2015年4月1日水曜日

「メシを食う」ということ

2011年、あの大震災、原発事故後。この国の中枢、総理大臣官邸は大混乱の極致にあった。為す術もないと言った状況と見えた。組織としての意識の共有も、的確な判断も指示も無く、政治家・官僚・東電幹部・専門家が右往左往しているとも見えた。

窮余の一策。菅直人は自民党の谷垣総裁に「大連立」を持ちかけた。救国内閣で乗り切ろうとして。

谷垣は一蹴した。

「菅さんとは当選同期だ。顔は知っている。が、彼とは一回も酒を飲んだことも無いし、メシを食ったこともない。どういう人だかわからない。その人と連立を組むわけにはいかなかった」。

「歴史は夜つくられる」。そんな題名の映画が昔あった。

歴史は夜、大衆が寝静まったころ、つまり知らない間に、気づかない間に、作られていく。そういう意味だと解釈している。

2011年の逸話を、現実的なこととして、いや、政治の常道として言い換えるならば、「メシ」とは「夜」に重ならないか。
夜、メシを一緒に食わなければ、国の命運にかかわることでも我関せずということなのか。そんな思いがあった。

そう、自らの経験からしても、日本の政治の歴史は「夜」作られてきたのだ。

それはともかく、谷垣の判断は、その後の自民党政権復帰、安倍政権誕生には大いに寄与したことになる。もし、大連立を組んでいたら、その後の政治的展開がどうなっていたかわからないから。

しかし、あの時、多くの被災者が苦しみ悲しんでいるとき、多くのボランティアが被災地に向かい、支援の輪を広げ、福島では、子ども達が「放射能」で苦しんでいる時、政治の転換点を「メシを食ったか食わないか」で決めるという事をなんと見ればいいのだろう。

メシを食ったか食わないかで政治が決まると言うこと。

安倍もよくマスコミ人、その関係者とメシを食う。メシを食うと言うことは政治の方向性に関係する。
この二年間で会食なるものは延べ60回。

気心の知れた仲になるにはメシを食うという事が一番大事なことなのだ。
お互いにだ。

永田町の政治の要諦、メシを食う。それにメディアの人間が躊躇なく乗っかると言うこと。

一緒にメシを食った人間は、安倍にとって「信頼がおける人物」ということになるのだろうか。「連立」ではないが「連携」が生まれると言うことなのだろうか。


先日書いた92歳の婦人のこと。その人の姉は初台で一人暮らしだった。
人見知りする性格だったようだ。

家人は声を掛けたという。「なんか困って居ることがあったら、遠慮なく言ってくださいね」と。二回目に声を掛けた時、その人は言ったという。

「お願いがあるの。ランチを一緒にしてくれない」と。

いつも一人で食事をしていることの孤独感から逃れたかったのだろう。
近所の蕎麦屋に行った時、心から嬉しそうな表情をしていたと言う。
そして、とびっきりのオシャレをしてきていたそうだ。


きょうも一人、仮設でテレビを見ながら食事をしている高齢者もいるだろう。

家族そろって夕食の団欒を楽しんでいる家庭もあるだろう。

親子三代が揃って食べる夕食。その楽しみを奪われた家族も多々いるという現実。

とにかく夕飯は家族一緒で。そんな“掟”を作っている家族のあると言う。

同じ釜の飯ではないけれど、例えば運動部の合宿所でも、数十人が一緒にワイワイガヤガヤ飯を食う。それは「団結力」にもつながるとも言う。

人は生きるためにメシを食う。メシを食わねば生きてはいけない。
食事とは一番大事なことなのだ。政界を生きていく、権力との間合いを計りながら生きていく。そのためには「メシ」が必要なのだということ。

何処で何を食うかよりも誰と食うかが問題だ。そんなことを言っていた人もいた。

「メシを食う」ということへの想いは様々・・・。

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