去年の今頃だったか。郡山のライハウスに行った。横山健という人が率いるロックバンド。そこのドラムをやっている松浦英治君というのが。彼が子供の頃からのちょっとした知り合いだったから。
この業界はつまびらかにしないけど、横山健バンドというのは3・11前は解散していたらしい。3・11を機に横山健というミュージシャンは、かつての仲間に呼びかけバンドを再結成し、ドラムに英治君を新たに加えて、東北の被災地へツアーを組んだ。
郡山のライブハウス、ヒップショット。若者たちで満員。ライブが始まると大歓声。大音量のステージから彼はマイクに向かって怒鳴った。
「原発クン、さようなら。君たちの役目は終わった」と。「原発のバカヤロー」とも叫んでいた・・・。
かつて、この国の音楽シーンを席巻していたのがフォークソングだった。フォークや反戦運動と合体するようになった。新宿駅構内をギターをもった若者たちを中心に、学生や若者が“占拠”し、ひとつの“うねり”を作っていた。
反戦運動との「合体」が、やがてフォークをニューミュージックという似て非なるような音楽へと“進化”していった。簡単に言えば。
なぜ当時の若者たちはフォークに憧れてたのか。歌に込められたメッセージではなかったのかと。
彼をフォーク世代と言っていいのかどうかわかないが、井上陽水の歌には未だに惹かれる。その歌詞は今の時代にも十分通用する。今の時代も言い当てている。例えば「傘がない」。
三上寛という青森出身で、限りなく寺山修二の憧れていた生粋のフォークシンガー。今でも覚えている。彼が歌った「夢は夜開く」。メロディーは藤圭子の歌と同じだが歌詞が違う。
いささか抜粋。昭和と言う時代を心憎いまでに描いているから。
♪七に二をたしゃ九になるが 九になりゃまだいい方で 四に四をたしても苦になって 夢は夜ひらく
♪風呂屋に続く暗い道 40円の栄光は 明日のジョーにもなれないで 夢は夜ひらく
♪紅提灯に人生論 やけに悲しくつり合うが コップひとつの幸せを なんで飲み終る
♪夢は夜ひらく唱っても ひらく夢などあるじゃなし まして夜などくるじゃなし 夢は夜ひらく
「ひらく夢などあるじゃなし」と別の題名をつけていたかもしれない。
大阪にはフォークの神様と言われた岡林信康もいた。多くのシンガーが歌に託して時代を歌い、メッセージを発した。
3・11後、テレビで時々「この時代」の音楽をやるようになった。亭主は勝手に解釈する。古い映像を含め、彼らを再登場させることで、テレビという“武器”を持ったプロデューサーやディレクターは、音楽を使うことで、今の時代に、限りない便利さと引き換えに原発という魔物を選んだ人たちへの「意志表示」をしているんじゃないかと。
でも、これらはテレビで、BSでしかやらないようなマイナーな番組である。世の中で何が起きていようと、誰が苦しんでいようと、メジャーなテレビの音楽番組やワイドショーの主流は、主役はAKB48なのだ。彼女たちに一挙手一投足が話題なのだ。
四十年前、五十年前の歌は、今でも歌い続けられる。今からそのくらいの年月が経った時、AKBの歌が歌い続けられているのだろうか。
台風のニュース。雨、傘・・・それらが重なった、いくら書いても書ききれない“音楽談義”。
2012年6月19日火曜日
“チェルノブイリ”異聞
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