家の近所を久しぶりに歩いた。そして驚いた。
田んぼが減っている・・・。
二か所の田んぼが宅地になった。早や家が建設中だ。大手のハウスメーカーの看板や覆い。足場が組まれ、農道にはトラックが。
我が家は、正確な地名では郡山市字賀庄という。
30年近く前は、一帯が田んぼであり、郊外の田園風景だった。
その狭い地域には家が3軒しかない。そう聞かされていた。
「私の家は賀庄ってところなんだけど、家が3軒、そ一つが我が家」。昔いた会社の子が言っていた。
そんな名残か。賀庄町内会というのは無い。近隣の町内会に賀庄の住む人たちは分散して所属している。
そして、その地は、だんだんと宅地化していった。我が家も農地だったところに建てられた建売住宅。
でも、まだ、幸いというか、家の脇や道路の向こうは田んぼだった。
その家に住むことを決めたのは、ちょうど見に行った時に、水が張られた田んぼからカエルの鳴き声がしていたからだ。
田んぼをわたる風が街中では感じられない心地よさを与えてくれたからだった。
住宅需要は高いという。特に「3・11」後、それは顕著になったようだ。
一方、農家の方はコメの価格の値下がりが激しいと聞く。
田んぼの一つは、3・11後“耕作放棄地”となっている。そこには常態のように、道路を通る車から、コンビニ袋が投げ捨てられている。
弁当のカラ、缶コーヒーの空き缶。
まだ作付をしている田んぼの4面は、すでに田植えの準備が始まった。田起こしの作業が行われている。細々と。
家が建つのは結構だ。きっと瀟洒な家が出来るのかもしれない。たとえ小さな家であっても。
でも、そこにあった緑の光景は無くなる。
変貌する地方都市。そう言ってしまえばそれまでだが・・・。
少なくとも犬のマーキングの場所も無くなる。今、宅地化されている場所。そこは犬のマーキングポイントだった。もちろん田んぼの中ではなく、その周りの雑草部分だったけど。
この人口30万人余りの地方都市。そこが「過疎」にあたるのか、「密集地」が広がるということか。その区分けはわからない。
「地方消滅」という言葉が実感できない。
でも、街中に行くと、事務所のある旧市街に行くと、やたら空き家が目立つ。
取り壊されて駐車場になっているところも目に付く。
農地を売る、農地を転用する農家にもそれぞれの事情があるのだろう。
米を作っていりだけでは生計は維持できないのだろう。
水利権料を払い、種苗を買い、トラクターなど農機具の借り賃・・・。
なにとり“後継者”がいないのかもしれない。
農地と言う緑が確実に消えて行っているということ。
航空写真で、数年前と今とを比較してみたら、そこに色を付けてみたら、その変容ぶりは如実にわかるはずだとも。
土が無くなると、どうしても地温は上がるのだろう。風も感じが違ってくるのだろう。
良いとか悪いとかのことでは無い。
この国の中の一つの時代の移り変わりの小さな「点」としての光景だ。
蛙の居場所はだんだん無くなっていくのだろうな・・・。あの季節を告げる鳴き声に癒されていたいと思うのも、ある意味、身勝手な贅沢かもしれないが・・・。
何よりも「除染」ということで、小さな公園や家々の緑も大方無くなったし。それとても、そこに住んでいられるということだけで”贅沢”なのかもしれないが。
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