2010年3月15日月曜日

訃報相次ぎ

季節の変わり目と世間ではよくいわれますが。体調崩すのも然り。この数日、親しかった人の訃報が相次ぎ。いささか滅入っている次第。


田中角栄の金庫番と言われ、越山会の女王といわれた佐藤昭さんが先日亡くなり。報道で知った次第。往時、よく行を共にし、楽しい一時を過ごした人。昭さんの近くにいる人に早速電話。入院一週間で亡くなったとか。周りの者にこころの準備をさせる時間を与えて。以前からガンで体調崩しているとは聞いていたものの、今年の初め、電話で話したのが最後。だいぶ耳が遠くなっていたけれど。話せば往時のこと必定。「あの時代は終わったわね」。最後の会話だった。入院前、麻雀やろうなんて言っていたとか。気丈な人だった。角さんがかつて言った。「金庫番は女に限る。裏切らない」と。まさに田中角栄と一緒に歩んで来た人・・・・。越山会に出入りしていた頃の亭主の一つの時代が終わった感あり。


「ゴメンね、知らせなくて。マスコミがウルサイから誰にも教えなかった」と近くにいるひとの言。「お別れ会も止めようと思う。死んでも"淋しき越山会の女王"って週刊誌に書かれるかもしれないけど」。「それがいいと思うよ。表に出るのが得意なひとじゃなかったから」。「そう思ってくれる。ありがとう、そうする」。


小沢一郎は密かに訪れ、枕辺にぬかずんだとか。そう、小沢一郎のことは気にかけ心配していた。小沢の胸中、忖度の限りではないが。


郡山の饅頭屋。柏屋の会長、本名善兵衛さんが昨日逝去。まだ若い。満78歳。病床で自宅の裏にある公園の花見を企画していたとか。前日まで元気そうだったのに急変したとか。ロウソクの火が消えるようにと。仲のいいご夫婦だった。奥さんのまり子さんがいつも影のように付き従い。車椅子を押し。おしどり夫婦の典型。十年以上前の入院時には夫婦で一緒に入院。片時も離れられないといった様子。にもかかわらず・・・・。昨日はお二人の結婚記念日だったと。ご自宅弔問。別れの挨拶をさせてもらい。いろいろ教えられた御仁。ありがとうございましたとの言葉しか浮かばず。


親しい人の死にあうと自らの死を思う。いつ、どんなかたちで訪れるかは見当もつかないものの。残されるはずの者への負担をなるべく軽くするために、なんらかの始末や整理、留め置き書を残さねばとも。


本日も陽光ささず。こころうち沈み。今、この瞬間にも、日本で、世界で、多くの人が現世と別れている。幾多の死を思うことしきり。



“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...