まさに、今は桜の季節だ。郡山でも、いわきでも、福島でも桜の開花が伝えられる。
テレビはこのところ連日「桜報道」だ。とにもかくにも日本人は桜が好きであり、桜に想いを託し、桜の季節を謳歌し、桜にさまざまな事をなぞらえ、思う。
歌人は、桜の季節に多くの歌を詠んだ。桜花に人生を見るかのように。
“深草の野辺の桜し心あらば 今年ばかりは墨染めに咲け”
藤原基経が亡くなった悲しみを、上野岑雄と言う人が詠んだ歌である。古今和歌集にある一句だ。
2011年の春、桜の季節。この歌を思い浮かべ、その中に身も心も置いていた。
しかしあの年の桜も艶やかだった。桜に戸惑って記憶・・・。
夜ノ森公園の桜の写真を一枚持ってビッグパレットの座っていた御婦人。
富岡町役場がホームページに公開した、その夜ノ森の桜並木。見る人はだれもいないのに、いつもの年のように満開になっていた桜のトンネル。
夜ノ森公園には何回も行った。桜に会いに。2時間以上の時間をかけて。引き付ける物があったのだろうか。
夜桜、あのトンネルの中に身を置いていると、桜の妖気を感じたこともある。
恐ろしささえあった。
逃げるようにその場を去った時もある。漆黒の闇の中の国道288号。妖気に追いかけられているような気がして、懸命にアクセルを踏んでいた。
2012年。郡山のカトリック墓地から眼下を流れる逢瀬川の桜を見下ろしていた。墓地の桜は幾多の墓を守っているようにも見えた。
2013年。逢瀬川沿いを歩いた。川沿いの桜を見上げていた・・・。
2014年、近所の笹原川の桜に会いに行った。久しぶりの“再会”。
喜んで桜が迎えてくれていたようにも思えた。
そして荒池公園の桜にも会いにいった。
犬を連れて。
桜の傍らには除染で出た廃棄物がプレハブ仕立ての囲いで覆われていた。隠されていた・・・。
被災地では、桜の苗木を植える運動が行われているという。子どもたちによって。その子たちの成長と桜の成育がどう同調するのだろうか。
富岡の桜、夜ノ森の桜。一部の除染が終わったと聞いた。一時帰宅をした人達がそれを眺められるようにと昼間の立ち入りが認められるとも聞いた。
咲き誇る桜と、その脇にある朽ち果てそうな建物と。
そのコントラストは観る人にどう映るのだろうか。
今年もどこかで桜を見るつもりだ。
人為がいかにあろうとも、変わらずに咲く桜。季節になると必ず咲く桜。
ペリュリュー島だったか。戦中、玉砕する部隊が本土に打電した最後の言葉。
「サクラ・・・サクラ・・・」だったと言う。
海軍兵学校の学生たちは愛唱していたという。♪咲いた花なら散るのは覚悟、見事散りましょ国の為・・・♪。
ポーランドの詩人、ヴィスワヴァ・シンボルスカの「眺めとの別れ」。
//またやって来たからと言って春を恨んだりはしない
例年のように自分の義務を果たしているからと言って
春を責めたりはしない
わかっている、私がいくら悲しんでもそのせいで緑の萌えるのが
止まったりはしないと・・・//
3・11の後、桜はもっとも”難しい花”になったような気がして。
2015年4月2日木曜日
“チェルノブイリ”異聞
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