女性が何人子供を産むかということ。それが減っているということでもないのだ。

この頃なんとなく思うことがある。
「福島県のことを一番知らないのは実は福島県人なのではないか」ということ。

福島県人が福島の実相を知ることに疲れを感じてしまっているのではないかということ。

26年度の統計では福島県の人口は193万5千人だ。その数字すらも把握している人は少ない様だ。

たとえば食品の安全の問題にしても然りだ。そこにある大きな問題。
「理性では理解しているつもりでも感情面で“疑問”がある」という抜き差しならない問題。

人口減、それをいかにして解決するか。地方から人が減る問題の根幹は雇用や仕事にある。
今、福島県には「雇用」はある。「仕事」もある。

住民票を持たない“昼間人口”、“労働人口”をくわえるとかなりの人がいるとみられる。除染なるものがある限りは。おしなべての見方だけど。

福島県人がもっと福島を知る。それも5年目の課題なのかもしれないとも。

なんとも言えない「もやもや感」の一つなのだ。

2015年4月18日土曜日

「会うことに意味がある」そんな“永田町伝説”


昔から永田町には“伝説”があった。
「会うことに意味がある」「メシを食うことに意味がある」という。

会った結果の中身はともかく、「会う」ということに、それが当人同士の意志疎通のきっかけになるということでは無く、他に知らせるということの影響を指していたようだ。

きのう安倍と翁長が「会談」した。

言い分は「平行線」。お互いの主張を述べ合って終わったのだけれど。
お互いに「会った」ことは意味合いはともかく“評価”しているようだけど。

今や、根本的に、基本的に、沖縄の米軍基地の問題については考えを異にしている者同士。

物事の解決は話し合いから生まれる。それは当然なんだけど、「解決」に向けての兆しすら無い。いや、あるべきはずもない。

永田町伝説を敷衍するなら、「強いものが弱い立場の者に譲る姿勢を見せる」ということが話し合いをうまく進める方法ではあったのだけど。


今後もあるかもしれないこの話し合い。安保法制をめぐる自公馴れ合い協議のような、茶番劇みたいな足して二で割る「永田町方程式」は通用すまい。
間に入って取りまとめるなんて人もいるまい。
アメリカに頼っても仕方があるまい。

日本の国民世論が「安倍政権」を作った。沖縄の県民世論が翁長知事を誕生させた。
本土と沖縄の世論の対立ということにより強くなっていくのだろうか。

沖縄の歴史を、琉球の歴史を翁長は知っている。安倍はあまり熟知していないようだ。

もはや遅すぎた会談。双方とも後には引けない立場。
まったく読めない展開・・・。

なにがあっても安倍の「強い政治」は変わるまい。柔よく剛を制すも、剛よく柔を制すもありえない。

力で屈服させる手法を是とする安倍政権。マスコミを力でねじ伏せようとする。
浜岡原発でも仮処分の決定を無視するかのように、関西電力は「異議申し立て」をした。
もちろん国の意向が働いている。
どこまでも、強気なのだ。黒も白と言いくるめるのだ。

安倍が譲るとしたらTPPでの対米交渉だけかもしれない。

本題に戻る。

本土の世論、「沖縄にもっと留意すべきだ。本土でも基地を受け入れなければならない。とはいうものの、我が家の近くに米軍基地がくるのは・・・」だ。心あるひとでさえも。

本土には代替地は見つからない。沖縄の人もそう思っている。
「結局、振興策という名のカネで事が進むのだ。原発と同じだ。嫌がる施設を引き受けてもらうにはそれしかないと思っているのだろう」。

沖縄に対してもまたもや「丁寧な説明」と政権は言う。
その言葉は耳にタコが出来るほど聞き飽きた。

そして、その「丁寧な説明」たるものが為された試は無い。もちろんそれは「福島」に対してだが。

「会った」ということが「対話」の始まりでは無かったということ。そこに“妥協”が入り込み余地はもう無くなっているのではないかということ。

とりあえずは「安倍訪米」の結果を見させて貰うしかないのかも。

2015年4月17日金曜日

原発ゼロでも今夏も乗り切れるという

経済産業省が発表した今年の夏の電気の需給見通し。
「すべての原発が動かなくても、もっとも電力を使う日まお乗り切れる」ということだ。

だから、あの2011年の夏のように、計画停電という“脅し”も無く、数値目標付の節電要請も無いということだ。再稼働を急ぐ関西電力と九州電力は“余裕”が無い。
しかし、他の地域の電力会社からの融通を受けることでしのげる。

結果、「予備率」は3%を確保できるという見通しだそうだ。

東京電力の予備率は11%だとか。節電の定着と“新電力”によって需要が減っているからだ。予備率の一番高いのは四国電力。12%を上回る。太陽光発電により大幅なゆとりが生まれるからだと言う。

だから、ここ3年、原発が無くても電気はひっ迫しなかったのだ。原発無しで暮らしてこられたのだ。

このことだけで見ると、先生方やお役人さんが「ベースロード電源は」とか「国富が流出する」とか「経済成長に影響大」などと口角泡飛ばしていることが“滑稽”にすら見えてくるんだけど。

先生方やお役人さんたちは5年後、10年後のこの国の姿をきちんと想像して、再稼働を言っているんだろうな。
目先の夏の事で原発の全てを語るなんてバカな国民とでも思っているんだろうな。

だって、昨日の国会でも安倍は福井地裁の仮処分決定を受けても「規制委員会と裁判官の間にはいくつかの点で事実誤認がある」と言い、「世界でもっとも厳しい新規制基準に適合する原発については再稼働を進めていく」ってオウムちゃんのように言っているんだから。

だからね、なにはともあれ、電気をなるべく使わない社会構造、国民の意識改革を徹底していく方が原発ゼロを目指すには最適な方法なのかもしれないと思ってしまう。

原発に掛ける費用、技術。それを二酸化炭素をなるべく少なくする火力エネルギー開発の為に振り向けたほうがいいのでは、自然エネルギーの抱える問題点をクリアする技術開発に振りむけたほうがよろしいのではないかとも。

石炭、石油はいつか、いずれか枯渇するかもしれないけれどね。
使わないのが一番なのさ。電気の需要が減ったとしても電力会社は利益を上げているんだし。

おしなべての「素人論議」なんですがね。

事務所の周りは今除染作業の真最中だ。作業車や作業員で道が溢れ返っている。
この辺は市内でもいわば中心地。
5年経っての除染。除染後の線量はたしかに下がっている。ということは今までこの界隈に住んでいた人達は、それなりの線量の中で暮らしていたってことだ。

避難地域の帰還問題にしても「再除染」が大きな問題になっているし。

県内のあちこちにあるモニタリングポスト。そこに表示されている線量。
それがあることが日常になり、慣れてしまったという光景。
マイクロシーベルトと一生おつきあいしなければならない暮らし。

原発に依存しているかぎり、こんな奇妙な“異常さ”が“日常”になってくるんだぜ。
屁理屈言えば、モニタリングポストだって「電気」を必要としている・・・。

普通な国ってどんな国・・・。

2015年4月16日木曜日

カエルの鳴き声を聞いた

近所の田んぼに水が張られ始め、田起こしの準備が始まったようだ。
昨日はとんでもない天候だった。
雨、雷、そして雹。
夕方、雨水を含んだ田んぼから、雨が止んで、なんとカエルの鳴き声が聞こえた。

7年前、今のところに居を定めた条件の一つが、周りに田んぼがあることだった。引っ越したその晩からカエルの鳴き声が、まるで“外来者”を歓迎するかのようにひっきりなしに聞こえていた。窓を開けて、しばらくカエルの鳴き声に耳を澄ませていた記憶。

それをうるさいという人もいる。嫌だという人もいる。でも、久々のカエルの声は郷愁を伴ってやってきていたのだ。

まだ鳴き声はか細かった。田起こしがもう一回くらいあるのだろう。田植えがあるとカエルの声は“合唱”にかわる。そして、時々、鳥が水の中にある“餌”をついばみに来る。

その田んぼ、だんだん減ってきた。宅地に代わっていく。あと数年もすれば、その地の光景はすっかり変わるのだろう。

家から数十メートル離れたところの棟割長屋のような借家。もちろん平屋の二間。4軒。
そこに富岡町から避難してきた人が住んでいる。その借家の南側に田んぼが二面あった。去年から耕作を放棄した。
そこは重機で掘り返され、土が入れられ、家が建ち始めた。

富岡の人が引っ越してきたとき、「田んぼがあるから富岡を思い出させてくれる」とほっとしたように話していた。
家が建つと、その借家は全くの日陰になる。

その田んぼでも鳴いていたカエルはどこにいったのだろう・・・。

昨夜、カエルの声を聞いたとき、それまで「鬱々」としていた気分が一変に晴れた。

田植えがあり、やがて稲穂が実り、田を渡る風が心地よい季節になる。
自分では何にも作業をせずに、農家の人が作ってくれる“環境”に甘えさせてもらう。

“贅沢な季節”なのだ。そんな環境は郡山の市街地ではもう殆ど見られない。

子供の頃は、東京でもカエルの鳴き声は当たり前のこととしてあったのだが・・・。

友人の版画家は、毎年、「ふくしまの風景」と題したカレンダーを描いている。

来年のカレンダー、その通しタイトルは「帰る」にするという。阿武隈大地の各所を描くと言う。
その中には、川内村の平伏沼も当然入っている。そこは「カエル」で有名なところだ。
蛙の詩人と言われた草野心平が住んでいたところだ。

版画家は「蛙」と「帰る」と掛けたいのだという。

彼の「ロケ地」の候補には飯舘や霊山も入っている。

もともと彼は桜に魅せられた画家だった。県内のあらゆる桜を長年描いてきた。

彼がもっともお気に入りだった桜は、やはり「夜の森」の桜だった・・・。

郡山はいま桜が満開だ。しばらくすると桜の季節は終わる。その後、色とりどりの草花が公園や街のあちこちを飾る。

花の五線譜が、季節の音色を奏で始める。カエルの合唱の声が、その五線譜に書き込まれるのか・・・。

田んぼの隣にある家に帰れる喜び。蛙の声に癒される時・・・。

どこか「うしろめたさ」を覚えるようになってから4年・・・。

2015年4月15日水曜日

それは「福島の事故に学んだ」決定ではあったが

福井県高浜原発3,4号機の再稼働について、福井地裁は運転を禁じる仮処分決定を出した。
大飯原発でも差止めを命じる判決を出している裁判長の判断だ。

今回の決定、それは原理力規制委員会の基準が「緩やかにして、合理性を欠くもの」としての判断。
原発そのものについてでは無い。

この決定の影響は大きい。しかし・・・・だ。

決定後、原告の住民は「司法はやはり生きていた」と用意されていた紙を掲げた。
弁護士は高揚していた。

でも「はしゃぎ過ぎ」ではないのか。

全国の立地地域で起こされている裁判。この種の裁判は法に照らしての司法判断だけではなく、裁判長の“意志”が“価値観”が組み込まれている。

他の裁判で、司法が、つまり例えば鹿児島地裁も同じ判断、決定を出すかどうかは、裁判長や裁判官の「人としての判断」なのだ。
違法行為としているわけではないのだ。

樋口裁判長は、大飯でも「人格権」という判断を用いている。
つまり、福島の事故では人格権が全く損なわれたということだ。

でも、他の裁判で、その裁判所が同じ視点に立てるのだろうか。

一石は投じた。しかし関電は“控訴”や“不服申し立て”をする。高裁、最高裁まで行くかもしれない。

有体に言えば「取りあえずは再稼働が出来ない」という事実だけだ。

なにせ福島で災後にあった裁判。飛散した放射性物質を「無主物」という論理を展開した司法だってあるのだから。

選挙の違憲判決だって合憲も、違憲状態も、違憲・無効の判断もあったように、裁判所の判断は分かれるは必定なのだ。とも思ってみる。

「司法」という大きな括りで「生きていた」と大歓迎するは時期早尚じゃないのか。

これが「スタート」なのだと気を引き締めなければ。これからが「山」なのだ「谷」なのだと思っていなければ。

またもやあの官房長官が言ってくれた。「再稼働に向けて“粛々”と作業を進める」と。

辺野古に対しては、気分を悪くするのならもう使わないと言っていた“粛々”。
そう、彼の“粛々”は“断固”やるってことだろう。

沖縄では断固作業は進めている。知事が反対しようとどうしようとお構いなし。
政権に楯突くマスコミは恫喝によって屈服させた。教育界にもその“魔手”は伸びる。教科書の検定。
アイヌの土地を奪ったのに、土地を与えたとする、それこそ歴史の歪曲。
東北は蝦夷の地だった。
アダタラ、アブクマ・・・アイヌ語に由来する。そこは「与えられた土地」ではない。中央によって収奪された土地なのだ。

そして「我が軍」思想による集団的自衛権の行使“拡大”。

政権はさっそく「司法対策」に乗り出しているのだろう。
司法も屈服させようと動くのだろう。
政権に三権分立なんていう意識は皆無だ。

裁判官の人事権は法務省にある。

最高裁まで行けばお手のもの。「政治的問題は司法判断に馴染まない」と差し戻しが待っている。最高裁長官は首相が任命権を持つ。

そんな危惧は大いにある。でも、取りあえずはこの樋口裁判長の判断をもろ手を挙げて歓迎する。

規制委員会の権威は地に落ちた。どう立て直すかだ。

この仮処分決定がすべての帰結ではないという事。難関は、この高浜にもまだまだあるということ。ゆめゆめ忘るべからずと。

それにしてもだ。福島の事故がなかったらこんな司法判断は全く無かっただろうと。だからもっと福島を学んでほしいとも。

2015年4月14日火曜日

「鏡像自己認識」

“鏡像自己認識”という言葉がある。
鏡に映った自分の姿を自分だと認識できる能力のことを指すという。

いえね、人間てさ、なんでも見えていると思っているようだけど、自分の顔って見えないんだよね。
頭も背中も見えないんだよね。体の一部だけしか見えてないんだよね。

天照大御神の時代からの三種の神器。その一つに「八咫鏡(やたのかがみ)があるものそういうことかとも思いつつ。

そうなんだよな。鏡の力を借りなければ、鏡がなければ人は自分の顔も認知出来ないってことなんだよな。

他人の姿はいくらでも見られるのに、鏡に映さないと自分の姿はわからない。

だけど、鏡は顔かたちは映してくれるけど、心の中は反映してくれない。
鏡の向こう側にいる人が何を思い、何を考えている人なのかわからない。

そう、鏡を見ても自分とは・・・はわからないってことじゃないかな。


イッソップ物語にこんな話がある。
犬が肉をくわえながら川に映った自分の姿を、違う犬だと認識して、その犬、実は自分が川に映った姿なんだけど、その犬がくわえている肉を奪おうとして、肉を川に落としてしまう。欲をかくな。と言うような戒めの話とされているけれど。

我が家の犬。床に置いてあった鏡に自分の姿が映った。鏡を見ながら吠えていた。手で鏡をひっかいていた。どうにもならないのですぐにあきらめたようだったが。鏡と睨めっこしている犬の姿は可愛かった。思わず写真とたけど。

犬は「鏡像自己認知」って“能力”が無いと言われている。自分の顔がどうなっているのかわからないなんてなんか気の毒な気もするが。でも、おおむね“人格”は優れているようだ。

主人、飼い主との関係でもそうだけど。

 グリム童話にある「鏡よ、鏡よ、鏡さん、世界で一番きれいなのは誰?」と毎日魔法の鏡に問いかけていた王妃の物語。白雪姫のお話。

ワンダーランドだ。

2011年のある時まで、この国はワンダーランドの中にいた。爆発事故が起き、鏡は壊れた。壊れた鏡の先にあったものは、瓦礫と溶融した核燃料。

鏡を挟んでのワンダーランドくんと、世界の終りクンとの戦い。
なにやら蠢く「やみくろクン」。

今の世相を鏡はどう映しているのだろうか。

どっちが実像で、どっちが虚像なんだろうか・・・。

なにやらはっきりせぬ「うわごと」にて・・・。はい、ちょと風邪にかかったようでありまして。

2015年4月13日月曜日

「遠のく政治」、「先細りの自治」。

自分の予想が当たってしまったことに、「衝撃」を受けている。
昨日の地方選の結果だ。

地方選挙は身近な政治であるはずなのに、あの投票率。史上最低とも言われる投票率。

身近な政治がさらに遠のいて行くということ。

投票率が低いと、すぐ有権者の側の意識が問題にされる。そうだろうか。
入れたい候補者がいない、地方自治が身近で無いと言う、いわば「選ばれる側」の問題が大きいのではないだろうかとも。

だから、「地方議会不要論」も出てくるのだ。今の制度では、地方議員の「力」などたかがしれているからと思われているからだ。
当局の議案審査だけの人と思われているからだ。

この選挙の結果を受けて、政権の側は、勢いづくだろう。本音では地方自治など“無視”しているにもかかわらず、「民意」が示されてとばかりに猛進するのだろうか。

40%の“民意”だ。それを民意とは呼びたくないのだが・・・。

多くの無投票、無風選挙。

国政選挙の趨勢も然りだ。選挙と言うものに冷めてしまっているのだろう。

だれがやっても、だれがなってもなにもかわらない。
それがいまのこの国を覆う「空気」。

もはや「投票に行こう」と呼びかけるだけでは全くの無意味なんだ。
地方自治の在り方が根本から問い直されていると認識しなければならないのだ。



北海道知事選、原発問題が大きな争点だった。いや、とりようによっては片方の候補がそれを取り上げただけで、片方は取り合わなかったという構図だったのかもしれない。

北海道電力泊発電所の再稼働。そのものの是非を問うた世論調査では多くの人が再稼働反対だった。
しかし、結果は、その再稼働反対派だった人の40%以上が現職の側に票を入れていた。

これが意味するところは大きいはずだ。

原発再稼働反対だけを言っていたのでははじまらない。原発を必要としない社会システムをどう作っていくかを明示しなくてはならないということだろうかとも。

「長いものにまかれろ」「強い方に付いておこう」。そういうことなんだろうな。


選挙に盛り上がるとかなんとかという言葉を使うのは好きではないが、こんな「シラケた」選挙にしてしまった責任はすべからく民主党にある。

まともに候補者も立てられない政党。野党第一党。
惨敗に惨敗を重ねてきた民主党には、もう「戦闘意欲」さえもなくなったのかと。

そして、永田町の関心は、民主党の衰退よりも大阪維新の会の消長に向けられていると言うこと。

なんだかすべてにおいて難しい国になっていっているような気がする。
その難しさが、実は単純な“独裁者”の狙いなんだろうけれど。

2015年4月12日日曜日

地方選と原発と税金

きょうは地方統一選挙の前半戦だと言う。
知事選は10の道県、41の道府議選、5つの政令市長選、17の市議選。

幸か不幸か福島はそれに該当していない。4年前「3・11」で延期されたために8月の選挙となる。

安倍内閣は地方創生を言い、“地方消滅”が言われ、地方、地方自治はなにかと「大事なもの」とされてきた。
でも、事態とは大きくかけ離れている。地方自治なるものはお題目のように形骸化しているのかもしれない。

原発事故をめぐって、自治体は国が責任をと言った。国は自治体の意見をよく聞くと言った。
しかし、国は責任を果たさず、自治体の裁量権は狭い。

なにせ、マスコミの地方統一戦に向ける目線は少ない。決まり文句の記事では「来年の参院選の前哨戦」だとは書くものの。

決まり文句のようだが「低調」なのだろう。投票率は低く推移するのだろう。と勝手に予測してみる。当該自治体ですらそうなんだろうとも。

今度の地方選、原発再稼働がテーマになっているところも多い。北海道知事選が好例だ。

そして福井など立地地域でも“争点”になってはいるのだろう。

この問題は難しい。地域住民の“亀裂”を呼ぶからだ。
「たとえ家族の間でも、原発のことは話題にしない。出来ない。おれが立地地元の不文律だ」。そんな声が聞こえるからだ。あの福島の事故を知っていてもだ。

立地地域には国や電力会社は常に「カネ」をちらつかせる。目先の生活をエサにする。

きょう投開票の地方選の結果は、参院選の前哨戦では無い。この国の将来の選択なのだ。

立地地域に国がばらまくカネ。それは税金だ。

復興大臣は東北の被災3県を訪れ、集中復興期間が終わる来年度から、被災3県への復興予算を削減する意向を示した。
その中でこんなことも言っていたという。

「復興に使うお金は国民からいただいた税金だということをおさえていただかねば」。

じゃ、その復興予算なるもの。どう使われていたのだ。税金が。
およそ被災地復興とは無関係なところに使われてきた。

東京にある省庁の修復費、核融合研究費、反捕鯨団体への対策強化。
かたや税金の有難味をいい、かたや税金の目的外使用。

地方自治体はもっと声をあげるべきだ。
と書いたところでの寄り道。

被災3県出身の国会議員って何を考えているのだろうってこと。

税金で賄われている国公立大学は「国歌、国旗を」と安倍は言ってのけた。

国旗、国歌に反対しているわけじゃない。安倍の“論法”に怒りを覚えているからだ。

貴方の毎日の会食、そして歳費、手当、それらはすべて税金なのですよ。

あえてこの場で民主主義を持ち出すつもりはないが、すべてにおいて今の政権の論法はおかしいと。
“税金”を振り回すという、その権力意識。そして官僚による「火事場泥棒」のような振る舞い・・・。

中央と地方の関係。そこにある民主主義の理念をどう解すればいいのか。

もし、最低の投票率だったら・・・。だれがどう考えるのだろうか。地方自治ということを。

“混濁の世”なんだなあと。義憤に燃えて血潮湧くと。右翼の街宣車が流していた昭和維新の歌、青年日本の歌・・・。

わかるかな、わかんないだろうな~~。

2015年4月11日土曜日

・・・そして11日

あの日から5年目の11日。4月と言う桜の季節の、花の季節の。

きょうもまた、どこかでは祈りが捧げられているはずだ。おそらく、両陛下もあの時間には東北に向かって祈りを捧げられるのかもしれない。

5年目と言う月日。それぞれの人の5年目。

福島の人、被災した人、原発事故の被害にあった人。

「もう被害者意識は捨てよう」。そんなことを問いかけてみる。意識としての被害者だ。被害者という位置に身を置いている限り、たとえば“いつまでも被害者づらをして”という「難癖」を付けられる。そういう人も増えてくるのだ。

だから言ってやろう。あの事故の被害があって、生活環境も変わり、辛い思いもした。逆境に身を置いてきた。だからこそ「何も考えないで生きている」人達よりは、はるかに成長することが出来たのだぞと。

そんな発想を学んだのは川内村のたった一人の卒業生だった秋元千果さんの「一人だけど一人じゃない」と言う言葉だった。

逆境が強い子供を育てたのだ。

そして、たぶん、こんな強い子が福島の地では育っているのだ。

福島に意を用いている人もいる。役場の臨時職員になった

ふたば未来学園の副校長に、文部省を辞めてきた人がいる。

福島は被災地である。原発被害の地である。

でも“希望”の地だと思ってみようよ。

とはいうものの・・・。
「福島の現状」。都路地区から汚染土の中間貯蔵施設への試験移送が始まった。

その展開がどうなるのかは見えないが。

1F構内では、燃料デブリを調査するために満を持して投入したロボット作戦が失敗した。
ロボットの扱い含めて、あらためて検討すると東電は言う。

「廃炉作戦」、一筋縄ではいかないのだ。

東電の福島廃炉カンパニーの増田所長はNHKの国際放送でのインタビューでこんなことを語っている。

「政府は廃炉作業を2020年に始める意向だ。それは非常に大きなチャレンジだ。正直に言って、私はそれが可能だと言えない。でも不可能だとも言いたくない。

成功させるために何が一番必要か。
言うのは難しいが、おそらく経験だろう。
どのくらいの被ばく線量なら許容されるのか?周辺住民ににはどんな情報が必要なのか?
どうすればよいか教えてくれる教科書はない。
私は、ステップごとに決定を下さなければならない。
正直に申し上げて、私が正しい決定をするということは約束できない」。

当事者が語る福島の現状なのだ。

「だれもわかっていない」。

「アンダーコントロールされている」と言った人だけが「わかったふり」をしている。

ロボット作戦はいったんは“失敗”した。原発構内で起きている、それこそ汚染水処理も含めての数々の失敗。

失敗は成功の母。そんな悠長なことわざはそこには適用されるわけも無く・・・。

郡山の桜は八部咲きだとか。
夜の森はほぼ満開だ。通信社が「ドローン」を飛ばして撮ったのだろうか。
上から見た夜の森。桜のトンネルは健在だった。人影の無い中、己の使命を果たすかのように咲き誇っていた。2011年と同じように・・・。

2015年4月10日金曜日

「福島」と“哲学”と

2011年3月11日後、しばらくしてから、そこに起きていること、そこにあることが何を物語っているのか、全くのように判然としていない時、ネットのツィッターには、多くの「哲学者」の言葉が溢れていた。

古今東西と言ったらいいのかどうか、とにかく“哲学者”の言葉が絶え間なく流されていた時期があった。

様々な「語録」が。

おそらく、どこかに「心の安寧」を求める作用が働き、それが受け入れられていたのだろう。

そして今、哲学が、あの頃の延長線としてかどうか、“人気”があると言う。

塾でも哲学の話を数回にわたって話しした。
福島と哲学、哲学における福島。そして、フクシマは哲学の実践の場だとも。

すべてとは言わないまでも、世界が“激動期”にある時、後世語り継がれるような哲学者が登場し、その人の言葉で、出来事を読み取ろうとする。

サルトルが登場したのは「ナチス」の故だったのかもしれない。
安保闘争時、吉本隆明が登場したのも、この国が激動の時代だったからということか。

「正しいと思っていた前提が揺らいだとき、人は哲学を求める」とも言われる。

まさに“安全神話”が崩れ去った時そうだったのだ。

「哲学が求められている時代は不幸だ」。そんな“逆説”とて成り立つ。


昭和39年、東大の総長だった大河内一男が卒業式でこんなことを言った(とされる)。

「肥った豚よりも痩せたソクラテスになれ」。

時代は高度成長にまっしぐらだった時。どこかで「考えること」を止めた若者や大人がいた時。

この言葉をめぐって東大教育学部長の石井洋二郎という人が、先ごろこんな“秘話”を明かした。 教養学部学位記伝達式の式辞で。

この言葉は大河内総長が考えたものではない。イギリスの哲学者、ジョン・スチュアート・ミルの『功利主義論』という論文からの借用したものだと。
さらにミルは「痩せたソクラテスになりたい」と言っていると。

事の細かい経緯はともかく、この「故事」を引用してこの学部長はこう指摘していた。

皆さんが毎日触れている情報、特にネットに流れている雑多な情報は、大半がこの種のものであると思った方がいいということです。そうした情報の発信者たちも、別に悪意をもって虚偽を流しているわけではなく、ただ無意識のうちに伝言ゲームを反復しているだけなのだと思いますが、善意のコピペや無自覚なリツイートは時として、悪意の虚偽よりも人を迷わせます。そしてあやふやな情報がいったん真実の衣を着せられて世間に流布してしまうと、もはや誰も直接資料にあたって真偽のほどを確かめようとはしなくなります。

あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみることが「教養」というものの本質なのだ」と。

大河内総長の言葉だと思っていた。

3・11後、哲学者の言葉とともにデマや誤解、虚偽の情報、それらが「拡散」されていた。多くが“過剰反応」だった。

人は“第一次情報”として、始めて接した情報がインプットされてしまう。後からその間違いに気付いても、“デリート”はおろか“上書き”すら出来ない。

それは「福島は危険だ」という人達の思い込みによって、うまく作り上げられているものもある。そして、それは、今も続いている・・・。

哲学ということが考えることであるならば、生き方を確認することであるならば、「哲学の場としての福島」は存在しているのだとも。

2015年4月9日木曜日

「悲しい歴史」とその人は言われた

天皇、皇后両陛下が悲願であったパラオを、あの悲劇の島ペリュリュー島を訪問された。

慰霊の旅。

きのう出発にあたって天皇陛下はお言葉を述べられた。

「太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」。

この時、陛下はメモから目を離し、眼の前に立つ安倍首相の目を見ておられたようだった、

「忘れてはならない」は「いつまでも覚えていますから」というお気持ちではなかったのかと感想を寄せてくれた若い子がいる。
自分の名前を忘れないと同じように、覚えていて当たり前だというお気持ちだったのではともその子は言った。

パラオでの歓迎晩さん会。

「先の戦争においては、貴国を含むこの地域において日米の熾烈(しれつ)な戦闘が行われ、多くの人命が失われました。日本軍は貴国民に、安全な場所への疎開を勧める等、貴国民の安全に配慮したと言われておりますが、空襲や食糧難、疫病による犠牲者が生じたのは痛ましいことでした」。

そう述べられて上で、こう言われた。

「ここパラオの地において、私どもは先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います」。

亡くなったすべての人への追悼。


慰霊碑に日本から持参したという菊の花を手向け、深く頭を垂れる両陛下。その後ろ姿からは、“万感の想い”が伝わってきた。
慰霊碑を離れて、“美しい海”に目をやりながら、もう一つの激戦の島、アンガウル島に向かっても頭を垂れておられた。


天皇陛下には必ずと言ってもいいほど訪れられる祈りの場所と祈りの日がある。

沖縄には10回行かれている。そして、広島・長崎。

「忘れてはならない場所」なのだ。

ペリュリュー島にしても、硫黄島にしても、まだ遺骨はほとんど収集されていない。
骨は異土で眠っている。草生している。

なぜ国を挙げて遺骨収集にあたらないのか。そこが、彼らの、英霊の永遠に眠る地なのか。

遺骨が祖国に戻らなければ「戦後は終わらない」のだ。

英霊は靖国だけに居るのではない。天皇は靖国参拝はされていない。

好んで靖国参拝をする政治家たちがいる。

あの3・11後、それを自らの使命とし、それを為すことの意味を承知していた両陛下は、被災地の避難所を回られた。

その姿は美しかった。

両陛下に激励され、悲しみくれるだけではなく、立ち上がろうと思った被災者たちも多くいた。

何回も折に触れて書いてきた。「天皇陛下がおられてこの国は助かったのだ」と。

両陛下は、「忘れてはいけないもの」にこだわることの大切さを体を張って伝えたかったのではないか。そう思える。

忘れてはいけない、記憶に留めなくてはならない。3・11もまさにそれだ。
両陛下の後ろ姿にそれをどれだけの人が敷衍して考えただろうか。

「慰霊地は今安らかに水をたたふ如何ばかり君ら水を欲りけむ」。皇后陛下が硫黄島を詠まれた歌である。
「激しかりし戦場の跡眺むれば平らけき海その果てに見ゆ」。天皇陛下が沖縄平和祈念堂で詠まれた歌である。

来年の歌会始め。きっと両陛下はパラオの海を見た、その、悲願の地に立った想いを詠われるだろうと思う。その歌を心静かに待つ。

2012年の時が、東日本大震災を詠まれたように。悲しみに目をむけ、弱者に目を向けるその目線・・・。「平和大国日本」と昭和22年に書き初めで書かれた陛下。その平和を熱望する両陛下・・・。

その両陛下にあらためて信を置く。

2015年4月8日水曜日

「スマホやめますか、信大生やめますか」

入学式のシーズンだ。きょうは郡山では公立高校の入学式があった。

過日、信州大学の入学式で山沢学長が述べた式辞が話題になっている。
それに“見出し”をつけるなら「スマホ止めますか、信大生止めますか」だ。

こんな話をしている。

今まで、皆さんは正解のある問題を解くことに終始していました。知識の量を試されていました。世の中では、正解のない問題を解かなければなりません。
日本が今後とも活力ある社会を維持し、世界へ積極的に貢献していくためには、科学、技術、文化のいずれの分野でも独創性や個性を発揮することが重要となります。横並びの発想では問題を解決できません。

個性を発揮するとは、なにか特別なことをするのではなく、問題や課題に対して、常に「自分で考えること」を習慣づける、決して「考えること」から逃げないことです。自分で考えれば、個性が出てきます、豊かで創造的な発想となります。
身につける「知識の量」を主とするのではなく、「知識の質」すなわち自ら探求的に考える能力を育てることが大切なのです。

スマホ依存症は知性、個性、独創性にとって毒以外の何物でもありません。スマホの「見慣れた世界」にいると、脳の取り込み情報は低下し、時間が速く過ぎ去ってしまいます。

 「スマホやめますか、それとも信大生やめますか」 

スイッチを切って、本を読みましょう。友達と話をしましょう。そして、自分で考えることを習慣づけましょう。自分の持つ知識を総動員して、ものごとを根本から考え、全力で行動することが、独創性豊かな人間を育てるのです。


この学長が持ち出した「スマホ」。それは、現代の人たちが、それは老いも若きも、文明の進化を享受し、限りなく便利さを求める。そうした風潮のアイロニーとして、あえてスマホに“人格”を与えて話したことなのだと理解する。

今朝の新聞で、この事が書かれていた。記者が学生に「賛否」と問うた記事を書いている。

その記者の視点は「スマホ」、情報機器、ツールとしてのスマホと捉えている感ありだった。


この学長が問いかけているのは、もっと根源的なことだと思う。


そう受け取るには自分の中に一つの“伏線”があるからだ。

去年、立教新座高校の卒業式で渡辺校長が述べた式辞が重なったからだ。

「捨てて二時間福島の海を見よ」。そう題した式辞ではこう語られている。

あらゆる身の回りのものを捨てて、二時間、福島の太平洋に向き合いなさい。
体で海を凝視しなさい。身についているすべてのものを脱ぎ去りなさい。
携帯電話。 スマートフォン。 書物も、カメラも。 友達も、恋人も、家族も置いて行きなさい。
忘れなさい。自分を取り巻くすべての情報から離れるのです。
あまりに過剰な情報に沈黙を与えなさい。行為として沈黙を作りだすのです。
独として海に向き合うのです。そして感じなさい。
五感を震わせて海を感じなさい。
波頭をその目で見つめなさい。潮のにおいをその鼻でかぎなさい。
波の音を聞きなさい。吹く風を身に受けなさい。
息を胸いっぱいに吸いなさい。
自然を体感するのです。若き体をいっぱいに開いて感じるのです。
新聞やテレビで分かった気になってはいけない。
今からでも遅くない。否、今だからこそ。震災から 3 年たった福島の海を見つめなさい。

すぐ近くで悲劇がおこり悲劇が続いているのです。
誰もいない海を見なければならないのです。


この校長も、信大の学長も、“現実論”としてのスマホを言っているのではない。
その真髄は“哲学論”としての人の在り方なのだと思う。

スマホという便利さを捨てて、考えることを求めたということ。
スマホを置いて、海に対峙し、五感を震わせて海を感じるということ。

同意語なのだ。感じること、考えること。人間として当然の本義を問うているのだ。そう受け取った。

この式辞を受け取った若者たちが、それをどう咀嚼し、思考を広げていくのかという問題だ。

考えることを止めた大人たちへのメッセージとも受け止めたのだけど。

2015年4月7日火曜日

教育が教育で無くなる日

来年度から使われる中学校の教科書の検定結果が出た。

去年の“教育改革”方針決定で、その方向性は予想されていたこととはいえ、やはり驚いた。

「安倍よ、そこまでやるのかよ」。

教科書とは学校教育の中のいわば「基本」だ。合わせて出される学習指導要領が、いってみれば先生の参考書がどうなるのかはわからないが、きっと検定の延長線上にあるのだろう。

慰安婦問題、東京裁判、そして尖閣、竹島の領土問題。政府見解をそのまま記述することが求められその通りになった。

教科書出版社はたくさんある。採択されなければ”経営“はなりたたない。そんな事情もあるだろうが。

我が意を得たりとばかりの「目玉のマーク」の会社の関連出版社の教科書は売れにうれるのかもしれない。

教科書が政府の広報誌となったということだ。

明治政府は、教育に意を用いた。明治政府のやり方はこうだった。
まず師範学校を全国に作る。国の意向に沿った先生を作る。
制服を採用する。同じ服装をさせる。
教科書は国定教科書にする。文部省が決めた教科書だけを使わせる。
全国共通語というのを浸透させようとはかる。方言を“駆逐”しようとした。
その共通語なるもののいわれははっきりしていないが。

だけど「方言」は死ななかった。

来年度からの教科書を与えられて、教師はどういう教育をしていくのだろうか。
ただ、それを教える、覚えさせるということに腐心するのだろうか。

教育とは、単に「知識」を与える場では決してない。考える力を養う場だ。

少なくとも前記した事柄に対して、多様な見方があることを紹介し、どう考えるかを問う、考えさせる。それが教育だ。
単一的な、しかも政府見解の押し付けで、考える子供は育つのだろうか。

育てる必要は無いと思っているのだろう。安倍と同じ価値観を持った子供にすればいいのだろう。何も考えずに政府の言い分だけを信じ込む子供を作っていけばいいのだろう。

個性の無い、統一化された子供たちを作っていけばいいのだろう。
安倍流の教育論としては。


安倍の「コピー」を作ろうということかい。安倍“リトルピープル”を作ろうということか。まさに今は「2Q15」なんだ・・・。

中国、韓国の反日教育へ徹底していた。多くの若者がその中で育った。
安倍はそれを憎しとした。
しかし、安倍のやっていることはそれらの国の“物真似”だ。それらの国と同じようなことをしている。

昨日、テレビではまさに領土や慰安婦の記述について盛んに報道していた。
NHKの夜9時の男キャスターは全く能面のような顔をして無表情にそのことだけを読み上げていた。

2020年の東京オリンピックも教科書に大々的に書かれていると言う。

来年度からの教科書に原発問題、東日本大震災のことはどう記述されているのか。テレビはどの局も伝えなかった。

今朝、新聞を繰りに繰った。扱いは小さい。記事を読む限り、何が書いてあるのかも判然としない。

何故原発が誘致されたのか、それが何をもたらしたのか、そして安全神話が崩壊し、大事故を起こし、多くの人が苦しみを負っている。
そんな記述はあるのだろうか。再稼働反対、賛成の動きがあるとは書かれているようだが。
まさか「アンダーコントロールされている」と書かれてはいないだろうな。

被ばくの健康への影響についても、どれだけの記述がされているのだろうか。
中学生は影響を受けやすい年頃なのだ。
安全基準が文部科学省の言うがままの「数値」にされているのかどうか。

物を考えない大人が増えた。さらに物を考えない子どもも増やそうということか。それは本来的な意味での「教育」に反する。

教育が教育で無くなる日。現場の教師がどう考えているのかを知りたい気もする。教師の“苦悩”が始まる日なのかもしれない。

2015年4月6日月曜日

「基地」と「原発」、その類似性

代替案を持ってこい、日本の安全保障をどう考えているのか、こういった話がされること自体が日本の政治の堕落だ。

翁長知事はそう官房長官に言ったという。

日本にある米軍基地や施設の74%は沖縄にある。

日米安保条約の基づく、それに“依存”しきっていた日本。
「日米安保があるからアメリカは日本を守ってくれる」。戦後、“信じられていた神話”の一つだ。

米軍がいるから日本は防衛費を縮小出来、その分、経済成長に予算を振り向けられた。
朝鮮戦争の特需やベトナム戦争の特需もあっただろう。米軍基地が日本にあることによって、沖縄沖縄が自ら基地を提供したことはない。すべて強制接収された。
にその多くがあることによって、この国は成長することが出来た。

沖縄の“犠牲”によってこの国の経済は成り立っていたと言ってもいいのだろう。

しかし、多くの日本人は、沖縄に対して謝意を持つことが無かった。

原発事故後、福島県の人は6百人ほどが沖縄に避難した。福島からだけではない、東京やその近郊からもだ。

その人たちの中には「被害者」としての”甘え“があった。ある程度までは沖縄はその要求や振る舞いに手を差し伸べていた。

その辺の事情を、沖縄にいる郡山出身の仲村ヨネさんから災後聞かされていた。

沖縄に避難した人は、それくらい「沖縄を見たか」ということだ。「沖縄を知ったか」ということだ。

避難者として環境も含め、辛い思いをした人もいよう。

沖縄に暮らしていて、故郷の様子を知るにつけ、基地を押し付けられた沖縄と、原発を押し付けられた福島とをどう位置付けていたのだろうか。

福島に原発が出来、それが全国にも広がり、一時は電力の30%が原発で賄われていた。

原発が作り出すエネルギーとしての電力は、日本の経済成長を大きく支えた。

そして結果は・・・。

堕落した政治の故にか、福島にも沖縄にも“不幸”がある。不公平がある。
沖縄の基地に、いつしか多くの人が関心を持たなくなったように、福島の事故に対しても多くの人が関心を持たなくなった。

基地も原発事故も「それがあった」という事実は知っていたものの、それをめぐる様々な事象には、どこか「他人事」として眺めるようになった。

翁長も安保そのものについてははっきり言及していない。要は「押し付け」られた基地への反発なのだ。

いまさらそれを持ち出すつもりはないが、福島原発の電気は、長い送電線を、田園風景とはおよそ不似合いな日本の原風景を下に見下ろしながら、首都圏に送られていたということ。

それを誰しもが、多くの人が知らなかったということ。

そして事故を起こして、多くの放射性物質が飛び散り、大地が汚染され、その尻拭いもまた福島に封じ込まれるという事。

最終処分場の“期限”は30年後。沖縄の基地の30年後は・・・。

政治の堕落。それを象徴するのが政治家の言語だ。

菅官房長官は、「粛々と」と言っていたのを、翁長に“上から目線だ”と抗議されると、きょうは、もうその言葉を使わないと言った。

我が軍といった総理大臣も、その言葉は使わないと言った。それは「過ち」を認めたということでは全く無く、その場しのぎだということ。

政権だけではない。政治の場では、いまや、あまりにも日本語が軽い。日本語を愚弄してさえいる。発した言葉は元には戻せないのだ。

それを「綸言汗の如し」という。

今の政治家には、論語の素養とてないのだろう。政治家としてあるべき姿、人間としてあるべき姿を、彼らに教える人も機関もない。
諫言する人を傍には重用しない。

政治家の素行含めて、「政治の堕落」という言葉にはもろもろ頷けるものありと。

2015年4月5日日曜日

「全てのことに時がある」

きょうはキリスト教の復活祭だ。キリストの復活を祝う日だ。
聖書の中にこんな言葉がる。

<コヘルトの言葉>

何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。

 生まれる時、死ぬ時
 植える時、植えたものを抜く時
 殺す時、癒す時
 破壊する時、建てる時
 泣く時、笑う時
 嘆く時、踊る時
 石を放つ時、石を集める時
 抱擁の時、抱擁を遠ざける時
 求める時、失う時
 保つ時、放つ時
 裂く時、縫う時
 黙する時、語る時
 愛する時、憎む時
 戦いの時、平和の時。

聖書から離れても「時」というのは、さまざまなことで重要視されるはず。
さまざまな事に応用されるはず。

「時を失した」という言葉もある。つまり、タイミングがずれたらまとまることもまとまらんくなるということか。

沖縄、辺野古をめぐる沖縄県知事と官房長官との会談。まさに「時を失した会談、遅すぎた会談ということにならないだろうか。

会談は結果「平行線」のまま。辺野古に基地を作る。作らせないの応酬。
これまで、時日をかけてやってきた辺野古をめぐる動きは、まったくの振り出しに戻ってしまっている。

翁長が知事に当選した時、国の方から、積極的に好意的に、その選挙結果を尊重してのアプローチをしておけば、もしかしたら局面は変わっていたかもしれない。

会談を国が申し出るどころか「粛々と工事を進める」などと強圧的な言辞を言い、振興費を減らしての脅し。会談しないとも言明していた。
これでは沖縄側だって「売られた喧嘩は買うだけ」ということにもなる。喩えの言葉としては適当ではないかもしれないが。

何をもって菅を会談の方向に変えさせたのか。その要因、遠因があるはずだ。
その中には安倍の訪米がからんでいるのだろう。
対米戦略があるのだろうとも思える。

沖縄の基地、辺野古をめぐっての動き、それにアメリカ側は“神経をとがらせている”という動きがあるからだ。

訪米を成功させるための遅すぎた会談だった。そんなことを思う。

たぶん、近々、安倍も会うことになるのだろう。会って“解決”が出来るのか。

もう時期を失したということではないのか。

翁長が“かたくな”になる以前に、思慮をめぐらしている時にあっていれば展開が変わっていたのかもしれないのに。

“怒り”に燃える沖縄県民のこころを静めるのは至難の業にもなったような。

芽生え、根付いた「不信」を除去するには、何十倍もの努力を必要とする。
そんな“単純”なことすらわからないはずはないのだが。

福島も全くのように同じ構図の中にある。全ての福島県民とは言わないが、沖縄県民とて同様だが、東電や国のやり方はすべてに時を失してきた。
“怒り”を増幅させてしまったのだ。

だから被災者を中心にした、そこに在ることは常に揉めるに揉める。3年前の今頃から、国や東電が真摯な姿勢を貫き、「共有する問題」として対処していれば、おしなべての事にある「不信」は生まれなかったし、もろもろの事がもっとスムースに進行していたはず。

沖縄も福島も同じだ。国は「見くびっていた、甘く見ていたのだ」。
苦渋は「他人事だったのだ」。

コヘルトの言葉にはさらにこうある。

 わたしは知った 
 人間にとって最も幸福なのは 喜び楽しんで一生を送ることだ、と
 人だれもが飲み食いし
 その労苦によって満足するのは 神の賜物だ、と。

そして最後はこうある。

  “すべての出来事、すべての行為には、定められた時がある”。


そうなんだよな。終戦の時も”時”を間違えたのだなと。

終戦の詔書、「時運の赴くところ」と、そこにも時期を失しているにも関わらず“時”という字を使った。
やはり「義命の存するところ」ではなかったのだろうか。あの表現は。とも振り返る。

2015年4月4日土曜日

緑が減って行く

家の近所を久しぶりに歩いた。そして驚いた。
田んぼが減っている・・・。

二か所の田んぼが宅地になった。早や家が建設中だ。大手のハウスメーカーの看板や覆い。足場が組まれ、農道にはトラックが。

我が家は、正確な地名では郡山市字賀庄という。
30年近く前は、一帯が田んぼであり、郊外の田園風景だった。

その狭い地域には家が3軒しかない。そう聞かされていた。
「私の家は賀庄ってところなんだけど、家が3軒、そ一つが我が家」。昔いた会社の子が言っていた。

そんな名残か。賀庄町内会というのは無い。近隣の町内会に賀庄の住む人たちは分散して所属している。

そして、その地は、だんだんと宅地化していった。我が家も農地だったところに建てられた建売住宅。

でも、まだ、幸いというか、家の脇や道路の向こうは田んぼだった。
その家に住むことを決めたのは、ちょうど見に行った時に、水が張られた田んぼからカエルの鳴き声がしていたからだ。
田んぼをわたる風が街中では感じられない心地よさを与えてくれたからだった。

住宅需要は高いという。特に「3・11」後、それは顕著になったようだ。
一方、農家の方はコメの価格の値下がりが激しいと聞く。

田んぼの一つは、3・11後“耕作放棄地”となっている。そこには常態のように、道路を通る車から、コンビニ袋が投げ捨てられている。
弁当のカラ、缶コーヒーの空き缶。

まだ作付をしている田んぼの4面は、すでに田植えの準備が始まった。田起こしの作業が行われている。細々と。

家が建つのは結構だ。きっと瀟洒な家が出来るのかもしれない。たとえ小さな家であっても。
でも、そこにあった緑の光景は無くなる。

変貌する地方都市。そう言ってしまえばそれまでだが・・・。

少なくとも犬のマーキングの場所も無くなる。今、宅地化されている場所。そこは犬のマーキングポイントだった。もちろん田んぼの中ではなく、その周りの雑草部分だったけど。

この人口30万人余りの地方都市。そこが「過疎」にあたるのか、「密集地」が広がるということか。その区分けはわからない。

「地方消滅」という言葉が実感できない。

でも、街中に行くと、事務所のある旧市街に行くと、やたら空き家が目立つ。
取り壊されて駐車場になっているところも目に付く。

農地を売る、農地を転用する農家にもそれぞれの事情があるのだろう。
米を作っていりだけでは生計は維持できないのだろう。

水利権料を払い、種苗を買い、トラクターなど農機具の借り賃・・・。

なにとり“後継者”がいないのかもしれない。

農地と言う緑が確実に消えて行っているということ。

航空写真で、数年前と今とを比較してみたら、そこに色を付けてみたら、その変容ぶりは如実にわかるはずだとも。

土が無くなると、どうしても地温は上がるのだろう。風も感じが違ってくるのだろう。

良いとか悪いとかのことでは無い。

この国の中の一つの時代の移り変わりの小さな「点」としての光景だ。
蛙の居場所はだんだん無くなっていくのだろうな・・・。あの季節を告げる鳴き声に癒されていたいと思うのも、ある意味、身勝手な贅沢かもしれないが・・・。

何よりも「除染」ということで、小さな公園や家々の緑も大方無くなったし。それとても、そこに住んでいられるということだけで”贅沢”なのかもしれないが。


2015年4月3日金曜日

春に背いて・・・

その人は突然歌いだした。4畳半の仮設の中で。

今日も暮れゆく異国の丘で、友よ寒かろ切なかろ
我慢だ待ってろ嵐が過ぎりゃ、
帰る日もくる、春が来る・・・。

歌い終わって一呼吸おいて、その人はこう言った。
「俺には春は来ねえな」と。

原発事故で避難した人たちの「帰還」への動きが散見される。

いち早く避難指示が解除され、全村帰村を打ち出した川内村も、帰村率は56%だという。その7割は65歳以上だと言う。
村の東部では12%だと言う。


楢葉では帰村に向けた準備宿泊なるものが来週から始まる。
3ヶ月の“長期宿泊”。

町民は言う。
「泊まろうにも帰る家がない」と。おおよそ千軒が地震で損壊したか、荒廃家屋だ。

南相馬の一部区域では「特定避難勧奨地点解除」の取り消しを求める訴訟も起きている。


帰村出来た都路村。いや、帰村させられたというべきか。帰村率は30%台だ。

「まだ原発が安定していない」「避難先に馴染んでしまった」「帰っても日常生活が、買い物ひとつとてもままならない」などの理由だという。

帰村した区長は言った。

「5年経った。帰ってこない人は、もう帰っては来ないだろう」と。

その都路村にある、国道288号沿いに置かれたフレコンバッグ。大熊、双葉に次いで、中間貯蔵施設に搬入されるという。

とにかく「搬入」が何事も無く進むことを祈るのみだ。

中間貯蔵施設。まだ未完だ。順次運び込むということだ。そこは、除染で出た汚染廃棄物の“墓場”だ。

運び込まれる土、運び込まれる草木。土は草木を育ててきた。草木は人間や動物たちの食物として、命の糧として、その地にあったものだ。

それらはすでにして黒い袋の中で息を止めていたものだろうが、廃棄物として、”墓場“に運び込まれる。
季節が巡っても「生まれ変わる」ことはない。

      こっつん こっつん 打(ぶ)たれる土は
      よい畠になって よい麦生むよ

      朝から晩まで踏まれる土はよい路になって車を通すよ
      打たれぬ土は 踏まれぬ土は 要らない土か
      いえいえ それは名の無い草のお宿をするよ

金子みすゞの詩「土」。

2011年の桜の季節。映画「無人地帯」の監督とカメラマンが福島県を歩いていた。
飯舘村の桜は満開だった。まだ村が全村避難を決める前。長泥も比曾も桜が咲き誇っていた。墓にも寺にも神社にも。

彼らが撮った桜は一つのイメージカットだったのだろうか。随所に桜があった。
桜の枝越しに東電原子力発電所の煙突が垣間見えていた。

その後・・・。あの桜花はどうなったのだろう。やはり「汚染」ということで切り取られ、袋の中に入れられてしまったのだろうか。

その監督は、今、毎日のように東京の各所の桜をスチールカメラに収めている。

無人地帯の続編を彼は作ると言っていた。そのタイトルは確か仮題ではあろうが「次の春へ」だったように記憶している

2015年4月2日木曜日

桜花の季節に・・・

まさに、今は桜の季節だ。郡山でも、いわきでも、福島でも桜の開花が伝えられる。

テレビはこのところ連日「桜報道」だ。とにもかくにも日本人は桜が好きであり、桜に想いを託し、桜の季節を謳歌し、桜にさまざまな事をなぞらえ、思う。

歌人は、桜の季節に多くの歌を詠んだ。桜花に人生を見るかのように。

“深草の野辺の桜し心あらば 今年ばかりは墨染めに咲け”

藤原基経が亡くなった悲しみを、上野岑雄と言う人が詠んだ歌である。古今和歌集にある一句だ。

2011年の春、桜の季節。この歌を思い浮かべ、その中に身も心も置いていた。

しかしあの年の桜も艶やかだった。桜に戸惑って記憶・・・。

夜ノ森公園の桜の写真を一枚持ってビッグパレットの座っていた御婦人。

富岡町役場がホームページに公開した、その夜ノ森の桜並木。見る人はだれもいないのに、いつもの年のように満開になっていた桜のトンネル。

夜ノ森公園には何回も行った。桜に会いに。2時間以上の時間をかけて。引き付ける物があったのだろうか。

夜桜、あのトンネルの中に身を置いていると、桜の妖気を感じたこともある。
恐ろしささえあった。
逃げるようにその場を去った時もある。漆黒の闇の中の国道288号。妖気に追いかけられているような気がして、懸命にアクセルを踏んでいた。

2012年。郡山のカトリック墓地から眼下を流れる逢瀬川の桜を見下ろしていた。墓地の桜は幾多の墓を守っているようにも見えた。

2013年。逢瀬川沿いを歩いた。川沿いの桜を見上げていた・・・。

2014年、近所の笹原川の桜に会いに行った。久しぶりの“再会”。
喜んで桜が迎えてくれていたようにも思えた。
そして荒池公園の桜にも会いにいった。
犬を連れて。

桜の傍らには除染で出た廃棄物がプレハブ仕立ての囲いで覆われていた。隠されていた・・・。

被災地では、桜の苗木を植える運動が行われているという。子どもたちによって。その子たちの成長と桜の成育がどう同調するのだろうか。

富岡の桜、夜ノ森の桜。一部の除染が終わったと聞いた。一時帰宅をした人達がそれを眺められるようにと昼間の立ち入りが認められるとも聞いた。

咲き誇る桜と、その脇にある朽ち果てそうな建物と。
そのコントラストは観る人にどう映るのだろうか。

今年もどこかで桜を見るつもりだ。

人為がいかにあろうとも、変わらずに咲く桜。季節になると必ず咲く桜。

ペリュリュー島だったか。戦中、玉砕する部隊が本土に打電した最後の言葉。
「サクラ・・・サクラ・・・」だったと言う。
海軍兵学校の学生たちは愛唱していたという。♪咲いた花なら散るのは覚悟、見事散りましょ国の為・・・♪。

ポーランドの詩人、ヴィスワヴァ・シンボルスカの「眺めとの別れ」。

//またやって来たからと言って春を恨んだりはしない
例年のように自分の義務を果たしているからと言って
春を責めたりはしない

わかっている、私がいくら悲しんでもそのせいで緑の萌えるのが
止まったりはしないと・・・//

3・11の後、桜はもっとも”難しい花”になったような気がして。

2015年4月1日水曜日

「メシを食う」ということ

2011年、あの大震災、原発事故後。この国の中枢、総理大臣官邸は大混乱の極致にあった。為す術もないと言った状況と見えた。組織としての意識の共有も、的確な判断も指示も無く、政治家・官僚・東電幹部・専門家が右往左往しているとも見えた。

窮余の一策。菅直人は自民党の谷垣総裁に「大連立」を持ちかけた。救国内閣で乗り切ろうとして。

谷垣は一蹴した。

「菅さんとは当選同期だ。顔は知っている。が、彼とは一回も酒を飲んだことも無いし、メシを食ったこともない。どういう人だかわからない。その人と連立を組むわけにはいかなかった」。

「歴史は夜つくられる」。そんな題名の映画が昔あった。

歴史は夜、大衆が寝静まったころ、つまり知らない間に、気づかない間に、作られていく。そういう意味だと解釈している。

2011年の逸話を、現実的なこととして、いや、政治の常道として言い換えるならば、「メシ」とは「夜」に重ならないか。
夜、メシを一緒に食わなければ、国の命運にかかわることでも我関せずということなのか。そんな思いがあった。

そう、自らの経験からしても、日本の政治の歴史は「夜」作られてきたのだ。

それはともかく、谷垣の判断は、その後の自民党政権復帰、安倍政権誕生には大いに寄与したことになる。もし、大連立を組んでいたら、その後の政治的展開がどうなっていたかわからないから。

しかし、あの時、多くの被災者が苦しみ悲しんでいるとき、多くのボランティアが被災地に向かい、支援の輪を広げ、福島では、子ども達が「放射能」で苦しんでいる時、政治の転換点を「メシを食ったか食わないか」で決めるという事をなんと見ればいいのだろう。

メシを食ったか食わないかで政治が決まると言うこと。

安倍もよくマスコミ人、その関係者とメシを食う。メシを食うと言うことは政治の方向性に関係する。
この二年間で会食なるものは延べ60回。

気心の知れた仲になるにはメシを食うという事が一番大事なことなのだ。
お互いにだ。

永田町の政治の要諦、メシを食う。それにメディアの人間が躊躇なく乗っかると言うこと。

一緒にメシを食った人間は、安倍にとって「信頼がおける人物」ということになるのだろうか。「連立」ではないが「連携」が生まれると言うことなのだろうか。


先日書いた92歳の婦人のこと。その人の姉は初台で一人暮らしだった。
人見知りする性格だったようだ。

家人は声を掛けたという。「なんか困って居ることがあったら、遠慮なく言ってくださいね」と。二回目に声を掛けた時、その人は言ったという。

「お願いがあるの。ランチを一緒にしてくれない」と。

いつも一人で食事をしていることの孤独感から逃れたかったのだろう。
近所の蕎麦屋に行った時、心から嬉しそうな表情をしていたと言う。
そして、とびっきりのオシャレをしてきていたそうだ。


きょうも一人、仮設でテレビを見ながら食事をしている高齢者もいるだろう。

家族そろって夕食の団欒を楽しんでいる家庭もあるだろう。

親子三代が揃って食べる夕食。その楽しみを奪われた家族も多々いるという現実。

とにかく夕飯は家族一緒で。そんな“掟”を作っている家族のあると言う。

同じ釜の飯ではないけれど、例えば運動部の合宿所でも、数十人が一緒にワイワイガヤガヤ飯を食う。それは「団結力」にもつながるとも言う。

人は生きるためにメシを食う。メシを食わねば生きてはいけない。
食事とは一番大事なことなのだ。政界を生きていく、権力との間合いを計りながら生きていく。そのためには「メシ」が必要なのだということ。

何処で何を食うかよりも誰と食うかが問題だ。そんなことを言っていた人もいた。

「メシを食う」ということへの想いは様々・・・。