2012年6月14日木曜日

みんな”傍観者”だった

先日大阪であったいわゆる通り魔的殺人事件。死刑になりたかったから誰でもおおから殺した。

現場は察するに繁華街。多くの人が行き交っていたはず。それを証拠に目撃者と称する人がテレビのインタビューに答えている。その時の様子を詳細に語っている。新聞も含め、あたかもその場にいたような状況が書かれる。多分、報道陣が到着した時は、殺人行為は終わっていただろうに。

現場にいた「普通の人」が、携帯、スマフォでその模様を撮影し、ネットにアップしているという。事件はもちろん、その光景も異様だなと。

誰か一人でも犯人を取り押さえる、殴りかかる、そんな人はいなかったということ。もちろん、凶悪な光景に足がすくんで震えがきて身動きできなかったというのは容易に想像出来るが。素手ではなくてなんか近くにあるもの持って殴り倒すってこと出来なかったのだろうかと。

もちろんそれを見ていたわけではない亭主も一種の傍観者なのだけれど。すくなくともその模様を“撮影”していた人がいるということ。現場での傍観者。
誰かが勇気を奮い起せば救えた命があったのではないかと。

1985年、大阪のマンションの一室で、当時詐欺事件で逮捕寸前の豊田商事会長が、逮捕の瞬間を取材に来ていた多数の報道陣の前で、右翼の男らに惨殺された。男たちは永野を殺すと言って窓を壊して部屋に入り、実行し、血だらけのまま出てきた。警察を呼べと報道陣に叫んだ。

テレビも新聞も、週刊誌も。カメラマンたちは、その部屋ではなかったものの、その模様を撮影して放送したり掲載していた。そのことを思い出す。

「取材者は、そこにあったこと、そこで起きていることを報道するだけ」。そう思っていたのかどうか、後からマスコミの在り方に議論が湧き、マスコミ内部でも様々な反省も含めての総括が行われたが。
止める者はいなかったのか。止める勇気はなかったのか。

肉眼で見るのと、カメラのレンズを通して見るのとでは、そこにあることが違って見える。そんな述懐をカメラマンから聞いたことがある。レンズを通すと「傍観者」になれるということか。

3・11。津波が襲ってくる現場にいたカメラマンがいる。カメラを回し続けるのが「仕事」だと割り切ったか、取材よりも人命と思ったか。カメラを離して人を助けたカメラマンもいる。

暗闇で助けを求める声と耳にしながらも、“業務命令”で、その場を離れざるを得なかった消防団員もいる。彼は今でもそのことを悔いている。

「ふくしま」を傍観者として見て、様々を語る人たちがいる。それは、多くが”悪意“を伴っているかのような。

ある意味、“傍観者”としか言えないような立場かもしれない亭主。日ごと原発を語り、政治を語っている・・・。

おおい町長も再稼働を容認した。県知事も容認する。野田の国民への”説明“を了としたということで。野田の発言がそんなに効用があるとは。実態を伴わない言説。
最大の傍観者。それは政治家だ。「増税」というのは大問題。でも、修正協議での意味無いやりとり。倒閣、解散を念頭にいれた愚にも付かない「言葉遊び」の日々と・・・

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...