2015年4月9日木曜日

「悲しい歴史」とその人は言われた

天皇、皇后両陛下が悲願であったパラオを、あの悲劇の島ペリュリュー島を訪問された。

慰霊の旅。

きのう出発にあたって天皇陛下はお言葉を述べられた。

「太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」。

この時、陛下はメモから目を離し、眼の前に立つ安倍首相の目を見ておられたようだった、

「忘れてはならない」は「いつまでも覚えていますから」というお気持ちではなかったのかと感想を寄せてくれた若い子がいる。
自分の名前を忘れないと同じように、覚えていて当たり前だというお気持ちだったのではともその子は言った。

パラオでの歓迎晩さん会。

「先の戦争においては、貴国を含むこの地域において日米の熾烈(しれつ)な戦闘が行われ、多くの人命が失われました。日本軍は貴国民に、安全な場所への疎開を勧める等、貴国民の安全に配慮したと言われておりますが、空襲や食糧難、疫病による犠牲者が生じたのは痛ましいことでした」。

そう述べられて上で、こう言われた。

「ここパラオの地において、私どもは先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います」。

亡くなったすべての人への追悼。


慰霊碑に日本から持参したという菊の花を手向け、深く頭を垂れる両陛下。その後ろ姿からは、“万感の想い”が伝わってきた。
慰霊碑を離れて、“美しい海”に目をやりながら、もう一つの激戦の島、アンガウル島に向かっても頭を垂れておられた。


天皇陛下には必ずと言ってもいいほど訪れられる祈りの場所と祈りの日がある。

沖縄には10回行かれている。そして、広島・長崎。

「忘れてはならない場所」なのだ。

ペリュリュー島にしても、硫黄島にしても、まだ遺骨はほとんど収集されていない。
骨は異土で眠っている。草生している。

なぜ国を挙げて遺骨収集にあたらないのか。そこが、彼らの、英霊の永遠に眠る地なのか。

遺骨が祖国に戻らなければ「戦後は終わらない」のだ。

英霊は靖国だけに居るのではない。天皇は靖国参拝はされていない。

好んで靖国参拝をする政治家たちがいる。

あの3・11後、それを自らの使命とし、それを為すことの意味を承知していた両陛下は、被災地の避難所を回られた。

その姿は美しかった。

両陛下に激励され、悲しみくれるだけではなく、立ち上がろうと思った被災者たちも多くいた。

何回も折に触れて書いてきた。「天皇陛下がおられてこの国は助かったのだ」と。

両陛下は、「忘れてはいけないもの」にこだわることの大切さを体を張って伝えたかったのではないか。そう思える。

忘れてはいけない、記憶に留めなくてはならない。3・11もまさにそれだ。
両陛下の後ろ姿にそれをどれだけの人が敷衍して考えただろうか。

「慰霊地は今安らかに水をたたふ如何ばかり君ら水を欲りけむ」。皇后陛下が硫黄島を詠まれた歌である。
「激しかりし戦場の跡眺むれば平らけき海その果てに見ゆ」。天皇陛下が沖縄平和祈念堂で詠まれた歌である。

来年の歌会始め。きっと両陛下はパラオの海を見た、その、悲願の地に立った想いを詠われるだろうと思う。その歌を心静かに待つ。

2012年の時が、東日本大震災を詠まれたように。悲しみに目をむけ、弱者に目を向けるその目線・・・。「平和大国日本」と昭和22年に書き初めで書かれた陛下。その平和を熱望する両陛下・・・。

その両陛下にあらためて信を置く。

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