2012年6月30日土曜日

飾りじゃないのよ“バッジ”は~~

野田首相の背広の襟にはいつもついている青いバッジ。反野田、小沢側近の東なんとかもいつも付けている。他にもいるかもしれないが、テレビの露出でわかった・・。
あの青いバッジ。つまりブルーリボン、北朝鮮拉致被害者の会のシンボル。
拉致担当相も付けているだろうがあまり露出がないので・・。

バッジは付けているが、「拉致問題」についての、少なくとも政界の動きは、それが言辞だけだとしても、とんと聞かない。

そりゃそうだ。政局に明け暮れている日々。拉致は眼中にないのかもしれない。しかし、なんかこれみよがしにつけているようなブルーリボン。小沢がつけているのは見たことも無いが。

飾りじゃないのよバッジは~~とつぶやく亭主。

「この胸の議員バッジにかけて!」と叫ぶ国会議員がいる。「バッジを外す覚悟で」という議員もいる。
議員バッジ。衆議院と参議院では色が違う。もう一つ。前議員バッジといういろの違うものもある。それを襟につけて回っている前議員、そう落選議員。
前でもバッジつけていれば国会内の通行はOK。

昔、自民党に田村 元という大物政治家がいた。彼は議事堂や議員会館を後にすると、すぐバッジを外していた。いわく。「あれは国会の通行手形だ」と。
「夜遊びの邪魔になるからではないですか」とからかった覚えあり。笑って答えなかったが。
そういえば、松野頼三と言う人もプライベートになると必ずバッジを外していた。息子の民主党頼久がどうしているかはしらないが。国会内でもかなりくだけた格好をしているのがテレビに映っていた。

バッジ・・・・。検察官のバッジは秋霜烈日。秋の冷たい霜や夏の激しい日差しのような気候の厳しさを例えに、その職責の重さを説いたものとされている。刑罰に対しても、自分自身にたいしても厳しさを求めたものと。

大阪地検、東京地検の特捜部検事。捜査報告書書き変え。逮捕されたり、辞職したり。彼らのバッジは単なる飾りだったんだと。

通称、護衛さん、警視庁の警護官、SP。昔は目立つ赤色だった。最近見たら白に変わっていた。ネクタイも赤が相場となっていたけど・・・。

それが決まりなのか、誇りなのか。会社のバッジを付けている人も数多く見かける。夜、飲み屋で外している光景も。

福島の中学生が校章をつけた制服で東京の電車に乗った。校章、制服で、福島とわかりもの。彼らはそれが“誇り”だった筈。しかし・・・。それは「差別」や「汚物」としての対象にされた・・。

テレビで見かける芸能人やスポーツ選手の襟にもバッジのようなものが流行っている。それは、今風の「おしゃれ」なんだそうだ。

バッジ。それは飾り、装飾品なのか、誇りなのか、自らを律するものなのか。

ブルーリボン。あれもいっときのはやりだったのか。最近はメディアでも拉致の話題はとんと聞かなくなった・・・。

2012年6月29日金曜日

それでも”日産”の車を買いますか

企業の株主総会もほぼ終了。国家公務員も今日ボーナス支給。公務員ボーナス9%余り減の平均51万円余り。
それにしても驚いた。日産のカルロス・ゴーン社長の年俸、なんと8億9千万円。取締役9人で17億5千100万円。
トヨタの取締役27人分が9億7200万円。27人がゴーン一人に匹敵するっていう数字。

たしかにカシオ電機の創業者の樫尾俊夫氏の報酬は13億3千万。でも、これには退職慰労金、13億1千万が入っているから。別問題。
それしても樫尾氏は故人。相続税げがぼってやられるだろうし、遺産相続も大変だろうと。余計な他人の財布勘定。

亭主が7年前に貰った退職金は500万円余り。加算分も規定ではあるはずなのだけど、それは社長さまの意向でカット。最高権力者の“嫉妬”とは、かように怖い。
で、今や全部食いつぶしました。ま、私事はどうでもよく。

8億9千万円の中味はわかりません。ストックオプション分もあるかもしれないし。税金も相当払わねばならないとは思うけど。

国内企業では過去最高の数字とか。とにかく、これだけの給料を貰っている人がいるということ。

会社の利益が上がるから社長の報酬もあがる。会社の利益は車を買う人がいるっていうこと。
なぜ、これだけ車が売れたのか。エコカー減税なるものが消費意欲を押し上げたため。ここにだけあった“減税”って言葉。

消費税増税で国論は二分。年に何万円の出費増、庶民の暮らしは苦しくなるという。
消費税には無関係な、かけ離れた額の給料貰う人がいる。

必要に迫られて車を買う人。家計とにらめっこしながらローン組んで。結果、社長は9億円。あなたはそれでもニッサンの車を買いますか・・・。

ま、資本主義、グローバリズム。当然ではあるのでしょうが。民主主義社会でもあって資本対労働という対立軸。

労働の側に立つ組織であるはずの連合なるものが、デタラメ政権を支えるって構図。
思い出す。労働貴族って言葉。総評の幹部が常連だった東京・芝の高級フランス料理店。

従業員1,000人以上の企業の社員の平均給与を参考にしたという東電社員の年収。平均570万円。暴かれた東電病院の“怪”。

被災地の病医の、あまりにもひどすぎる実情をルポする新聞。その幹部は購読料に関わる税金の減免措置を申し入れるって“怪”。

在京キー局のトップの年収も1億円を下らない。能書きたれてる「フリー」のキャスターの年収は。

金持ちが消費増税を怒ることの説得力の無さ。

あなたはそれでもユニクロで服を買いますか。あなたはそれでもソフトバンクの携帯を買いますか。

昨日、夕方の仮設住宅の光景。
狭い部屋の開け放った窓から、表をぽつねんと見ている爺さん。寄って行けと手招きする。ばあちゃんが手もみのキュウリを持ってくる。
「なんか一杯飲みたいね」
「そうだな」
「ビールでも買ってくるか」
「そうだな、ごっつおうになっかな」
買ってきたアサヒスーパードライ。
「なんだい、こんな高いビール。もっと安いのあっぺ」
「ま、いいさ、冥土の土産だってな」。
部屋の中のテレビでニュースをやっている。1号機の無人カメラ。測定された高い放射線量。じいちゃんはもはや無関心。興味無しの気配。
「このテレビもタダで貰ったしな・・・」。

テレビはソニーの商品。経営苦しいと言われながらも、大幅ダウンと言いながらも最高経営者、ストリンガー氏の年俸は4億円以上・・・。

1億円の宝くじも求めて売り場に並ぶ“庶民”。その名もドリームジャンボ。夢なのです。1億円は・・・。

こういうこと書くのって「ひかれものの小唄」っていうんだろうね。

2012年6月28日木曜日

どさくさまぎれの”核条項”かと

福島県石川郡石川町。国道118号を須賀川から30分余り南下していくその町がある。今でもあるだろうか。町の入口にある看板。「ようこそ水晶の町へ」。

石川町に水晶はあるのか。水晶は出るのか。出ない。水晶とはウランのこと指すんだ。町の古老がかつて教えてくれた。なぜそれを知ったか。昔あった巨悪犯罪、吉展ちゃん事件の犯人小原保の出身が石川であり、そのことを知りたくて石川に日参している時に”ウラン“の話に出会った。

第二次大戦中、核兵器を開発しようとした政府や軍部は、石川町に多くの学者や研究者、軍人を密かに送り込み、ウラン発掘に躍起になった。結果、無理な“作戦”だったのだが。

原子力規制庁法案にからんで、原子力規制委員会設置法の条文の中で、原子力基本法を変更する条項が付け加えられた。

2条の基本方針で原子力研究・開発・利用は「平和目的に限る」とされているところに、「安全保障」を加えた。

民主・自民・公明の三党修正協議の中で、自民党から要求があって加えたものとか。しかも、法案の提出者は福島県選出の自民党の吉野正芳。
安全保障の意味について、国会で「核物質の軍事転用を防ぐ、IAEAの保障措置を指す」と苦しい答弁をしている。

安全保障、すなわち我が国の安全保障。米国の核の傘、自前の核武装とつながる言葉のような気がする。見過ごせない。

まさに「どさくさ」に紛れての、消費税政局の中で、あさっりと・・・。

非核三原則は日本の国是とされてきた。最近、それを見直そうと言う動きがある。

原発と核。その歴史をさかのぼれば、車の両輪だったような。核兵器開発が出来ないため、それがいつでも出来るようにという、衣の下の鎧って感じの原子力発電だったような。

核の呪縛からは、どうやっても逃れられないってことか。

原子力規制庁や規制委員会。そこで復活する「安全保障に資する」という、いかがわしい条項。

このこと、大々的に報道し、問題視したメディアは少ない。狂ったように政局、政局、消費税。
それこそこの条項を巡って100時間も国会論戦あってもしかるべきかと

2012年6月27日水曜日

よってたかっての“茶番劇”

さてさて、今日の永田町の気配はいかに。台風一過。壊れたトタン屋根の修理かな。

東京や大阪では電力会社の株主総会。延々続くと思われるものの、結局は暖簾に腕押し、柳に風ってとこかな。

昨日の夜のテレビのニュース。今朝の新聞、ワイドショー。もちろん全部見たわけではないけれど。

「国民不在の消費税政局に湧いた永田町」と来たもんだ。ばかめ。「国民不在の政局」を作ったのはお前らだろって。そして訳知り顔にキャスターサンが「政局」を語る。国民不在のテレビニュース。

政治家とマスコミと一部“国民”がよってたかって作り上げた消費税政局、挙句の果ての“茶番劇”と。

報道されていることは大同小異。ほぼ同じ。表に出て来た、本会議場を舞台にした茶番劇。演じるのも、裏方も。

どっかに隠れている演出家、振付師。

それに意味があるかどうかはともかく、政局報道、政治記者のお仕事は表舞台だけ追っていることではない。裏を読むこと、探ること。
いくらバカども政治家でも、表舞台だけでやってるはずがない。

ちょこと触れられていた小沢のスタンスに関する解説。政党助成金の話と証人喚問に言及したくだりだけか。

本会議後の小沢の笑顔や、やたら丁寧にしゃべる記者会見、従前との違和感。それが物語るものは・・・。野田の渋面、それの意味するものは・・・。

みんな“演技”なのかもしれない。

野田の記者会見でどっかの記者がうまいことを聞いていた。野田・小沢・輿石の三者会談で何が話し合われたのかと。野田は口ごもっていた。「誰も言っていないのに、その内容についてわたくしから申し上げることは出来ない」って。
この辺に一つのカギがある。
帰趨、展望、落とし所。それらを含めた演出、振付があったのではないかと。

きのうの「結果」は織り込み済みだった。野党、自民党も含めての“筋書き”があったと見るのが“常識”。

にわか芝居を演じきれない大根役者がボロを出す。

小沢チルドレンと言われる輩よ。君たちは単なる”黒子“に使われたに過ぎない。実際にあったかどうかは知らないが、離党届を小沢に預けた。愚の骨頂だ。

政治家の出処進退は・・・。首相が任命した閣僚の場合だって、「各人が判断すること」って決まり文句が使われる。

議員の身分の、所属会派の変更。それは、まして政党名を書く比例代表制ってのがある限り、小沢に預けるなんて選挙民を愚弄するもの。救国の士を気取るなって。

筋書き読めないまま、メディアが騒ぐ「国民不在政局劇」は、まだまだ序の口かと。

茶番劇、結局メディアも踊らされ。

2012年6月26日火曜日

マスコミと庶民との乖離

「国会は緊張した局面を迎えています」「あわただしさを増しています」「緊迫しています」。
永田町界隈からテレビを通じて語られている言葉。

こっちは別に緊迫してませんよ。少なくとも国会の情勢に関しては。間もなく本会議採決。さてその後は・・。興味はありますがね。

小沢の乱の政局騒動。来る日も来る日も。その陰で伝えられないニュースや、目立たないニュースが数多く。陰に隠れての悪だくみだって・・・。

で、小沢君。「党中党」なんです。それは昨日今日に始まったことではなく。民主党政権出来てからずっとあったこと。

要するに「お山の大将」でなくてはダメっていう性格。確かに昔からそうだった。

子供の頃、父親が肩車しながらよく歌ってくれた。「お山の大将、俺一人~。後からくるもの蹴り落とせ・・・」って。

確かに、自民党のかつての派閥は「党中党」だった。しかし、どこか「保守本流」という“大義”には従ってきた。

小沢に「正義」だとか、「大義」だとか言われると、日本語が滅んだような気にさえなってくる。安易に使うなよ、その言葉。重い言葉なんだぜ。

消費税増税反対はたんなる口実。言いがかり。意に沿わない奴らは・・・。てなもんじやないのかと。

そして小沢に群がる三下やっこ。党中党の冬虫夏草。寄生虫だぜ。郡山や二本松を選挙区にしている人もいますが。

冬虫夏草どもも「正義」だ「大義」だと言うけれど、要するにどうやったら選挙に落ちないかって計算でしょ。消費税反対って言っていれば票が稼げると。

消費税増税の前にやることある。はい、大賛成。前というか、税制改革、財政再建。増税するなら金持ち優遇税制辞めろってことじゃないのかな。所得税の累進税率変えろって事じゃないのかな。

この事、キリがないから、きょうの本旨でないからやめるけど。

反対したら断固たる処分。賛成!!。もともと寄り合い所帯で、連合の意のままにされている民主党。さっぱりした方がよろしいかと。少数与党だっていいじゃない。国政が混乱するって。あまちょろいことやっていれば、混乱はいつまでもつづく。

もう沢山だ。これを機会にすっかり変えろよ。与野党とも。

“造反”した議員に、お咎め無し。それじゃ、それこそ「大義」にもとるってことじゃありませんか。党を割らない為の弥縫策。やめましょう。

民主党“崩壊”。それは夢から醒めた夢につながるのかとも。

本会議前に一言と。結果どうなるか。腰ぬけ野郎どもがどうするか。お代は見てのお帰りってことで。

「緊迫」「緊張」。今も国会の廊下でテレビ屋さんたちがわめいているはず。渦の中に巻き込まれての政局報道。楽しいでしょうな。はい、亭主、経験ありですから。

2012年6月25日月曜日

「狼少年」の話、ふたたび。

再稼働に向けて作業が始まった大飯原発、3、4号機。
19日にはタンクの水位低下を知らせる警報音が鳴り、23日深夜には送電系の異常を知らせるアラームが鳴り続けたという。

大気の具合での“誤報”、計器の誤作動と関電は発表。メディアは公表の遅れを責めはしたが・・・。

大気の加減で鳴る警報。こりやなんじゃいって。原発そのものには影響無しと関電は言うが。誤作動にしても何にしても、警報が鳴るってこと自体、「安全が完全に確保されている」って言えるのか。

誤作動、大気ってことで事がすまされる。そうなんだとしても、うがって見ればわざとらしい。それに慣らされてしまう。

まさに「狼少年」のような。

関電の説明が事実だったとしても、いや、それが事実であったなら、作業員も、詰めていると言われる政治家も、保安院の奴らもそれに慣らされてしまい、たかをくくってしまうんじゃないのって。

もう狼少年の話しは、懲り懲りなんです。福島は経験済みなんです。「なんらかの爆発的事象」からはじまって、格納容器は大丈夫、圧力隔壁があるから大丈夫、メルトダウンはしていない・・・。繰り返された“狼少年”にさんざんだまされてきたんだから。“狼少年”は“神話”にまで格上げされていたのだから。

「些細な出来事」の公表遅れ。やはり根底にあったのは「隠す」っていう精神構造なんじゃないのか。

事故があった時の恐ろしさ。それは人間が被曝するって問題だけじゃない。人生も、地域社会も、いや、結果は国の存在にまでかかわってくるということが、すでにわかっているはずなのに。

1F,福島第一原発。今もって、アラームは鳴るし、異常が常に出ている。2号機は、4号機は。まことしやかにその危険性が声高に言われている。それは完全廃炉まで続く。


原発を忘れたかのような国会周辺。連日“狼少年”たちが騒いでいる。その中には当然マスコミもいる。54という数字をめぐって、連日の・・・。

反対・離党・新党結成。そうなってからでいいじゃないの。時々刻々、それを伝えることの意味。

狼少年だたっかどうかは、明後日にはわかる。
新党結成。どうなるカネは。政党助成金はどうなる・・・。

またもNHKを持ち上げるようだが、昨夜のETV特集。飯舘村の一年余りの記録。
番組最後のナレーション。「大飯原発の再稼働を決めました」。たった一言が、反大飯への大きなメッセージ。飯舘の“事実”を積み上げて置いての最後の一言。うまい作りだと。

ネット上でも、一時よりはおさまったかのようにも見えるけど、相変わらず原発とめぐり、放射能汚染をめぐり、飽きもせずに狼少年、狼大人が跋扈している。

なんか重苦しい週の始め・・・。

2012年6月24日日曜日

食わずにすんだ毒まんじゅう

時は江戸時代。10代将軍徳川家治の頃。老中に田沼意次という方がおいでになりまして。その頃はまさに飢饉もあったりなんだかんだで、幕府の財政も逼迫。江戸の治安も乱れ・・・。てな世相。

しかるに幕府の中はというと、みんなやりたい放題。私腹を肥やすもの、その他とんでもない奴らが多々。身を切る努力もなんのその。その中心人物が田沼意次ってことに相成り、財政再建策も受け入れられず。ついに将軍さまより蟄居を命じられ。

逼迫した幕府の財政再建を図るために取られたのが徹底した節約、倹約。年貢お取り立ても厳しく・・。でも、明るい清廉な政治は功を奏さず。民の生活は困窮する一方。

江戸市中に流行った狂歌。「白川の清き流れに棲みかねて、元の濁れる田沼恋しき」。

史実に忠実な記述ではありませんが、面白くかいつまんで言うとそんなご時世。

なんか、今とどこか似てやいませんか。

民主党政権を清き流れというつもりもないし、自民党政権を濁れる沼とは申しませんが。

猿芝居の永田町政局。政治部記者が血道を上げる楽しい政局。

「国民のため」、「国民を守る」の与野党含めてのつまらぬ言いあい。必ず引き合いに出されるのが「マニフェスト」。守る、守らない。背信行為だ、なんだ、かんだ。

毎度申しておりますが、マニフェストなんて・・・。画に書いた餅。あれを信じた、あれの中味を善しとした“国民”が何人いたか。

濁れる田沼に飽き飽きした人たちが、何かが変わるだろうと期待しただけの一票。あのマニフェストなんて、画に書いた餅どころか、画に書いた毒まんじゅう。まともにやられていたら、食中毒起こすとこだった。

今更持ち出さないでよ。賞味期限の切れた毒まんじゅうを。テーブルの上にあげるなよって。

知人が時々郡山から楢葉に行っています。道の駅に設けられた、一時帰宅の人の受付に。その“関所”で、自分の家に帰るのに関所に“手形”出して、測定機持たされ、荷物を取りに。これって、きょうも、今も続いている光景なんです。家に帰るのに関所の人に頭下げて礼を言って・・・。

「帰る時の、出る時のあの悲しそうな眼や姿を見ていると涙が出る」。受付の手伝いに行っている知人はそう言っていました。名残惜しそうに振り返る姿には、他人事ながら、悔しさが込み上げてくるとも。

その“関所”には東電や経産省の人間も詰めているようです。奥の方に居て、被災者とはほとんど直接接しないとか。“関所”の顛末。聞いた範囲でも書き出せばきりがない。住むところを追われた人たちのことを。それに関わる人たちのことを。

この人たちを含めて、「賠償金」のことがもはや前面に。区域によって違ってくる賠償金のやり方。そして、誰がいうのか、立地地域の人たちは、これまで原発のお金でおいしい暮らしをしてきたっていう下衆根性。

だから彼らも悔いている。「毒まんじゅうを食らった」と。

原発のことはマニフェストにはもちろん書いてない。反増税と反、脱原発とは同期しているのか。
増税無くしてこの国は本当に立ちいかないのか。増税に代わっての経済成長戦略はあるのか。

毒まんじゅうは、まだまだ、あちこちにばらまかれているようでもあり・・・。

毒まんじゅう・・・。マニフェストには入っていなかっかけど、懐で温めていた、やはり毒入り団子なのだ。毒入り団子を食う羽目になる・・・。

2012年6月23日土曜日

「風来坊よ、いつまでも」

「風来坊だよ、いつまでも」。その言葉を聞いた時、ボクの心は震え、涙は最高潮に達していた。まさに“震度7”のような感情。

埼玉県の騎西高校に校舎跡に避難している双葉町の住民。1年F組の教室には寝たきりのような老人や、その家族、多くの人が同室で暮らしている。その中の83歳の婦人がぽつんと語ったこの言葉。

双葉町では「仮の町」へ向けて様々な動きがある。結論は出ていない。多くの人が、埼玉だけでなく、県内各地に避難している人はその行方を注視している。

1年F組の人達は寄り添い、助け合いながら暮らしている。つとめて明るくふるまおうとしているようだ。風来坊だよ、いつまでも。その老婆も半ばあきらめの気持ちを薄笑いを浮かべるように吐き出した。

昨日の夜。7時のニュースから始まってずっとNHKを見ていた。「えん旅」という番組では、歌手の、いるかが福島市を訪れ、浪江から避難してきている人たちと行を供にし、一緒に歌を歌った。

東北Zという番組では、未だ時がとまったままのような石巻の長面浦の模様をドクメントし、移転で揺れる住民たちの様子や不明者の捜索の模様を伝えていた。

福島のローカルニュースでは、松川浦のタコや貝の試験的漁獲の模様を伝えていた。市場に出たら、ボクは絶対に買う。

9時からのニュース番組。なぜか空虚なニュースにしかうつらなかった。その内容すべてが。

そして10時からの震災ドキュメント。「ふるさとは奪われた。双葉町に選択」。
そして、11時半からの仕事ハッケン伝。東北の復興に取り組む若い人達の熱い討議。

NHK,やるもんだな。率直な感想。

合間に開いたネット。ツイッターは官邸前の大飯原発再稼働反対デモのことであふれている。ツイッターで呼びかけられた一般大衆の抗議行動。
本人かどうかは定かでないが、あの山本太郎やキノシタコウタもさかんに書き込んでいる。

なぜ、こんな大規模のデモをメディアは報道しないのだ。NHKはなぜやらない。中継しろと叫んでいる。

勤め帰りで駆けつけたサラリーマンやOL,若い女性達・・・。デモに呼びかけによって参加した人たちの意志を歓迎する。でも、日頃、既存メディアをマスゴミと称し、罵詈雑言を浴びせていた人達が、なぜ、それに“頼る”かのようなことを言うのか。

自分たちの行動を取り上げて欲しいということか。そうなのだろう。

騎西高校1年F組の“教室”は、戦後、ボクも一時住んでいた復興長屋の光景とウリ二つだった。

官邸前のデモ。安保闘争時を思い出させてくれる。放水車で水をかけられて前身ぬれ鼠になって。機動隊の警棒で容赦なく殴られて。傷だらけだった学生のボク。

デモには一人で行って、一人で帰ってきた。連日のように・・・。

今日知った。報道ステーションではこのデモの模様をレポートで、インタビューを加えて伝えていたことを。
そして、参加者人数。主催者発表4万5千人。警察発表1万人と言う“数字”の“怪”も。

どっか安全なデモのような光景。安保、それはいつも死を覚悟していた記憶。

NHKの番組。ナレーションはどこか定型文。冷める部分も多々あるが、良いものを作ってくれていると思う。

風来坊よ、いつまでも。ずっとボクの心の中に刻まれる言葉だと。

2012年6月22日金曜日

平成の六無斎

昔、江戸時代、仙台藩に林子平という経世論家がいた。仙台藩主に経済政策や教育政策で提言するものの受け入れられず。禄を返上して諸国漫遊。多くの学者らと交わり、書いた本の一つが「海国兵談」。海防の必要性を説いた軍事書。時の幕府の意に添わず。発禁処分。今でいう出版社もないことから、自分で版木を彫っての上梓。発禁どころか版木没収。閉門蟄居と相成り候・・・。

そんな時に詠んだ歌。「親も無し、妻無く子無く版木無し、カネも無けれど死にたくも無し」。無い無い尽くしで付けた号が六無斎。

カネが無い、カネが無いの国家財政。いやギリシャじゃないですよ。このわが日本国ですよ。で、ひねり出した消費税増税法案。

「カネも無けれど降りたくも無し」の野田総理大臣さま。
「カネも無けれど落ちたくも無し」の議員心理。

小沢曰く。「大増税」と。小者の家来引き連れての離党の動き。増税法案の本会議採決は来週。週末はさんでどんな動きとなるものやら。
本会議の開会ベルが鳴ったあとの勝負。どれだけが「反対」にまわるのか。

う~ん、まさに、誰(た)がために鐘は鳴る・・・・。
ヘミングウエイの小説が問いかける。
「この戦争は何だったのか。誰のための戦争なのか。上官の命令とは・・・」。

昭和39年だったか。佐藤栄作内閣誕生。佐藤、河野、藤山が熾烈な争い。結果、党内調整で佐藤栄作が池田の後継総裁に。その時の両院議員総会。川島正二郎が言った有名なセリフ。党内一致を呼び掛け、しこりを残さぬようにの呼びかけ。「小異を捨てて大同につく」。

ま、その後、自民党も例えば三木おろしの時の挙党協騒ぎや、大平内閣不信任決議が福田派の思わぬ欠席でハプニング解散なんて歴史もあるにはあったものの。

ボス猿小沢に傾倒する子猿どもがどうするのか。ねんでもいいから♪勝手にしやがれ♪ってね。

さてさて、林子平さんには申し訳ないが、平成の六無斎。誰が歌うかざれ歌を。
「親も無し、妻無く子あり、人気なし。カネはあれども死にたくは無し」ってことか。小沢くん。政治生命を絶ちたくない、死にたくないっての勝手気ままに見えますが。

「親、小沢、妻あり子あり、票怖い、カネは貰えど、死ぬは必定」。落選覚悟での次の選挙戦。小沢中る度連とやら。

業界用語。「田んぼの草刈り」。選挙区の票田を耕すこと。消費税増税反対に選挙民の反応はいかに。政局絡めた増税反対。選挙民は見すこしているんでは。

明日、明後日、田の草取りは繁忙でしょうな。

「家も無く、家族も無くし、支援無し、カネも無けれど死にたくは無し」。被災地の選挙民はみんなそう思っているはず。

2012年6月21日木曜日

抜いた”ガス”はどこへ行く

「ガス抜き」という用語があります。政界用語の一つでしょうか。
言いたいことを言わせて、あらかじめ決めてあった結論に落ち着かせる。
ガスを抜かせる。言いたいことを言わせる。

徒然草にもある「物いわぬは腹ふくるる業なり」。言いたいことを言わないと身体の中に毒素が溜まって、それこそ腹の中にガスが溢れて、身体に悪いってとこから持ってきたのか。

増税とめぐるここ数日の民主党内の動き。全議員を集めて、特に反対派にいいたいこと言わせる。時間をかけて。その挙句は誰それ一任での幕引き。政党のいかんを問わず、長年続けれて来た手法。

ガス抜き作戦が繰り広げられました。で、ガスは抜けたのか。抜けてない。抜けたガス、抜けなかったガスはどこに行くのか・・・。

民主党の“ガス”はどうやら“小沢新党”に向かう気配。歓迎すべきことなんじゃないでしょうかね。

ガス抜きって言葉聞くと、浮かんでくるのは原発事故のベントのこと。ベントをするかしないかで官邸や東電は大混乱。あげく大爆発。抜けたというか、放出された多量の放射性物質。

抜けた“ガス”は折からの風に流され・・・・。その後の展開は皆さま先刻ご承知の通り。この“ガス”被害はそっちのけのような永田町ガス抜きの日々。

抜けなかった党内のガスは野田が“ベント”するっきゃない。抜けたガス、抜けなかったガスがどれほどの被害を与えるのか。“被害”を被るのは民主党だけでしょ。他党は拍手喝采と来たもんだ。

野田も小沢も口をそろえて言う。「国民生活が大事だ。一番だ」と。ガス抜き騒ぎにうつつを抜かしている奴らに「国民」なんて言われたくない。

この“ガス”、時流という風に乗ってどこに飛んで行くのだろう。猿も笑っているぜ。

「木から落ちても猿は猿だけど、選挙で落ちたら議員はただの人」って。
聞こえてくる猿の高笑い。

2012年6月20日水曜日

またまた、テレビの”手法”について

台風一過、とりあえず青空が戻ってきているようです。次には5号が接近中とか。茶化すわけではありませんが、日本列島は台風列島であり、地震列島なのです。

昨夜、NHKはほとんど台風情報を伝えていました。当然です。台風の様子は気になる。原発にどんな影響を与えるかも含めて。地盤沈下した東北の被災地。大潮だってすごく気になる。

去年のように修羅場と化した避難所の光景ではなかったけれど、やはり多くの人が呼びかけで避難所へ。体育館の床に毛布にくるまって寝ている人の姿。辛いと思います。

テレビを見ながらネットを開けると、こんなものも。その人をフォローしているわけではないので、誰かのRTなんですが、「なんでテレビは台風ばかりやっているんだ。腐っている・・・」。そんな調子のもの。

台風の進路にあたって無い人からすれば“他人事”なのでしょうか。台風が来ようと来まいと「原発反対」って打ち続けなければならないのでしょうか。

それはさておき・・・。相変わらずの台風報道の手法。まずカメラは「画になる」ことを撮る。波しぶきが打ちつける海岸を撮る。
そして、ヘルメットをかぶったレポーターが登場する。男女を問わず。
「ものすごい雨と風です。吹き飛ばされそうです!!」と金切り声で絶叫。それが実態を正しく正確に伝えているということなのか。

この“手法”はやめようということになっていたはずなのですが。レポーターを“危険”にされせて喋らせることに何の意味があるのかと。

カメラマンもレポーターも安全なところに身を置いて、そこから伝えても十分、その様子は伝わるはず。

絶叫レポートになんで固執するのか。それが臨場感であり、報道と言う名の“仕事”なのか。

荒れ狂う自然の姿を、冷静に伝えることも必要なのです。それの方が、聞き取りにくい絶叫を聞いているより、視聴者にはより伝わる。

ロータリーの会報でこんな記事を読みました。亭主はロータリーに入っているわけではありませんが。群れるのは嫌いな性質でもあるし。

DMAT、災害医療救援チームの責任者であり医師の話です。災害医療にあたって彼らに課せられた「鉄則」があるそうです。大原則があるそうです。
「災害医療では、自分を危険にさらして人を助けてはいけない」。なぜか。
「あなたが誰かを助ける時に死んだら、この先、あなたが助けるはずの何百人の命を救えないから、涙をのんで身を守れ」。そう叩き込まれているそうです。

災害現場に行って、守れなかった命があることに隊員たちは苦悩するそうです。でも、この大原則を守る。

議論の余地があることかもしれません。ただ、絶叫する台風の現場。災害医療を災害報道に置き換えてみたら・・・。

昔、雲仙普賢岳の火砕流で、取材に行っていた後輩テレビマン達が亡くなったことを思い出すと、災害時のテレビの手法には考え直すこと、未だ多々ありかと。

これは安全なところに身を置いて、わかったようなことをいうなという議論とは別です。“自主規制”して原発40キロ圏内に取材に入らなかったこととは別次元の問題です。

2012年6月19日火曜日

フォークソングとAKBと

去年の今頃だったか。郡山のライハウスに行った。横山健という人が率いるロックバンド。そこのドラムをやっている松浦英治君というのが。彼が子供の頃からのちょっとした知り合いだったから。

この業界はつまびらかにしないけど、横山健バンドというのは3・11前は解散していたらしい。3・11を機に横山健というミュージシャンは、かつての仲間に呼びかけバンドを再結成し、ドラムに英治君を新たに加えて、東北の被災地へツアーを組んだ。

郡山のライブハウス、ヒップショット。若者たちで満員。ライブが始まると大歓声。大音量のステージから彼はマイクに向かって怒鳴った。
「原発クン、さようなら。君たちの役目は終わった」と。「原発のバカヤロー」とも叫んでいた・・・。

かつて、この国の音楽シーンを席巻していたのがフォークソングだった。フォークや反戦運動と合体するようになった。新宿駅構内をギターをもった若者たちを中心に、学生や若者が“占拠”し、ひとつの“うねり”を作っていた。

反戦運動との「合体」が、やがてフォークをニューミュージックという似て非なるような音楽へと“進化”していった。簡単に言えば。

なぜ当時の若者たちはフォークに憧れてたのか。歌に込められたメッセージではなかったのかと。

彼をフォーク世代と言っていいのかどうかわかないが、井上陽水の歌には未だに惹かれる。その歌詞は今の時代にも十分通用する。今の時代も言い当てている。例えば「傘がない」。

三上寛という青森出身で、限りなく寺山修二の憧れていた生粋のフォークシンガー。今でも覚えている。彼が歌った「夢は夜開く」。メロディーは藤圭子の歌と同じだが歌詞が違う。

いささか抜粋。昭和と言う時代を心憎いまでに描いているから。

♪七に二をたしゃ九になるが 九になりゃまだいい方で 四に四をたしても苦になって 夢は夜ひらく

♪風呂屋に続く暗い道 40円の栄光は 明日のジョーにもなれないで 夢は夜ひらく  

♪紅提灯に人生論 やけに悲しくつり合うが コップひとつの幸せを なんで飲み終る 

♪夢は夜ひらく唱っても ひらく夢などあるじゃなし まして夜などくるじゃなし 夢は夜ひらく


「ひらく夢などあるじゃなし」と別の題名をつけていたかもしれない。

大阪にはフォークの神様と言われた岡林信康もいた。多くのシンガーが歌に託して時代を歌い、メッセージを発した。

3・11後、テレビで時々「この時代」の音楽をやるようになった。亭主は勝手に解釈する。古い映像を含め、彼らを再登場させることで、テレビという“武器”を持ったプロデューサーやディレクターは、音楽を使うことで、今の時代に、限りない便利さと引き換えに原発という魔物を選んだ人たちへの「意志表示」をしているんじゃないかと。

でも、これらはテレビで、BSでしかやらないようなマイナーな番組である。世の中で何が起きていようと、誰が苦しんでいようと、メジャーなテレビの音楽番組やワイドショーの主流は、主役はAKB48なのだ。彼女たちに一挙手一投足が話題なのだ。

四十年前、五十年前の歌は、今でも歌い続けられる。今からそのくらいの年月が経った時、AKBの歌が歌い続けられているのだろうか。

台風のニュース。雨、傘・・・それらが重なった、いくら書いても書ききれない“音楽談義”。

2012年6月18日月曜日

「脅す」ということのいろいろ

以前、知り合いの暴力団幹部が言っていた。「カツアゲっていいぜ、もうかるんだ」と。カツアゲ、つまり恐喝の業界用語です。

「なんでカツアゲが成功するのか」と聞くと彼は答える。「相手の弱みを握るから」と。そう、弱みを握られたり、弱みをつかまれると彼らはかさにかかって追い込みをかけてくる。あはは、追いこみも業界用語だ。

東電の労組た関電の労組が国会議員や地方議会議員の脅しをかけている。再稼働反対と言ったり、東電を責めると選挙で応援、支援しないぞと。民主党の国会議員が集りで、その紙見せて“暴露”したんだから多分本当の話しでしょう。

「票を入れない」。最大の脅し。合法的な。弱み・・・・。これまで原発反対なんて言ってこなかった民主党・・。それとも・・・。

滋賀県の嘉田知事も大飯再稼働を“容認”した。一応渋々。そして記者会見で“脅し”があったことを喋った。「電気が止まりすよ」という脅し。
「電気が止まる」。最大の脅しである。「停められるもんなら停めてみなさいよ」。そういう啖呵は切れない。

大阪市長だって同じようなことかも。「限定的再稼働」って言ったって、いったん動き出したものを法律で決められた定期点検の時期が来るまで停められない。
政権に停める気がないのだから。

電気料金の値上げは電力会社の権利だ。そう東電の社長はうそぶいた。これだって「脅し」。抵抗を続ける人や企業もあるにはあるが、やがてひるむような気がする。

福島県民にも多くの脅しがかけられている。「危険だ、死ぬ、病気になる、住む所じゃない」。素人はともかく、権威ある肩書持った“学者”さんまでがそういう。言ってみりゃ“善意”の仮面をかぶった社会的脅しとも。

原発問題をめぐる「脅し」の数々。明らかなものから陰湿なものまで。もっともっとあるでしょう。

脅しに耐えるには強靭な精神力が必要。それをほとんどの人が持つのは不可能。

「最近はカツアゲし難くなった」と暴力団幹部は言う。暴対法が出来て以来。法律や警察の力で、「カツアゲ」は少なくなったようだ。

じゃ「原発」をめぐる脅しは・・・。原子力規制庁が出来て、規制に関する法律が出来て、その脅しが無くなるのか。

大泥棒の石川五右衛門も言ったとか。「浜の真砂は尽きるとも世に盗人のたねはつきまじ」って。
「世に欲望のたねはつきまじ」ってことか。♪あかりは、ほんのり ともりゃいい♪。歌の文句にはこうあるんだけど・・・。

2012年6月17日日曜日

日曜妄語 「感情を吐き出すということ」

辛かったり、怒っていたり、悩んでいたり・・・。そんな感情を吐き出すことによっていくらかは慰められると言う。心がいくらかは休まるという。

その吐き出し方、表現にはいろいろな方法がある。富岡町からいわき市の仮設住宅で暮らしている84歳の婦人は詩を書き続けているという。

泥棒みたいな服を着て
泥棒みたいな袋を持って
泥棒みたいに忍びよる
なつかしさにおののきて
あれも、これも、と
手を出して
触れてみる
一時帰宅は永久の別れか

この詩、以前にも引用させていただいたかもしれない。相馬地区では、それこそ自分の田んぼに“泥棒”のような格好をして入り、「試験的」な田植えをしている農家・・・。自分の家、自分の田んぼに入る姿を泥棒と見立てる悲しさ。

短歌を詠み続けている人もいる。これも引用させていただいたか。

<ふるさとは無音無人の町になり 地の果ての如く遠くなりたり>

31文字に凝縮された言葉からその悲しみ怒りの感情の大きさが伝わる。万言を用いても及ばないような。

最近はあまり「接触」しないようにしているツイッター。そこに「吐き出されている」言辞の数々。
不愉快なこと極まりなし。
福島県にたいする全くいわれなき、根拠なき誹謗中傷。いや、“悪意”さえ感じられる言葉の数々。
彼らは、彼女らは、ネット上に言葉を吐きだすことによって何を得ようとしているのか。昔、謂われた“愉快犯”のような。

ネット上には「福島のお母さん」達の放射能に対する不安の声が、いまだひきもきらない。それをRTしまくる人もいて。確かに「不安」を抱くのは当然だ。その不安感をネットで吐き出すことによって、いくらかこころの安寧が保たれるのかもしれない。それに“同情”のレスポンスがあればなおさらのこと。

中には、それらに真面目に反応して、冷静な判断を求める福島の人もいるが。福島に身を置いたことのある新聞記者もいるが。
総じて言えば、ツイッターは誰が訳したかしらないが、“つぶやき”の場では無くなった。感情のぶつけあい、吐き出しの場とも。

ネット上に感情を吐き出すことによって、かえって嫌な感情の虜になるという罠に陥っている人もいる・・・。

反原発。再稼働抗議行動。それに参加している人のすべてを非としない。しかし、感情の吐露というには余りにも不様なその様子。写真で見たから本物と思うけど。野田はじめ関係閣僚の“遺影”、葬式ごっこ。
一つの表現方法だと思ってやっているのだろうが、真面目に参加している人たちは眉をひそめるはず。

大槌町の子供たちが歌っていた。ひょっこりひょうたん島を。
「苦しいこともあるだろさ、悲しいこともあるだろさ、だけどぼくらはくじけない。泣くのはいやだ笑っちゃおう。進めひょっこりひょうたん島~~~」。

歌に感情を託している。

書けば、話せば、歌えば、感情は癒されるかもしれないということ・・・。

2012年6月16日土曜日

民主党解体の勧め

「決められない政治」「決めない政治」ってマスコミそろって揶揄するけれど。
ちゃんと決めてるじゃないですか。消費税増税。原発再稼働。この国の将来を左右することを。

しかし、決められてことに同意するに非ず。野田支持にもあらず。

例えば消費税増税。その必要性は認めます。しかし、今がその時期かと。国家百年の大計に立てば通らなければならない道ではあるが、その前にやることあるだろう。小沢的主張のようだけど、もちろん小沢にもくみしない。

高福祉・高負担。避けて通れない道なんです。豊かな老後なんてあるはずないと覚悟はしているけれど。だけど「身を切っていないことの数々」。

自公と修正協議決着。党内には異論抱えたまま。
これは、ことの善し悪しではなく「政党政治」の在り方に背くもの。

「国民生活だ第一、国民生活を守る」。政権交代時のお題目。マニフェスト。それがことごとく破られていると民主党の小沢寄りが怒る。

国民って誰のことなのかってあらためて聞きたい。大体ですよ、政権交代時のあの外来語、マニフェストなんてまともに信じて民主党に票を入れた人なんてごく少数。自公政治に飽き飽きしていたから入れただけ。

参院選敗北から今日に至るまで、どいつもこいつも「政治音痴」。政治のど素人の集団が民主党かと。

国民生活を守るんんじゃない。自分の身を守るってことが大事な人達。

今朝の新聞の片言拾ってみても・・・。
党内了承先延ばしを受けて「破られもいいように安いスーツを着てきたが、気が抜けた」と言ってる議員がいたとか。ハマコーの時代じゃないんだぜ。

「法案に反対して、処分がどの程度になるかによって法案採決の本会議出欠を決める」。政治信条ゼロのような日和見。
たしか公明党の神崎武法が昔詠んだ一首。

「出て壊し、入って壊す小沢流」。政界柳壇に保存されるべき名句ですな。

“悪魔”とは言わないけれど、自公と手を組んでしまった野田。
小沢グループ切りなさいよ。党内でいつもいつもゴタゴタしてるくらいなら。

所詮寄り合い所帯、呉越同舟の民主党。散った方が国民のためかと。分かりにくい政治なんです。決められないじゃなくて。

民主党解体の勧め。自民党もお付き合いしてのガラガラポン。電力労組に脅されて、原発反対も言えなくなった民主党。もっとも以前から、例えば菅にしたって反対じゃなかったけれど。票の欲しさの、票乞食ってね。

昔はよく言ったもんです。「電信柱に頭を下げるくらいにならないと当選出来ない」って。納得。電信柱には電気が通っている。原発から供給された。(笑)。

来週の民自党首会談。解散時期を巡っての調整って観測もあり。選挙制度改革しないと選挙は違憲とされる恐れあり。

いいじゃないの。少数政権になっても。あっちこっちと連携していれば。そのうち自民党だって割れてくるだろうし。

大飯再稼働反対の抗議行動。官邸前。その中を堂々と福井県知事は官邸入り。なんの混乱なく。知事が「容認」って言うんじゃしょうがないよ。政権は追認すればいいだけのこと。なんだかんだの「口約束」。なんの証文にもならないし。

うだうだ書きながら「日をむなしゅうしているおもひ」にて・・。

2012年6月15日金曜日

かくて「平成の捕物帳」は終わり・・

オウムの特別手配犯、高橋容疑者逮捕。メディアは特にテレビは「岡っ引き」と化していて。ようやっくその騒ぎも一段落。ということになるのでしょうが。
鬼平犯科帳じゃないけれど、まさに平成のメディアを巻き込んだ捕物帳と思えたような。

特別指名手配犯がやっと逮捕されたからと言って「オウム」の真相が解明されるのか。

原発再稼働や消費税問題で時々言われる目的と手段じゃないけれど。逮捕はあくまでも“手段”であり、「オウム」の実態、事件の真相解明が“目的”。

仮に高橋が素直に取り調べに応じて、お白州で全てを白状しても、「オウム」という狂気の真相は解明されないと。

あの「オウム事件」をどう読み解くか。村上春樹の「アンダーグラウンド」を咀嚼してみる以外にないのかもとも思うのですが。

いまだもって「オウム」の残党はいる。入信者も増えているとか。なぜ若者がオウムに走るのか。大半は「こころ」の問題かとも。

原発、原発事故、放射能被害・・・。それを巡るネットの、もちろん全てを網羅して見ているわけではないけれど、ツイッターなどでは菊地桃子逮捕以前から、それぞれの“意見”に対して、カルト教団化しているとかを含めて「オウム」が引き合いに出されていた。

狂信的な言説を言う人には「カルト教団の教祖」とう呼び名も付けられたり。まさにその通りと思われる人もいたし、いるし・・。
それらが福島県民を苦しめてもいるし。

もし、またもや「オウム」が実践的活動を、あのオウム的手法で、あの時の感覚で今やるとしたら・・・。原発テロだってあり得ないことではないかも。あの無差別な、怨念を伴った狂気に捉われていたら。とさえ妄想がよぎってしまう。

大飯再稼働の安全性論議。テロ対策だってまったく出来あがっていないのに。

で、はてさて、平成の捕物帳、岡っ引きは次は誰を追っかけるんだい。十手、獲縄でなくて、カメラとマイクひっさげて。
「御用だ、御用だ」。お白州に引っ張り出して欲しい人たち沢山いるんだけどな。

2012年6月14日木曜日

みんな”傍観者”だった

先日大阪であったいわゆる通り魔的殺人事件。死刑になりたかったから誰でもおおから殺した。

現場は察するに繁華街。多くの人が行き交っていたはず。それを証拠に目撃者と称する人がテレビのインタビューに答えている。その時の様子を詳細に語っている。新聞も含め、あたかもその場にいたような状況が書かれる。多分、報道陣が到着した時は、殺人行為は終わっていただろうに。

現場にいた「普通の人」が、携帯、スマフォでその模様を撮影し、ネットにアップしているという。事件はもちろん、その光景も異様だなと。

誰か一人でも犯人を取り押さえる、殴りかかる、そんな人はいなかったということ。もちろん、凶悪な光景に足がすくんで震えがきて身動きできなかったというのは容易に想像出来るが。素手ではなくてなんか近くにあるもの持って殴り倒すってこと出来なかったのだろうかと。

もちろんそれを見ていたわけではない亭主も一種の傍観者なのだけれど。すくなくともその模様を“撮影”していた人がいるということ。現場での傍観者。
誰かが勇気を奮い起せば救えた命があったのではないかと。

1985年、大阪のマンションの一室で、当時詐欺事件で逮捕寸前の豊田商事会長が、逮捕の瞬間を取材に来ていた多数の報道陣の前で、右翼の男らに惨殺された。男たちは永野を殺すと言って窓を壊して部屋に入り、実行し、血だらけのまま出てきた。警察を呼べと報道陣に叫んだ。

テレビも新聞も、週刊誌も。カメラマンたちは、その部屋ではなかったものの、その模様を撮影して放送したり掲載していた。そのことを思い出す。

「取材者は、そこにあったこと、そこで起きていることを報道するだけ」。そう思っていたのかどうか、後からマスコミの在り方に議論が湧き、マスコミ内部でも様々な反省も含めての総括が行われたが。
止める者はいなかったのか。止める勇気はなかったのか。

肉眼で見るのと、カメラのレンズを通して見るのとでは、そこにあることが違って見える。そんな述懐をカメラマンから聞いたことがある。レンズを通すと「傍観者」になれるということか。

3・11。津波が襲ってくる現場にいたカメラマンがいる。カメラを回し続けるのが「仕事」だと割り切ったか、取材よりも人命と思ったか。カメラを離して人を助けたカメラマンもいる。

暗闇で助けを求める声と耳にしながらも、“業務命令”で、その場を離れざるを得なかった消防団員もいる。彼は今でもそのことを悔いている。

「ふくしま」を傍観者として見て、様々を語る人たちがいる。それは、多くが”悪意“を伴っているかのような。

ある意味、“傍観者”としか言えないような立場かもしれない亭主。日ごと原発を語り、政治を語っている・・・。

おおい町長も再稼働を容認した。県知事も容認する。野田の国民への”説明“を了としたということで。野田の発言がそんなに効用があるとは。実態を伴わない言説。
最大の傍観者。それは政治家だ。「増税」というのは大問題。でも、修正協議での意味無いやりとり。倒閣、解散を念頭にいれた愚にも付かない「言葉遊び」の日々と・・・

2012年6月13日水曜日

究極の“水かけ論”

原発事故をめぐる調査委員会。政府や民間や国会や。とりあえずは国会事故調委に信を置く以外にないのだろうけれど。

鉄は熱いうちに打ての諺もある。福島ではすべてが進行中であり、悠長な原因調査や検討の時期ではないという声も多数あるものの。

そして大飯の再稼働は指呼の間。福井県知事は初めて原発視察というのに驚く。福島県知事と同じじゃないか。そして安線確認とさえ言う。何がわかったというのか。

国会事故調。撤退か退避か、避難か。言葉の解釈めぐってああでもない、こうでもない。結果、菅が悪いか東電社長が悪いかのあげつらい。メディアもそれに同調し。

東電は官邸が悪いといい、菅も枝野も東電が悪いと言い。海江田はどっちつかずの様子だし。

これって事故の「本質論」なのかと思わざるを得ない。本質論とは原子力政策そのものを検証することだし、それにまつわる人間の「慾」を明らかにすることだし、国家の危機管理にメスをいれることだと思うのだが。

大の大人が、それも権力者たちが、言い訳に終始し、記憶に無いを連発し、ロッキード事件の小佐野賢治の証人喚問を思い出させる醜態をさらし、子供でもしない責任のなすりあいの究極の水かけ論。

それを、くだらない水かけ論を期待している、望んでいる国民はどれほどいるか。

水かけ論と書いてなんか笑いだす。事故現場は今でも水を掛け続けねばならないということを。

水かけ論と水かけ対策。東京電力福島第一発電所。1号機から4号機まで。常に一触即発の状況は変わっていないし。

この「距離感」。レ・ミゼラブル。

無知でありながら、それを知ったかぶりした権力者、権限を持つ人が、様々な決定をくだしたという悲劇。

いや、その“悲劇”は再び繰り返されようとしているように見えてならない。
「ああ、無情」としか言いようがない。

政治判断。亭主の辞書の中には「いい加減な判断」と書かれている。過去の政治史を見ても、政治判断とは、てきとうな時期に適当に判断するってことだった。何でも「足して二で割って」という手法がまかり通っていた時代は。

だからあらためて思う。政治判断というものほど怪しげなものは無いという経験。それは何も「決められない政治」を是として言っているのでなく。

水かけ論はたぶんまだまだ続くはず・・・。それに水を差しても致し方なしかと。

2012年6月12日火曜日

テレビの”手法”

NHKは時々、硬派ないい番組を作る。ETVも含めて。で・・・。
過日のNHKスペシャル。「MEGA QUAKE」。
あの日。3・11を境に日本は変動期に入ったという。地殻の変動。たしかにそうだ。きょうだって、昨日だって地震は、頻発している。
サブタイトルだったか、「最悪のシナリオに備えて」。う~ん、シナリオ・・・。地震に自然災害にシナリオ、脚本があるのかって。

番組は「3・11」によって日本列島に大きな地殻変動が起きており、首都圏直下型地震や富士山の大噴火がおきる可能性が高くなったというもの。

それを伝える手法に一部ドラマが使われている。
これが解せない。わかりやすく伝えるためにドラマの手法を使うというのは否定する話じゃないが、その番組での一部に挿入されているドラマが番組に完全に水をさしている。

保険会社の地震担当とかいう男が結婚申し込みに東京の下町の彼女の実家に行くという設定。そこで地震が起きて・・・。彼がその直下型地震の可能性や富士山噴火の解説をするという“シナリオ”。

意味無いんだな。これが。しかも、お母さんが「すぐ静岡の実家に電話しないと」と言って立ちあがった先にあるのが棚に据え置かれた黒電話。その手を押さえて彼が解説に使うツールがなんとタブレット端末。
このセットの小道具の使われ方の違和感。すっかり興ざめだったのです。

ありえないでしょ。黒電話とタブレット端末。小道具に見る40年の開き。そのしつらえがかえって番組の信憑性を阻害する。

一部ドラマ仕立てのドキュメンタリー。NHKが時々使う手法だけどその意図理解し難いのです。

テレビは「進化」を続けています。表現の手法も進化しています。CGはもとより、3Gにしたり、解像度は優れるなどなど。IT技術を駆使したテレビ報道。

でも、コンピューターグラフィックを使ったシムレーションなどの映像は、極端におどろおどろしい場合が多々。

映像だけについてでも、モノクロフィルムからVTRへ。カラーへ。そしてCGへ。瞬時に伝わる衛星回線。変遷を繰り返しながら進化するテレビ。

そんな中でもしかしたら演出家達は「大いなる勘違い」をしているんじゃないかと。

ツイッターとの“融合”も含めて、テレビの手法はメディア論の一つの科目としなければいけないのかも。


そして、テレビには、やたらとリポーターなるものが登場する。それにはおおいなる“演出”が伴っている。これも一つの流行りの「手法」か。

最近のオウムの逃亡犯報道。犯人の足取り追って日夜ああでもない、こうでもない。

「これだけテレビで報道すれば、完全に包囲網は縮まっています」。「容疑者は追い詰められています」・・・。

足取りを追って“探偵”気取り。防犯カメラの公開映像を繰り返し“解説”。

テレビの力を過信しているかのよう。容疑者は未だ捕まっていない・・・。

2012年6月11日月曜日

「起動」か「稼働」か

テレビをながら視聴していると・・・
「オウム逃亡犯のキセキを追いました」という声が。え???。
オウムが何か奇跡を起こしたのかって。いやそれは軌跡だったのですが。もしろん。
日本語ならではの難しさ。

大飯原発の再稼働問題。過日の記者会見で野田は「再起動」と言っていました。何回も。
彼の頭の中では再起動なんでしょうね。どうもパソコンぼけをこいている者としては再起動っていうと、電源を切る、再起動の選択用語に聞こえてくるし。パソコン不具合の時は再起動かけろって教えられたし。

テレビに出てくる人たちの中にも再起動っていう人が時々いる。ちなみに辞書。最近買った岩波国語辞典。
起動――動きを起こす、特に発電機、電動機、タービンなどが運転を始めること。
稼働――稼ぎ働くこと、機械を動かすこと。

世間では再稼働で通っていることを、あえて再起動って言うのは・・。確信を持って使っている再起動。
勘ぐれば、下衆の勘ぐりすれば、単に発電機を再び動かすことと認識させたいのかと。稼働じゃカネを稼ぐってことになるからか。凄い言語力ですな。

でも、やはり再稼働の方がしっくりする。「原発」はあらゆる意味で、カネを稼ぐってことにつながっているんだから。

野田の再稼働にあたっての福井県すりより、ごますり会見。
テレビは地元住民のインタビュー。その中に一人、可愛い綺麗な女性。「え~~、そんなこと首相が言ったんですか。福井県に敬意なんて、いや~~感激します。有難いです。気にしてもらって」。絶句でしたね、これには。

テレビのインタビュー、数多く撮ってネタになりそうなものだけ放送ってのが常套手段。なんで、こんな意味無いインタビューを電波に乗せたのか。その意図を考える。ま、いいか。どうせおバカなテレビのワイドショーなんだから。

いみじくも野田が言った。「国論二分」。たしかに、是か非かの二極対立論でかたるべきものではない原発問題だが。福井県だって県論二分でしょうな。県議会も割れているようだし。

原発問題。何を基準にして考えるか、何に立って考えるかによって、発言は変わる。

国会の事故調査委員会の黒川委員長も言っている。「委員会の結論も待たずに再稼働言うのかいかがなものか。国家の信頼のメルトダウンが起こっている」と。
その黒川をさえ、自民党の手先という人もいるけど。

原発立地県の新潟。泉田知事は論旨明快。
「福島原発事故はいまだ収束しておらず、事故の検証も進行中であり、換言すれば、意思決定過程や組織のあり方なども含めた事故原因の特定も行われていません。事故原因が特定されなければ、対策を講じることができないことは自明の理であり、専門家である原子力安全委員会も班目委員長が安全を確認していないことを明言しています」。

そうなんです。あの「デタラメ」のほうがまだましというこの体たらく。

泉田知事、さらに踏み込む。
「このような状況下で専門家でもない総理が安全性を確認できるはずはない。電源が失われなくても、炉心冷却に失敗すれば、大惨事になる。そういうことが福島の教訓であることを無視している。新たな安全規制機関も未設置であり、万が一の事態が生じた場合の対策も固まっていない中で、“安全を確認した”と表明することは、新たな「安全神話」を創造することとなる」とも。

まさにその通りと。

もし大飯で・・・・。その時は、この国は再稼働も再起動も出来ない。

2012年6月10日日曜日

日曜妄語 「視点」ということ

およそ“報道”という仕事に携わっている人たちによく用いられた言葉。
「鳥の目線、蟻の目線」。一つのことをどこから見るかによって、見方がかわるということへの戒め。

新聞目線、テレビ目線。受けての我々はどううけとめ、その伝えることを咀嚼するのか。

上から目線と言ってしまえばそれまでだが・・・。

メディアだけの問題ではなく、そのネタを作っている人たちにもそれは当てはまる。立場によって見方が分かれると言うこと。

景色だって見る角度によって印象は、受け止め方は違う。

例えば国会事故調。その模様はネット中継だどでも見ていたけれど。委員会の結果ややりとりでの見てる人の、見聞きした人それぞれの受け取り方。

事故から一年以上たった今、それぞれの人に“刷り込み”が出来あがっているせいか。参考人に対してイメージが出来あがっている。

菅の信奉者は「事故調は、東電の言い分を認める。質問も意図的だし、偏っている」という。

黒川委員長は「東電は上に行くに従ってくさっている」ってような事を言っていたけど。

菅を支持しない人は、事故調の論議を受けて「官邸の過剰介入が混乱を引き起こした。民主党の”政治主導“は有害だった」と言う。

新聞の扱い、論調も然り。どういう記者が書いたか、社説は。見方が違ってくる。

どう読みとるかの難問。

長年の自民党一党支配をよしとせず、二大政党を作るために小選挙区制を国民は選んだ。亭主はもともと反対。中選挙区論者。それはさておき・・。

二大政党になって「決められない政治」が続いている。それに嫌気がさしたところに登場した橋下徹。どこかワンフレーズポリティクスのような言動。その中味はともかく、決められない政治に辟易した国民の多くが橋下になびく。

多分、このままで行けば「二大政党制」は崩壊するだろう。

視点。まさに原発被害者の視点で物をみるか、経済成長が止まれば国が滅びるかのような考えに基づいて、しかも、今の“豊かな”生活を維持したいかによって視点が論点が変わってくる。

直接関係は無いにしても、きのう二本松で起きた交通事故。双方ともに避難民。
弱者はどこまでも弱者であるということ。悲劇はどこまでも付きまとって行くということ。

視点の一つの“起点”になってはくれないものかと。

2012年6月9日土曜日

首相が保証する「安全」

「関西を支えてきたのが福井県、おおい町だ。40年以上原子力発電と向き合い、電力供給を続けてきた立地自治体への敬意と感謝の念を新たにしなければならない」。

大飯原発再稼働。記者会見で野田はそう言った。たしかに、この会見でも福島について触れた。でも、それは、いわば原発を語る上での“枕言葉”か、“前座の口上”のようなものだった。そうとるのは福島県民の根性がまがっているのということなのか。

「関東の電力を支えてきたのが福島県。双葉郡だ。40年以上、原発と向き合い、供給を続け・・・そのあげく・・・」。そしてどんな念を持つ・・・。

福井県知事の要請による、福井県民のための、関西圏に向けた、首相の会見。
そして高言する。

「福島を襲ったような地震・津波が起きても事故を防止できる対策と体制は整っている。安全を保障する」と。

一介の政治家がどうして言える、安全を保障するなんて。おりしも、大飯原発直下には活断層が存在するという学者の話が出たばかり。もちろん関電は否定する。

福井県知事の要請に基づく会見だった。県知事はこの野田の言質を隠れ蓑にして、事あれば「国のせい」と言える。

野田が保証してくれた「安全」とは何んだ。

確かに福島でも、放出された放射性物質によって直接被曝して死んだ人はいない。おそらく癌の発症率の高くはならないだろう。
でも、でも、でも。避難生活による災害関連死は1632人を数える。未だに家に帰れない人、永久に帰れないだろう人、さまざまなストレスで悩む人など、政治の力では解決できない事共が渦巻いている。

それは「保障」や「補償」ですまされるものではない。

再稼働の理由は「国民生活を守るため」。原発をとめてしまっては日本の社会は立ちゆかない。エネルギー安全保障の視点からも原発は重要な電源だ。そう、これが野田の思想。

電力不足がいかなる社会的混乱をもたらすか。それは十分承知。それくらいの“常識”は持っている。しかし・・・。福島県民の生活は守られていない。

戦中・戦後、嫌と言うほど聞かされてきた「耐乏生活」という言葉。それを潜り抜けてきた我々世代。

満ち足りた電気に胡坐をかくような今の世に常に懐疑的な念あり。そう言いながらも、電気が無いとパソコン使えず、これも書けない自己矛盾に悩みながら。

再稼働しても「計画停電」はあると言う。その検討がされているという。

「ふくしま」からまだ一年余り。大飯を端緒に再開されるだろう原子力発電。

社会構造を変える以外に無い。しかし、政治はそれが出来ない。
「病院の電気が止まったら・・・」。弱者を隠れ蓑のようにして、生活を守ると言う論理の展開。

ふくしま30キロ圏内、機能している病院はほとんど無い。

官邸前のデモ。きのうだけはちょとだけメディアに紹介されていたが・・・。

2012年6月8日金曜日

忘れたれたニュースのこと

何も朝から晩まで。去年の3月のように「原発」のことを扱えとは言わない。
世の中は動いている、世界も動いている。様々なニュースが飛び交っている。
それを伝えるのがメディアの役割だし、福島県民だってそれに無関心でいるわけじゃない。消費税だって円高、株安だって気になっている。でもね・・。

一時メディアをにぎわした中高年の「原発決死隊」。結局あれはどうなったんだろう。どんな扱いをされたのだろう。どこも伝えない。

4号機の冷却機能破損、回復と言うことらしいが、ちょこっとした扱い、取り上げないところも。機能不全の時はNHKでも大きくやったのに、なおった、それが応急措置だったとしても、もうそれはニュースで無くなっているような。

「原発」周りのこと。それは何か重大な事態を迎えないとニュースにならないということ。今のメディアの特性。

何回も言うようだけど、福島原発の悲劇は、大飯再稼働や電量不足、電気料金値上げの話題にシフト。それを“恣意的”と言いたくはないけれど。

相馬やいわきで水揚げされた魚は、汚染されていなくても売れない。初水揚げのかつおと時だけ築地の値段が105円と他の漁協にあがったものの四分の一だったと報じられただけ。

魚は獲れる。でも売れない。政治の舞台では話題にすらならない。漁民は静かに怒っている。静かな怒りは伝播されない。

大きな声だけが取り上げられる。官邸前では大飯の再稼働に反対の抗議行動が行われている。どこもそれを伝えない。誰がやっている反対運動かどうかは別にして。

テレビはオウム、オウムのオウム返し。新聞は政局、政局ってような。

被災地に関心を寄せている人は多々いるんですが・・・。

原発ムラの落ち度探し、欠陥さらし。それも必要なんだけど。
糾弾だけがメディアの使命ではないと思ったりする昨今。

2012年6月7日木曜日

「原発」と詩人と

手帳を繰っていると、去年の塾で紹介した「詩」に再び目が行った。
原町に住む,住んでいた老詩人、若松丈太郎の詩。彼の「神隠しされた街」という作品を紹介していた。

過去、訪れたチェルノブイリをよんだ詩。
  

こちら側とあちら側というように  
私たちが地図のうえにひいた境界は  
私たちのこころにもつながっていて  
私たちを差別する  私たちを難民にする  私たちを狙撃する
牛乳缶を積んだ小型トラックが  ウクライナからベラルーシへと
国境を越 えていった  こともなげに  
空中の放射性物質も  風にのって  幻蝶のように

そして、3・11後に書かれた詩。
  
半径三〇kmゾーンといえば  
東京電力福島原子力発電所を中心に据え ると  
双葉町 大熊町 富岡町  楢葉町 浪江町 広野町  川内村 
都路村 葛尾村  小高町 いわき市北部  
そして私の住む原町市がふくまれる  
こちらもあわせて約十五万人  私たちが消えるべきはどこか  
私たちはどこに姿を消せばいいのか
人の声のしない都市  人の歩いていない都市 
四万五千の人びとがかくれんぼしている都市  
鬼の私は捜しまわる  幼稚園のホールに投げ捨てられた玩具  
台所のこんろにかけられたシチュー鍋  
オフィスの机上にひろげたままの書類  
ついさっきまで人がいた気配はどにもあるのに  
日がもう暮れる  鬼の私はとほうにくれる  
友だちがみんな神隠しにあってしまって  私は広場にひとり立ちつくす


現実、今の原町は帰還が進められているという。でも、帰る人は少ないとも。
村を愛した飯舘でさえ、帰らないという人が増えている。

神隠しにあった街。その街が日本にも存在したということ。

「神隠しの町」は「仮の町」へと変わるのだという。

富岡町に住んでいた84歳の佐藤シゲ子さんも詩作をつづけているという。
「情景を、素直に書いて感情を吐き出せば、心がいくらか休まるんです」と。
その一編。

泥棒みたいな服を着て
泥棒みたいな袋を持って
泥棒みたいにしのびよる
あれも、これも、と
手を出して触れてみる
一時帰宅は永久の別れか

佐藤さんも「仮の町」に行くのだろうか。

我が家の町内会の新しいメンバー。借り上げ住宅に暮らす富岡の4世帯。
訪ねれと一軒の家に皆が集まり談笑中。お茶の時間。漬物をつまみながら。
そのきゅうりの漬物を御馳走になり、さもない世間話を。

「郡山に来てよかったよ」。その人たちは言ってくれるのだが・・・。

2012年6月6日水曜日

「吉田昌郎所長」が気になる

東電の事故調、政府の事故調、国会の事故調、民間の事故調。原発事故をめぐり、いろんな調査委員会が出来、関係者の聴取が行われているが。

すべてに隔靴掻痒の感あり。たしかに、例えば菅にしても枝野にしても、東電の会長にしても、当事者ではあるが当事者ではない。

1号機の電源喪失から始まって、次々と起きた爆発事故。その対応。一番の当事者は第一原発の所長だった吉田昌郎のはず。

去年、突然病状を悪くし入院。その後どうしているのか。やはり気になるのです。

彼が「証言」しない限り、だれが嘘を言っているかも含めて、“検証”なるものの本質には届かないと。

新聞では小さく報じられている4号機の第二次冷却装置の故障。一昨日のこと。復旧できたのか。事の大小問わず、まだまだ問題山積の福島原発。

東電の最終報告書には、「初期対応は困難だった」と書かれる見通しとか。へ理屈言うようだけど、困難だったのは対応ではない。決断が無かったこと。海水注入しておけば連鎖のような爆発は防げたかもしれない。素人目にはそう映る。

「人よりコンクリート、人より原発機器」。そんな思惑あったのではないかと今更ながら。

当時の現場の事情を語れるのは、本当の事を知っているのは、本人が嘘さえいわない限り、吉田昌郎以外にはいないのに。

病状を知っている人はいるはず。東電は知っている。しかし、それを明かすことは無い。

気になるんです。どうしているかが。是非出てきて本当の事実を、様子を話して欲しい。

国政調査権を持っている国会事故調は声掛けしたらしいが断られたとの事。もちろん東電に。

東電にとっては彼はもはや「ペルソナノングラータ」。好ましからざる人物とされているのか。

少なくとも、オフサイトセンターは機能しなくなっても、免震重要棟なるものがあって、そこに吉田がいたから、もしかしたら、事故は今の程度だったのかもしれない。そんな風にも思える。

大飯にはオフサイトセンターも、免震重要棟も無いと聞く。原子炉そのものが“安全”だと言っても、福島にさえあった施設。それが無いのに再稼働って、こりゃ何じゃいと。

その重要性や必要性を語れるのも吉田所長。

キーパソンが抜けている事故調査、検証。関係者が自己弁護に走るだけのもの。仏作って魂いれずの例えじゃないけれど、やはり意味をなしていないのではと。

どこでどうしているんだろう。気になって仕方がない。快癒祈るのみとしか言えないのだけど。

2012年6月5日火曜日

野田の“遺言状”

増税法案成立に「政治生命をかける」と言った野田。きのうの改造見ると、それはあたかも“遺言状”ではないかと斜めに眺める亭主・・・。

改造の目玉。防衛大臣の森本敏だという。防衛問題の専門家。ドジな国会答弁なんてありえない。
与野党こぞって、マスコミも加担してこの人事を批判する。政治家ではないからと。自衛隊の最高指揮官であり、シビリアンコントロールを為すためには国民の負託を受けた政治家でなくてはならないと。一応、建前としては正論。
だけど、民主党には人材はいないんですよ。今の政治家で防衛大臣に適任と思われるのは自民党の石破茂だけ。

遺言その一。「今の民主党にはもはや人材はいない」。くその役にも立たない政治家が大臣やるより、よっぽどマシかも。総理大臣が最高指導者。

遺言その二。「政治主導は幻想だった」。そう森本人事がそれを物がたっている。民主党の建前論が画に書いた餅だったと自覚したということ。
野田は財務官僚に乗っかっている。致し方無し。田中角栄に比するような官僚操縦術にたけた人物はいないのだから。

3・11後、菅は次々に官邸に呼びいれたのは学者とか、なんとか。政治家で周りを固めようとはしなかった。それが無意味なことがわかっていたはずだから。参与という肩書与えて何人呼びこんだのだろう。ただ、その人たちはくその役にも立たなかっただけ。

遺言その三。「マニフェストのいい加減さを認めた」。輿石に指示した。与野党協議進めろ。その逐一を自分に報告しろ、おれが指示する。自民党への秋波、すり寄り。それすなわち修正協議でマニフェストの非を認めること。

党を割って出ることもかなわぬ小沢。小沢たなざらし。これとても遺言の一つかとも。

それにしても、今まで何人の政治家が「政治生命」の安売りしてきたんだろう。
もはや売り物にもならない「政治生命」って言葉。


改造劇の陰に隠れるように細野担当大臣が大飯原発再稼働で福井県へ。安全性を担保するために副大臣か政務官を原発に“常駐”させると。

思い出します。♪男、山村新冶郎♪。よど号ハイジャック事件での人質身代わり。時の運輸政務次官。
ハイジャック犯は身代わり認めたけど、原発は身代わり認めませんよ。誰がそこにいようが、暴れるときは暴れる。

これとても原発再稼働を達成するための“遺言”の一つなのだろうか。再稼働も野田は近々決断するということらしいが。

“鳥の将に死なんとするその鳴くや哀し。人の将に死なんとするその言や善し”
論語の一節を当てはめる気はありませんが。せめて鳥をドジョウに変えましょうか。

2012年6月4日月曜日

みんな”狼少年”だった

イソップ寓話に出てくる狼少年の話。人の気を引くため、狼が出た、狼が出たと騒いでいた少年がいて、誰もそれを信じなくなった頃、本当に狼が出てきて、少年は助けを求めたが、誰も来てくれなかったーーーそんなお話。

そのお話の教訓が「人は嘘をつき続けると、たまに真実を言っても信じて貰えなくなる。常日頃から正直に生活する事で、必要な時に他人から信頼と助けを得ることが出来る。嘘をつく意図はなくても、結果的に誤ったものとなる場合も同様」てなことになるわけですが。

今、この現生(うつしよ)を覆っている「不信」。まさに出元は「狼少年」の例えに匹敵かとも。

そして狼を強いもの、怖いものとちょっと拡大解釈してみたり、虎の威を借るキツネの寓話と重ねあわせてみると。昔むかしの寓話は現代にもそのままということですか。

「乾坤一擲」「一期一会」。2回も会うし、また会うかもとか。
離党、分裂。マスコミの勝手な推測だってかもしれないが、「お別れ」する気無しだし。

「電気無くなる」「電気足りない」。一部メディア少年が大合唱。電力不足“狼”に煽られて“容認”する知事さんや市長。

「福島の子供たちはみんな病気になるぞ、なるぞ」。どっこい皆元気に生きている。

自民党“狼”に脅されて、大臣の首切り。図に乗ったおじさんたちはまたまた“要求”をエスカレート。解散、解散。一番自分が怖いくせに。
おい、メガネ狼さんよ。

そして何回聞かされたことか「最強布陣内閣」。

「原子力は安全、安全」。電力“狼”に乗せられて。本当の放射能狼が来たら、誰もいなくなった・・・。

狼少年物語の数例。

もっとも主人公は皆大人。でも内容は、稀有な“少年達”。いや、それ以下。イソップさんに書き変えてもらいましょう。狼中高年と。

昔あった漫画かアニメ。狼少年ケン。この少年は違う。狼によって育てられ、やがて、双子の子供狼と一緒に、森を守り、動物を助け、邪悪な原住民と戦う。お姫様も助ける・・・。

福島の子供たちよ、狼少年ケンになろう。邪悪と戦おう。

おっと、これを書いている人・・。ケンイチだった。ケンだった。牙抜かれのケン。
なじょすっぺか。悶々とした日夜を送っているんだったとさ。

2012年6月3日日曜日

”日曜妄語” メルトダウンしている政治

メルトダウン。原発被災の福島県としては他の例えにしても、あまり使いたくない言葉ですが。

言葉といえば・・・大飯をめぐる「暫定的」とか「限定的」とかいう曖昧な言葉の羅列。去年「念のため」などという曖昧な言葉を今更持ち出したくはないものの。

政治の中では取り決めごとに「玉虫色」って言葉がよく使われる。外交交渉でも。どっちにもとれるって意味で。

曖昧さ。それは日本文化の特徴でもある。曖昧さが醸し出す雰囲気をよしとした時代があった。例えば平安時代など。和歌などがその一つ。曖昧。それは一つの心地よさにも通じる。はっきり言わないことで、良好な人間関係を作るとか。

その曖昧さを巧みに使って行われている政治や社会。何があっても、その伝統的精神は失われていない。それが、今、この時代では、かえって“害”のなっているというのに。

政治のメルトダウン。それは永田町だけではなく地方政治においても然りかと。

政治は党内向けや政党同士の駆け引きだけに終始すべきものではない。しかし、今はまさにそれ。「国民」ということが頭から抜けているバカ者ども。

野田を擁護する気はないが、小沢にしても、いや、野田の小沢に対することにしても。
「国民不在」なんて素人くさいことを言う気はないけれど。
自民党。これも一体なんじゃい。ああ言えばこう言うの駄々っ子。選挙、選挙と谷垣は言うが、選挙して政権奪還出来るはずも無し。ただ手前勝手な理屈並べての良い年こいたガキ大将のよう。

電力不足と原発再稼働の、それこそこの事故が無かったことのような政治の進め方、
政権のよって立つ基盤が無い。無策に等しい。

暫定的。その言葉の意味するところがわかりながらも、それを理由に再稼働を渋々認めて見せる関西広域連合。

「いつまでも認めるつもりはない、2,3年も」と橋下は言う。原発は13カ月で定期点検に入るはず。

政治家の頭の中がメルトダウンしている。目先の“欲”の溶融されているとしか。

とにかく、今、政治が行うことは、電力不足の中でどうやって行くかということを考え示すことのみ。

原発がある限り、停止させても維持費はかかる。莫大な。増税の比ではない。カネくい虫のエネルギーとしか言いよう無い。

立地自治体の財政、そこに住む人たちの雇用を含めた生活問題が、再稼働を後押しする。いくら疲弊しようとも、いったん事あればその町が、村が自治体が、なくなるんだよ。福島で実証されている。

真に「ふくしま」を思うこころありせば、「ふくしま」の教訓に感謝し、被害者の苦悩を糧として、「ふくしま」を別のところにつくらなこと。それこそが政治の要諦。過去に経験に学ぶということが。

福島県の立地地域は、たしかに原発マネーでおいしい思いをさせてもらったかもしれない。いや、たしかにそうだった。美味しい生活は崩れる。村は消えた。5年は戻れないと今朝も富岡の人たちと話し合って来た。5年後。それも無理だろと腹の底では思っている。彼らは。

他の立地地域の人ももう目覚めるか諦める方を進める。事があれば追われるは必定なり。

村が無くなって「ムラ」だけが残っている。そんな事わかっているはずなのに政治家は・・・。

2012年6月2日土曜日

故事とクールビズ

管子、あるいは管仲。中国の戦国時代の政治家。有名な言葉があります。

「倉廩(そうりん)実(み)ちて則ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱 (えいじょく)を知る」。

つまり、「衣食足りて礼節を知る」ということ。多分、中学か高校で習ったはず。人は、物質的に不自由がなくなって、初めて礼儀に心を向ける余裕ができてくると解釈されています。これに”異議“あり。そんなはずは無い。日本語にもあるでしょ。武士は食はねど高楊枝ってのが。

論語にある、寄らしむべし、知らしむべからず。これが、君主の命令は聞かせるようにし、従わせる。何も民草に知らせることは無いと解釈されているのと同じように。違うんです。知らしめるってことは難しいと解釈するのです。政事を国民にわかりやすいようにすべきだという教えと解釈するべきなのです。

養老孟司の「超バカの壁」にはこうあります。「多くの人は衣食が足りないと礼儀知らずになる、下品になる。 というように受け止めているでしょう。 でもそういう意味では無い。人間は 衣食が足りないうちは、まともな考え方はできない。ある程度の衣食をきちんと保障するのがいかに大事なことかと解釈すべきだ」というようなことが。

衣を整えることが礼節の第一歩だと言っていると亭主は解釈します。

きょうは郡山も晴天。暑いくらいです。近くにある葬祭場では葬儀が執り行われていました。黒の礼服に身を包んだ人たちが集まって来ています。それは死者に対する礼だと思っているからと。

クールビズという服装。なんとかって言う女性の大臣が唱えてから大流行になった服装。ネコも杓子もクールビズ。あげく、なんでも飛びつくマスコミ。なんとスーパークールビズなんて言葉や格好が登場。ポロシャツツ、サンダルで。「仕事の能率が上がります」。インタビューに答える会社員。まだ、そんなに暑くはないのに。節電に名を借りた、なんとも言えない流行。

閣僚は沖縄のカリウシウエアで閣議に。国会の中を歩き回る。示しあわせて。
国会議事堂。本会議。政治家として最も礼儀をもって臨む場。スーツにネクタイ当たり前でしょ。

その服装が礼を失しっている。そこからは礼を持った政事は生まれてこない。

昔話で恐縮ですが、毎夜、目白の田中角栄邸に行っていた頃。夏。たまたま早帰りしていた角さん、湯あがりだったのでしょう。単衣の着物に三尺帯。額に汗をかきながら応接間に。開口一番。「こんな格好で申し訳ない」。たとえ相手がネタ欲しさの記者共だって「礼」を失してはならないという心意気があった。

もう無職になってどんな格好をしても許される亭主ですが、今でも人前に出る時や塾生の前で講義するときは、どんなに暑くてもスーツにネクタイという格好で臨みます。相手に「暑苦しい」と思われても。

胸襟を開いて話し合おう。それをネクタイをはずしてと思っている人もいます。違います。心がけの、心の問題。心を開いて話し合おう、打ち解けて話をしようという意味です。

あのテレビに映る“クールビズ”なる格好の、それも、全く似合わない服装。そこから、国民に対する「礼」は垣間見えないと。

節電の夏。しかし、我慢する、耐える、身を整える。それが肝要だと。それの方が身が引き締まるかとも。

ネクタイはずして、変な格好している人たちから発せられる言葉にはどうしても、それが軽々しく、信を置けないと思う亭主は変わりものの頑固ものでしょうか。

エアコンに無い時代にも人は皆、衣を整えていた。

「クールビズで売り上げ増」なんてニュース見ると腹が立つのは、やはりおかしいか、ファッションセンスの無い、古い時代を生きてきた老もうの世迷い言か。お許しくだされ。

2012年6月1日金曜日

泣く子と電気と権力には勝てぬのか

「泣く子と地頭には勝てぬ」。よく言われる諺の類。泣く子のききわけの無いことを、鎌倉時代の地頭の横暴さにかけて言ったものであり、要は道理を持って争っても勝ち目のないことの例え。

翻って平成の世。泣く子とは「電気が無いと困る」という人たちの事か。地頭とは言わずと知れた政府、経産省か。

時代の寵児、橋下 徹くんもやっぱり大飯原発再稼働容認へ変身ときた。あれだけ強気に「反対」を叫んでいたのに。

メッキがはがれたってこととも思えるのです。

多分、この一事をして橋下人気は急落かとも。ブルータス、お前もか。

関西広域連合なるものも総崩れ。そうなんです、中央政府のお力は強いのです。
言いくるめられたというよりも脅しに屈した感あり。

「事実上の容認ですよ。この夏どうしても乗り切る必要があれば、暫定的な基準で暫定的な安全判断かもわからないが、もうそれは容認と」。

橋下のこの居直り、開き直りとも思える発言。
何が橋下をこうまで“変節”させたのか。

この夏、電気が足りなくなって大阪が停電となるかも知れないという恐怖。それに勝てなかったのでは。一時は「電力不足なんて関電の数字はあてにならない」まで言っていたのに。

「関電はわざと計画停電にまで持っていく。火力発電も事故を装ってわざと停める。関電は電力テロを仕掛けてくる」。橋下ブレーンの古賀君までがそう言ったんじゃビビるのは当然かも。

期間を区切っての再稼働なんて言っているが、もはやひかれものの小唄としか。

凄いですね。橋下も陥す、この電力パワー。そりゃ福島県が、当の昔にだまされていたのは当たり前かも。なにしろ県知事始め、多くの人が積極的に“誘致”したんだから。そうさせられたんだから。

かくて、粛々と、内容も、意味もわからない「責任」という言葉に全てを託して大飯原発は再稼働に向かいます。

関電管内は電力不足の心配ない、“安堵の夏”を迎え、送ることが出来ます。
今までと同じ生活が送れるのでしょう。節電はするでしょうが。

再稼働、電力不足。それに世の中の目をくぎ付けにして、福島原発問題から、いくらかでもマスコミの目をそらせる、国民の目をそらせる、忘れさせる・・・。そんな“心理戦”に負けたのです。

電気の無い夏。それを乗り越える知恵をさすがの橋下クンも出せなかったのでしょう。

「電力不足の夏」。税金上げる、高速道路は作る・・・。豊かになった日本はそれを“経験”してもよかったのでは。変わるべきだったのでは。

それが、せめてもの「ふくしま」への思いかと。数々の犠牲者への為にも。

かくて、大飯に続き、またぞろどこかの原発再稼働の動きが出てくるのも必定。

もう「ふくしま」はこの国にあってはならないことなのに・・・。