2015年4月20日月曜日

落花は枝に還らずとも

この地では大方桜花は散った。まさに一夜にしてといったあんばいだ。
桜の木は緑の葉に変わった。

雨の舗道に落ちた桜の花びら・・・。一陣の風が持て運ぶでもなく、雨靴に踏みしだかれていくのだろうか。

今年の桜はなんとなくその季節が短かかたような気がする。

散る桜、残る桜も散る桜。
散らばこそいとど桜はめでたけれ、この世に何か久しかるらん。

散る桜への“手向け”のような句が浮かぶ。

芥川賞作家、玄侑宗久の寺、三春の福聚寺。そこには見事な紅枝垂れがあった。その枝垂れ桜の散り際、寺を訪れたことがある。
その山門にはこんな句が掲げられていた。
「散る花を風の咎とは思い召めさるな」。

夜の森の桜もおもう散ったのだろうか・・・。


「落花は枝に還らずとも」という会津藩士、秋月悌次郎の生涯を描いた本がある。中村彰彦の著作だ。

その中にこう書かれている。
「一度枝を離れた落花は、その枝に還って咲くことは二度と出来ない。しかし、来年咲く花の種になることはできる」と。

路傍に身を置く桜花は、その名残は、どこかで種になって来年会えるのだろうか。

桜花とはあまりにも華麗であるだけに、その散りざまは残酷さを伴ってくるようにも思えて・・・。

もちろん皇居の桜も散っただろう。千鳥が淵を覆うように咲いていた桜も去ったのだろう。

沖縄を想う。昭和20年、米軍が沖縄に上陸したのは3月の末だった。その頃には沖縄の桜もすでに散っていたはず。
迫りくる米軍の足音を、空襲を予感しながら、沖縄の人はどんな思いで桜をみていたのだろうか。

平成天皇は沖縄に10回慰霊に訪れられている。侍従の話しによれば陛下の書斎には沖縄に関する本が山と積まれていたという。
沖縄の事をそれだけ学ばれていたということだ。沖縄を知ったが故の10回にも及ぶ慰霊の旅。

一昨日、八重桜が満開の新宿御苑では恒例の総理の桜を観る会が催されていた。
春風が吹く中、御苑には満面の笑顔の安倍の姿があった。

なぜ招待されたのかは知らない。安倍を「バカ、バカ」と言った爆笑問題のお笑いタレント太田光がいた。

安倍が誘ったということだが、記念撮影がされていた。笑顔の安倍、笑顔でおちゃらけたポーズをとる太田。

まさにバカと阿呆のからみあいの態。
テレビであれだけ安倍をバカ、バカと言った奴。でもそれはお笑いタレントということで安倍にとっては何の痛痒も無い事なのだ。もしかしたら安倍は根っからのタレント好きなのかもしれない。

笑いのネタではなく、真面目に安倍を批判したテレビのコメンテーターは“抹殺”されるというのに。

バカと阿呆の絡み合い。それは鶴田浩二の”傷だらけの人生“という歌の文句だ。
歌の出だしはこうある。♪何から何まで真っ暗闇よ、筋の通らぬことばかり・・・♪

会津藩士として、あの幕末の時代に奔流され、維新後は日本の教育者の一人としてこの国の礎となった秋月悌次郎。

彼が学んだ会津の藩校日新館。そこの桜も見事だったのだろうと・・・。

2 件のコメント:

TACO さんのコメント...

亭主さま、
「明日ありと思ふ心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」(親鸞聖人)
あべ桜はどんな嵐が吹いても散りません。造花ですもの~。
ついでに、♪今日も更けゆく異国の丘に 友よ辛かろう切なかろう。我慢だ待ってろ嵐が過ぎりゃ、帰る日もくる春もくる♪(異国=日本、友=民、嵐=○○)

亭主|瀬川 賢一 さんのコメント...

tacoさま
返歌です(笑)
「限りあれば吹かねど花は散るものを 心短き春の山風」
会津藩主蒲生氏郷の辞世です。
安倍造花論に一票!

はてさて嵐を何に喩えるか。今世紀最大の難問なり。
花に嵐の例えもあるさ、さよならだけが人生さ。と太宰を気取るわけにもいかず・・・。