柏屋善兵衛さん、きのうが通夜。きょうが葬儀。親しくさせていただいたものとして参列。通夜の導師は郡山の浄土宗善導寺の坊さん。読経の最初はー。
「月影の至らぬ里はなけれども ながむる人の心にぞ住む」。法然上人の弥陀の本願を詠んだ句。この一句で通夜の空気が出来上がる。引き込まれる。故人を偲ぶ心が増す。「ご一緒に念仏を」と。南無阿弥陀仏の唱和。口ごもりながらも唱えていると心が落ち着いてくるような。遺影を見詰めてつぶやいているといろんな想いが巡り。参列者、少なくとも亭主のこころは浄化されるようで。いい通夜でした。
最近、知人がこれと似たような句を教えてくれました。富山県の僧侶の句だとか。「重い墓の下には行かぬ。縁ある人のこころにぞ住む」。
果てさて、亭主はどこまで達観出来るのか。自らの身の処し方なのに何も見いだせず。きょうの葬儀でも自分の事に関してまた思いをめぐらすことになるのではないかと。
先日書いた越山会女王の死。やはり週刊誌には「淋しき越山会の・・・」と見出しが踊っていました。今年の正月、多分、病床からだったのか。彼女から来た年賀状を見返しています。
印刷された賀状の脇にペンで添え書きあり。「あまりの政治と学力の貧困にあきれ返っています 田中時代が懐かしく想い出されています」とありました。ふと浮かぶ古語。「人のまさに死せんとするや、その言やよし」。佐藤昭さんの心にも月影が住んでいますように。
天候不順。このところ月影は見えないようですが・・・。