2014年8月31日日曜日

慣れたのか、慣らされたのか

30年、ずいぶん先のことだ。中間貯蔵施設は30年。それの帰趨は予想できる。
廃炉まで30年か40年、その帰趨は見えてこない。

何かが進んで、何かが終わったのか。
1F構内で。さっぱりわからない。

あれほど騒がれた4号機の燃料棒取り出し。今、何本移送出来たのか。どこも伝えてくれない。

伝えられないことに慣れてきている。

3号機で、クレーンの操作ミスか。燃料プールに“機器”が落下した。線量には「変化はない」と東電は言う。

世が世ならば(変な言い方だけど)、大騒ぎになるアクシデントだ。でも、東電の発表が報道されただけで、「後追い」は無い。

1Fでの出来事は、そこでは常に何か異常があるということに慣れてしまったのだろうか。

他核種除去装置、ALPSはどうしているのだろう。「正常運転」はされていないはずだ。
でも、増設されるという。

地下水の汲み上げ、海への放出。されているのかいないのか。凍土壁のこともそうだ。
結局、1Fは、あの当時とさしたる変わりは無いということなのか。

慣らされてしまっているのだろう。

“惰性の回転”の中に思考がうずまってしまっているのかもしれない。

人が車が通れない箇所が多々出来た。検問がある。それにも慣れた。
仮設がある光景にも慣れた。仮設に住むことにも慣れた。

慣らされている。

「カネで問題を解決する」。そんなことにも慣れてきたのか。

もう3年以上も「怒りまくっている」。毎日怒る自分にも慣れた。怒るということは疲れることだ。その疲れにも慣れた。

怒りっぽくなっている。日常の人間関係でも、些細なことで怒ってしまう。結果、「ひびをいれている」。

時々“視野狭窄”に陥っていることにも気づく。自己嫌悪感も増幅される。

世の中、すべてが気に入らないということになる。いつまで、こんな“感情”が持続できるのか。

見ざる、聞かざる、考えざる。惰眠をむさぼっていれば、それはそれで“楽な老後”かもしれないが。そうはなりたくない。

八月も終わる。

ある種、無意味に過ぎて行くような月日の経過を嘆くことにも慣れた。

慣れてはいけないのだ。忘れてはいけないのだ。過去が忘れ去られることにも慣れてしまったような。

荒ぶる自然の脅威にも人は慣れてきてしまっているのかもしれない。

政治の世界の馴れ合いにも慣れているような。

やがて、“暴走する”権力者がいることにも慣れてくるのか。

「家畜人ヤプー」であり続けるのか。家畜人に慣れるのか。


福島にある「慣れ」だけの問題ではない。沖縄に米軍基地があることにすら、多くの人が慣れてしまっている。それを“異常”だという感覚が薄らいでいる。

昨夜も仲間の集まりがあった。何かの拍子で、戦後の食糧難のことが話題になった。

どこにでも、食べ物がある。酒もある。食べ物があるということの有難味は無い。「そこに在ること」に慣れてしまっている。

パソコンがあり、出先でもスマホがある。それらが「在ること」に皆、慣れてしまった。

時々、パソコンがおかしな動きをしたり、不調になることがある。普通にあって当たり前だったものが変調をきたす。慌てる。

どこかで「慣れ」を断ち切らないと。

不信感。すべてに対する不信感。「不信」を抱いたまま、このまま行くのか。

おかしなことを書いている日曜の夕方。

2014年8月30日土曜日

福島の「これから」・・・

テレビを付ければ、新聞を開けば、政局話に花が咲いており・・・。
石破がどいした、人事がどうなる、同工異曲の記事、解説。どうでもいいような。

一つだけ気になる言葉。石破が言った「組織人だから総理の意向に従う」。政治家って国会議員って組織人なのだろうか。政党には所属している。政党とは組織か。

この言葉から何を連想しても「国民」という思考は伺えない。政党の所属しているからといっても、選挙で国民に選ばれた個々人であるべきなのだと。
せめて政党人だからとうならまだしも、組織人というアイデンティティーに埋没した感覚が理解しがたい。

どこのマスコミを見ても、復興大臣や環境大臣の名前は出てこない。福島にとっては、その任に当たる人が「クソの役にも立たない」人物であろうと、どういう人がなるのかが気になるところなのだが。

すでにして、福島はさほど眼中にも無いということの裏返しなのか。

明後日にも県知事が、これもまったくわけのわからん奴だが、官邸におもむき、中間貯蔵施設の受け入れを正式に表明するらしい。

なんかずいぶん「まわりっくどい」手を使ってきたもんだ。今さらながら思う。

中間貯蔵施設の建設が決まる。国から3010億円、県も数十億円。復興拠点づくりに何億円。

貯蔵施設が出来上がったら、たぶん、その建設は“急ピッチ”で進められるだろうが、数年後には搬入だ。
仮置き場に“放置”されたままの黒い袋の山。それを運び込むのに10トンダンプが何千台、何回往復するのだろう。すでにしてフレコンバッグは“破損”し始めている。ダンプがたとえば国道288号を通る。その他の国道、県道を走る。道路の舗装は破損するだろう。

その過程で、なにかと「問題点」が生じるはず。
中間貯蔵施設を作らねば黒い袋の山は無くならない。だれもそのことはわかっている。わかっているが「新たな問題」に直面することになる。

県知事は最終処分場の県外設置を、あらためて国に確約を求めるという。国だった「そうします」というだろう。“確約”するだろう。だけど、その目途はどこにも無い。引き受けるところは無いはず。指定廃棄物の処分場ですら、大もめに揉めているのに。

皆、本心ではわかっているのだ。大熊、双葉が結局は最終処分場になるということを。それを口に出せないだけで。

9月1日。それは福島の新たな混乱の始まりかもしれない。

数年後には、国は「除染」から手を引くだろう。無尽蔵に「カネ」を福島につぎ込むわけにはいかないのだから。

すべて、国家を軸にした大ペテン劇が始まるのだ。

福島は黙って受け入れるしかない。諦めるしかない。

大熊、双葉の復興拠点構想。新たな街づくり。

そこに、拠点とされたところに田園の光景は蘇るのか。

住民が避難した場所。そこで「泣いている」のは「土」だ。田畑は手入れを怠れば、その「価値」が無くなる。3年も手つかずでいた土地。そこを復元できるのか。

無理だ。

手入れされない「土」は悲鳴を上げている。土地が傷ついたということは、そこから生み出されていた作物が無くなるということだ。単なる放射性物質の飛散と言うことだけではない。傷ついた土地、土。海。それは、「食」ということから考えても、人間そのものの在り様を傷つけてしまったということだ。

「土」を蘇らせないかぎり復興なんて言葉は無意味だ。

だから、その地を捨てざるを得なかった人たちの、言い知れぬ苦悩があるのだ。

そんなことを含め、中間貯蔵施設の建設は、新たな苦悩の始まりだ。
これからの福島はどうなる。それへの問いかけが始まるということなのだ。

政局報道にうつつを抜かすマスコミたちよ。あなた方は、その使命として、いっときたりとも福島から目をそむけてはないないのだ。

妄語です。ご寛容にて。

2014年8月29日金曜日

犬の話し

三春にあった原発避難による動物シェルターが新規受け付けを止めたという。
一時は多くの避難動物が収容されていたところ。

今は犬6匹、猫10匹程度になったと。どこかに引き取り手があって出て行ったのだろう。
シェルター側では、今る子たちの引き取り手を探す活動に専念するという。

県内には、飯館にしても、その他の地にしても、原発事故によって行き場を失った犬や猫が沢山いる。居た。浪江では、今も牛を買い続けている人もいる。

何か、災害や事故があると一番の被害者は動物なのかもしれない。

相馬から引き取ってこられた、事務所の隣の「ヒロシ君」は元気だ。飼い主の実家がある二本松との間を行き来し、人気者だという。

災害弱者というと高齢者や子供がまず挙げられる。病人もだ。でも、動物も、見えない災害弱者なのだ。

核と人類は共存できない。動物と人類は長い間共存してきた。

最近、盲導犬の虐待が話題に供されている。刃物で傷付けられたり、ペンキを塗られたり。
ハーネスと付けている間は、彼らはお仕事中だ。守るうべき人を守るのが彼らの仕事だ。何をされても抵抗はしない。暴れないという。盲導犬は中型犬以上だ。

もし、ハーネスと装着していなかったら、彼らは多分、襲撃者を物凄い力で反撃したであろう。でも、それをしない・・・。
反撃しないことを知っていて、盲導犬を傷つける。“弱者”に刃を向ける。

そんな風潮を時代に反映させて考えてしまう。

広島の土砂崩れ現場。保健所で殺処分寸前だった犬が、“運よく”愛護団体の手に渡った。やがて彼は災害救助犬に育てあげられた。

現場に派遣され、一人の遺体を瓦礫の中から見つけた。愛之丞くんという。

警察犬や災害救助犬。広島の現場で多頭が活躍している。
人間は装備された服を着用し、頑丈な靴を履いている。

犬たちは素足だ。犬にとっての生命線とも言われる肉球を傷つけたのも多い。
体を傷付けた犬もいる。
でも、彼らは決して尻込みもしないし、その場を離れない。体中泥だらけになりながら「職務」に励んでいる。
石の上で束の間の休息、睡眠をとり、また「仕事」に向かっている。疲労困憊の体を引きずるようにしてでも。

捨て犬、捨て猫は後を絶たない。人間の都合で彼らは捨てられる。

捨てたくて手放したのではない。仮設や借り上げ住宅にはすまわせることがかなわず、シェルターに預けられたり、手放したのもある。

愛之丞君だって、人間の都合で、殺処分寸前にまでなったはずだ。死の恐怖を彼らは本能的に察知していたのだろう。
その犬が勝手な人間の為に身を粉にして働いている。

3年前、殺処分されるために車に乗せられていく牛や豚の光景を何回見たか。
彼らは皆、覚悟しながらも泣いていた。目に涙を浮かべていた。乗ることを拒否した子もいる。

人間と動物との関係。

彼らの方が「上」なのかもしれない。

先日、我が家の犬と話した。犬に話をしてやった。テレビに映る犬を見て飛びついていたから。
「君は体が小さいから救助犬にはなれないよな。せめてセラピードッグにでもなってみないか」と。

不思議そうな顔をしてこっちを見ていた。そしてごろんとして寝ていた・・・。

夕方。間もなく、散歩に出かかる犬たちが事務所の前を数頭通る時間だ。
最近知り合いになった「ムサシくん」に会えるかな・・・。

結論のある話ではない。犬は「凄い」という一語に尽きるだけの話。「犬は神様だ」という話に納得するということ。

盲導犬を傷つけた事件。警察の捜査の容疑は“器物損壊罪”だという。違う。犬は器物なんかでは絶対無い。

2014年8月28日木曜日

「予見は可能だった」という裁判長の見解

以下、地元紙の記事の引用である。

「潮見裁判長は、原発事故に伴う東電の自殺者の予見可能性にも触れ、「(東電は)原発事故が起これば、核燃料物質が広範囲に飛散し、居住者が避難を余儀なくされる可能性を予見できた。避難者がさまざまなストレスで、うつ病をはじめとする精神障害を発病する者、自殺に至る者が出ることも予見可能だった」との見解を示した」。

一昨日あった福島地裁での“原発事故関連自殺死”裁判の判決。

まさに「予見可能」だったのだ。

予見。広辞苑にはこうある。「事がまだ現れない先に、推察によってその事を知ること。予知。」と。

今、予見、予見の可能性という考えを司法の場で語られたことは大きな意義があると思うのだ。

大地震の後には必ず津波が来る。予見の範囲内だ。津波の高さ、大きさだって過去の記録、経験を当てはめれば予見の範囲内とも言える。

そもそも、原発を作った時から、事故が起きる、起きたらどうなる。予見の範囲内のはず。

予見という言葉を、時々、想像力という言葉に置き換えて使ってきた。そして我々は気づいた。あらゆることに想像力が欠如していたと。
予見は排除されていたと。

裁判長が予見の可能性に触れたことは、他の原発裁判への影響は大だ。

予見し得る立場に居たものが予見しなかったこと。知っていながら知らんぷりをしていたこと。大勢いたはず。

SPEEDI、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステムは、それが公開されなかったことを含めて活用されなかったことが大問題になった。

そのSPEEDIはお役御免とばかりに事実上、今後は使用されなくなる。空中からの実測値に変える。いや、単純に“コンパスの同心円”で決めるという。

「SPEEDI」問題だって予見の範囲だったはずなのに。拡散予測は出来たはずなのに。

広島の大雨による大災害だって予見出来る、予見可能なものだった。過去に経験もあり、地質学者、土木学者も指摘していたのだから。

行政は予見を怠っていたということにはならないか。

重ねて言う。予見とは想像力に置き換えられると。

想像力を働かせれば、災後の対策は、避難にまつわるさまざまなことどもがもう少し、どうにかなっていたであろうということ。

今、まさに日本は「災害列島」であることを思い知らされた。日本だけではない。地球規模で災害が多発している。

それとても、予見の範囲に当てはまることもある。

でも、人は、「予見」を避ける。本能的に「予見」を避けたがる。故に「人災」と呼ばれる所以だ。

想像力の欠如。あらゆることに対して言えることだ。それは「考えること」と言ってもいい。
予見を避けることは不作為にも通じる。

予見の可能性。裁判長の見解に触れ、“覚醒”させられたことの多々あり。

「思考停止社会」への、「責任回避社会」への“警鐘”とも受け止めるが。

それにしても、この裁判のマスコミの扱い。なんと小さい事かと。

原発事故を巡って示された東電の責任を問うた初めての判決。読み解き、解説含めて、全国紙はもっと大きく取り上げて然るべきことだったのではないかと。

福島だけの問題ではないのだ。

2014年8月27日水曜日

「個体の脆弱性」そんな“詭弁”は排除された

2011年7月。前夜から一時帰宅で川俣町山木屋の自宅に戻っていた渡辺はま子さんが、庭でガソリンをかぶり焼身自殺した。
前夜、縁側の座椅子に座り庭を眺めながら夫に言っていたという。

「あんたは避難先に帰りなさい。私はもうあそこには行かない。ここにいる」と。翌朝早く、夫が見つけ、火を消そうとしたがかなわなかった。

夫は原発事故による避難のストレス、それに起因するうつ症状があったとして東電を訴えた。

東電側は反論した。東電が考え出したのか、東電側の弁護士が考え出したのか、とんでもない「詭弁」。

「個体の脆弱せいによる自殺」。その他の人が自殺していないのだから、はま子さんの性格が弱い、脆弱だったとする反論。裁判の中で展開されていた論法。

東電は、東電側の弁護士は、奇妙な言葉を見つけ出し、詭弁を弄する。

ゴルフ場が放射性物質で汚染された損害賠償訴訟。事故でまき散らされたものは「持ち主」がいない。「無主物だ」。そう言い張り、裁判所もその主張を認めた。

今回の福島地裁の判決。「自殺は原発事故が原因」だとして、因果関係を認めた。司法の初めての判断。
9千万円余りの損害賠償請求に対して、4900万円の賠償支払いを命じた。

極めてまともな判決。それが異例のように伝えられるという異常さ。

裁判所は裁判の過程でも「和解」を求めてきた。和解とは。金による解決だ。

はま子さんの夫はそれに応じなかった。
「東電の責任を明確にしたかったから」と。

原発事故に起因する関連自殺。福島だけでも56件ある。現在裁判中のものもある。

他の裁判所がどういう判決を下すのか。

「判決を真摯に対応します」とコメントした東電は、控訴するのか。

個体の脆弱性。この言葉を初めて聞いたとき、怒りが込み上げてきた。人間を個体と言う言い方。わけのわからぬ言葉を抜き出してきて責任逃れをしようとはかる「東電側」。

何が何でも東電を悪者にしようと言っているのではない。

一般人の普通の感覚で言おう。事故があったのは事実だ。なんであれ、事故の責任はあるはずだ。
それをなんだかんだとわけのわからぬ言葉を並べて責任逃れをしようと図る”姑息さ“に腹が立つのだ。

集団的自衛権にまつわる内閣法制局の「見解」を引き合いには出さないが、司法の在り方が、これほどまで問われた時は、過去をみてもあるまい。

司法が東電の責任を認めた。そのことに意義がある。

だけど、これとて損害賠償という民事訴訟だ。

以前から何度も言っている。刑事責任を問うべきだ。明らかにすべきだと。

罪人を作れと言っているのではない。刑事責任が問われなければいけないのだ。

当時の東電幹部、原子力村の関係者、そして政府・・・。

それを問うた公訴提起は、すべて、検察の不起訴決定で見送られている。
検察審査会が動いた。不起訴不当とした。
裁判は行われる。

そこで有罪判決が出されない限り、この国にあっては「法の正義」は成り立たない。

今、改めて問われているのは裁判所による「法の正義」の履行なのだ。

黒を白といいくるめるのが司法の役割ではない。

なぜ普通の国民が、時代劇の「大岡越前の守」を好み、拍手喝さいを送るのか。答えは簡単だ。大岡忠相の“弱者の視点”を歓迎するからだ。

昨日のこの判決。多分、今後の原発訴訟の流れを変えるだろう。

なぜ、刑事責任を問うのか。金で解決しようとする、出来るとしたら、再稼働して事故を起こしても、誰も責任を負わないということになるからだ。

潔く責任をとる。日本人の“美徳”だったはずなのに・・・。

2014年8月26日火曜日

“人事”が踊る晩夏

いきなり秋突入の感。気温差に戸惑っています。

気候とは別に永田町はお熱いようで。来月3日の党役員、内閣改造。人事を巡ってさまざまな動き。

人事を追う。政治記者にとってはまさに“男子の本懐”到来。いや、今は女性記者も多いから男子の本懐っていうのは変かな。

政治の世界でも、企業でも、官庁でも、人事は“要諦”なのであります。どういう人事をするかによって組織の命運も左右しかねない。

しかし、まあ、これほど、人事構想がぱらぱら出てきて、マスコミを賑わすってのは珍しかも。

昔、佐藤栄作という総理大臣がいました。ノーベル平和賞まで受賞した人。

人事の佐藤とも言われていました。微妙なバランスの上に党内融和を図ろうと人事には熱心でした。

そして人事がマスコミに漏れることを極端に嫌った人でもありました。

「新聞辞令」って言い習わしがあります。新聞が入閣候補として伝える。その新聞はコピーされ、大量に選挙区にばらまかれる。でも、それは結局、記事になっただけという悲しい結末。
とにかく政権党には大臣病患者がうようよいたのでした。

ある時の改造人事。佐藤内閣の。「新聞に出たら、人事は全部ご破算。変える」。栄作さん、そう公言していました。

人事が漏れるってことは人事権者の沽券にかかわるとうことでもあったのでしょうか。

そして、栄作さんが構想していた主要人事が、見事、新聞にすっぱ抜かれました。栄作さんは見事でした。全部変えてしまったのです。

人事が報道される。それは、関係者の、いわゆるリークによるところ大です。後は記者の聞き出す腕次第。

石破の処遇を巡っては、リークと取材合戦の中で、いろいろ取沙汰されてきました。石破がラジオで安保相受けないと言って終わり。
改造前一週間にして人事の一角が決まってしまう。これとて稀有な例なのです。

これから一週間、人事をめぐる報道、それの意味合いを巡って当事者もマスコミも踊りに踊るってことなんでしょうね。

大方の骨格も決まったような報道ぶりもあり。相も変わらずの光景。

先ほどの佐藤栄作の件。人事を潰すための「リーク」でした。

新聞辞令、観測気球。書かせて反応を見る、様子を見る。名前の出る出ないで一喜一憂。

政界だけではない。企業でも同じ。人事を巡る人間模様は。漏らすなと言っても漏れる。

言葉のこじつけのようですが、「いちえふ」では、水が漏れっぱなしです。そして肝心の事は箝口令のもと漏れてこない。

漏れた吉田調書。公開決めたが黒塗りの可能性もあり。

改造人事報道は、書き得です。結果が間違っていても、誰からも誰何されない。

いわゆる人事とはちょっと違うけれど、福島県知事選。なんだかすっきりしない展開のまま進行中。

自民県連の推す鉢村には党本部がなぜか「うん」といわない。相乗り目指す。

単独では勝てる見込みが立たないという算段か。

注目される雄平はだんまりを決め込んだまま。近々、決着するであろう中間貯蔵施設受け入れ問題。それを見ての判断ということか。雄平支持の民主党県連。これまたなんとも。何も決められない。荒井広幸が後ろに居るから熊坂には乗れないということか。

福島県民の多くは、あらゆることで「不信感」に満ち満ちています。国には騙されてきた。東電本社には恨みしかない。知事に対しても然り。

結果、候補がはっきりしないことでの県民の政治不信は募るのではないかと。

永田町では“踊っている”。福島県では“眠っている”の感。

2014年8月25日月曜日

“経年劣化”

年を経るごとに何物も劣化しいていく。当然のことだ。いつまでもそのままでは有り得ない。

広島の惨事。花崗岩が年とともに風化した真砂土という地質が問題だという。
乾けばかたまる。かたまらないものは粉塵となる。

汚泥に足を取られながら、救出、救援活動に励む人達に敬意を表する。駆け付けたボランティアにも。

「恩返し」だと言って駆け付けた東北の人達もいた。

被害にあった地域は、たぶん、「住めない」地域になるだろう。岩だって一滴の水が穿っていくのだから。

何時までも避難所暮らしは続けられまい。

避難所暮らしがどういうものか。3年前、毎日のように通っていたから実情はよくわかる。誰にも、何処にも“悪意”は無いが、支援物資で食いつなぐ日々。それは人間の尊厳が損なわれた場所なのだ。

県営住宅、市営住宅の空き部屋への紹介が始まっているという。民間でもアパートを持っている人から無償提供の申し出もあるという。

でも、間に合わないだろう。仮設住宅の検討がされているという。

東北。仮設住宅の劣化が激しい。もともと「仮設」とは2年間もてばいいようなつくりだ。
業者によってもつくりが違う。間に合わせの応急仮設。そこでの暮らしが4年、5年となるとは誰も予測してなかったろう。

溶岩流で被災した伊豆大島。流されて地域は、おおくがあの時のままだ。瓦礫は残っているし、全くの更地のままのところも。

仮設は、物理的に住めなくなるところなのだ。劣化して。

我が家の周りは今、除染が盛んに行われている。やっとだ。剥ぎ取った土は「フレコンバッグ」に入れられ、地中に埋めるのが通例。
たぶん、2~3年でそのバッグは劣化する。破れる。線量の多寡の問題ではなく、劣化が常につきまとっているということ。

公有地であっても、善意で提供された土地であっても、そこに野積された真っ黒いフレコンバッグの山。やはり経年劣化ということなのだろう。
破れだしているところもある。

黒い汚染土の山を見ながらの日々。それを異状視していた感情も、やがて慣らされ“劣化”され日常の光景として受け止められることになるのか。

解決策は「中間貯蔵施設」ということにしかならないのか。

すべて、「致し方ないこと」とする以外にないのか。

多分、1Fの原発施設も、どこかで経年劣化を起こしていたのだろう。40年の耐用年数。

劣化に気づいていた人もいる。会社は劣化を認めてこなかった・・・。

人間だってそうだ。老化とは劣化のことだ。特に身体能力という点では。
食い物に気をつけ、「適度な運動」をする以外に劣化を止める、遅らせる手立ては無い。

日々、広島の惨状を見るにつけ、傍観者にしか過ぎないが、激しい脱力感と無力化に襲われる。

政治の劣化。この3年余り、もう、いやというほど見聞きさせられてきた。その劣化防止策は見つからない。日々嘆いていても「致し方ない事」だとは十分承知の上で。

2014年8月24日日曜日

「水の力」

広島の大水害。まだまだ水は山の沢をつたって町に流れ出している。
土砂が、汚泥が、救出の行く手を阻み、救援活動もままならない。
またも雨が降るとの予報もある。

山にはコンクリートによる「砂防工事」がされていた。自然が生み出す水。大量の水は「人の力」「人の努力」「人の知恵」を瞬く間に破壊した。

多くの被災者がおられる中で、不謹慎の誹り免れないかもしれないが、あらためて思う。自然の力の凄さを。水の力を。

人類は水には勝てないということを。

福島第一原発事故現場。依然として最大の課題は水だ。
地下水を“直接”海に放出する。

建屋に流れ込む水。たまる汚染水。凍土壁を作って地下水の流入を遮断しようとした。凍らない。漏れ出す。
「トレンチ」に凍結管という装置を作り、水をせき止めようとした。凍らない。

致し方ない。漏れている部分に氷やドライアイスを入れて凍らせようとした。
しかし、万全の策では無かった。氷の壁で止水するのは無理となった。止水の障害となっている配管などがある。そこに充填剤をということになっている。

どうみても文字通り、「つぎはぎだらけ」の策ではないかと。

凍らせるために使われて氷やドライアイス。金額にすれば320億円だという。

320億円が、それこそ「水に流れた」ということ。

技術の粋を集めたところのはず。集めているはず。しかし・・・。湧き出してくる水、流れ込んでくる水にはかなわない。

水の流れは速い。広島でもそうだった。100メートルを10秒で下ってくるという。
打つ手は無い。

流れている水を凍結させるという発想は、土台、無理だったのだろう。
壁に描いた餅ってことか。

結果、水は浄化して海にと言う“構想”も崩れる。

流れ込んでくる水は、汲みあげてタンクにいれるしかないということか。

汚染水タンクは増設に次ぐ増設。1Fの敷地内に林立するタンク。タンク。

それを眺めながらの収束作業。

あの野田内閣時代の「収束宣言」とは何だったのか。その「宣言」だけは、今でも“継続”されているとう怪。

発電時も含め、原発を支えていたのは「水」。事故後、おびやかされるのも「水」。

広島では依然として水の脅威にさらされている・・・。

手立てはないものか。無いのだろう。人類は水には、自然には克てないのだから。

今さら、永平寺の水五訓を持ち出すまでもないが。

理論や技術は進化しても、「摂理」は何も変わっていないのだ。


氷が溶けたら何になる。そんな質問を投げかけた児童詩人がいた。

大人は答える。水になる。と。

子供は違う。考えて想像力を働かせる。子どもの答えは「春になる」だった。

一般的な「大人の概念」「大人の思考」「既成概念」「経験則」。いわば硬直化した発想と言うべきか。

子供のような柔軟な発想力。それを要求するのは無理があるのだろうな。

2014年8月23日土曜日

「昭和天皇実録」、史観を変えるかもという期待

昭和天皇の在位62年、87年の生涯をまとめた“公式記録”。昭和天皇実録が24年余りの歳月をかけて完成した。近く、徐々に公刊されるという。
1万2千ページ。公刊に先立ち、マスコミ、宮内庁記者会には先に公開されるのだろうか。

物凄く興味が湧く。天皇の目を通した「昭和の実相」がわかるからだ。

「昭和」にかかわる本は数多く読んできたつもりだ。例えば松本清張の昭和史発掘から始まって、半藤一利の昭和史に至るまで。
作家の本ばかりではない。宮内庁関係者や侍従の記録なども。

平成もすでに26年。昭和の実録、実相をあらためて知りたいと思う。断片的な昭和史ではなく、例えば戦争時、統帥権を持っていた天皇の記録。

「過去には戻れないが過去を知ることは出来る」。

これほどのものはあるまい。

極端に言えば、昭和は、ある時まで戦争の世紀だった。その戦争を、天皇陛下がどういう思いで見ておられたか。どういう立ち位置に身を置かれていたか。

特に、先の大戦。敗戦時の戦争指導最高会議、御前会議。さらには開戦時の動き。

昭和天皇は戦争を回避したかったと聞いている。それが突入せざるを得なかったいきさつ。
それが記されているかどうかはわからないが、「天皇陛下万歳」と言いながら死んで行った兵士たちへの思い。暴走する軍部への思い。現人神とされていたことへの思い・・・。

生きているうちに、それらを知ることが出来るのは幸いなことだとも思える。

もしかしたら、ここ数年の世情を憂いた今上天皇が刊行を督促されてのかもしれないとも思う。

「四方の海、みな同胞(はらから)と思う世に、など波風の立ちさわぐらん」。

明治天皇の御製を、なぜ東条英機に伝えたか。それを東条の側から知ることは出来たが、天皇の真意はいかばかりだったのだろうかとも。

玉音放送の録音時の心境はいかばかりだったのかも。
靖国に対する思いは・・・。

あの頃を支配していた皇国史観をはじめ、さまざまな史観が覆されることだって考えられる。

虚偽も誤報も無い。歴史に残る公文書だ。

人間宣言をした時の心境。マッカーサーとの会見時の心境、実相。
それは憲法論議にも一石を投じることになるかもしれない。

戦後69年、まもなく70年。今を生きる人達にとっても、戦地に赴いた人達も、戦に殉じた人達の遺族にしても、引き揚げてきた人たちにとっても、知りたかったことだらけなのだ。

昭和と言う時代を正しく把握することが、この国のこれからにとっても重要なことだらけなのだ。

戦争を知らない人達があまりにも多すぎる。戦争を知りたいという若者が増えている。今は、「歴史の転換点」なのかもしれない。

そこに何が記されているのか。胸騒ぎすら覚えてくるのだ。

今上天皇は、広島の惨事を見聞きし、静養を取りやめた。日には合致していると思う。陛下の行動を聞いたゴルフ中の安倍は焦ったのではないか。
あわてて帰郷した。

陛下の無言の、行動による安倍への“忠告”とも受け取れた。余談だが。

2014年8月22日金曜日

「許されざる者たち」

予想としてはあった。でも、書くのをためらっていた。でも、やはり現実に発生した。

広島の大水害の空き巣事件だ。

半壊になった家に住民が戻ってきたら、家中が荒らされていた。掛けた鍵も壊されて窓ガラスを破られて。

懸命に働く自衛隊、警察、消防がいる。救いたい、早く汚泥を無くしたい。
すでにして、中高生、大学生もボランティアで入り、家の泥出しや、瓦礫の片付けに汗を流している。ボランティアは普段着のままだ。真砂土が乾いて粉じんとなって飛散する。彼らの多くは無防備だ。

災害現場。そこには治安や防犯にあたる人達はいない。多くの人は肉体作業に追われている。
そこに目をつける奴らがいる。こんな言葉では片付けられないほど憎いが「火事場泥棒」だ。

3・11後の様相。原発事故で避難した町村。立ち入り禁止区域。国道や県道は警察が警戒している。裏の抜け道通って、それが「目的」である、空き家への侵入。福島では多発していた。

犯人は検挙されていない。

津波にあった三陸。

慰霊の場におかれた、祈りの場である場所の賽銭箱を盗んでいく奴がいた。
それも常習だ。

犯人は検挙されていない。

賽銭箱を撤去するという決断を強いられているとも聞く。善意の方に申し訳ないとして。

「心が痛まないのか」。そんな発想は無意味なのだろう。

なんでも有の世の中。

彼らがつかまっても、微罪だ。窃盗か住居不法侵入か。
今の法律ではそれ以上は裁けない。

「死刑にしろ」と言いたくなる。死刑肯定論者ではもちろんないが、感情的にはそうなる。

弱みに付け込む犯罪。いわゆる年寄りをターゲットにした「おれおれ詐欺」の類もそうだ。

人の弱みに付け込む。弱い人を狙う。そんな「社会現象」がいつのころから蔓延していったのだろう。被災者救済をうたい文句にしたNPOを名乗る詐欺団体だって然りだ。

皆、つかまっても微罪で終わりだ。

広島でも、京都でも、その他の地でも、天変地異に対処する法整備はまったくなっていない。上記の犯罪行為とは別の話だが。

行政はすべからく法を建前にして、法に基づいて動く。避難勧告、指示だってそうだ。多くの公務員が法に縛られている。

3・11後もそうだった。あらゆる既成の法律が壁になって、被災地の復興を妨げた。建築基準法、私権擁護、国土計画法・・・。

既成の法律はぶち破らねばならないのだ。また気持ちは3年前にさかのぼっている。

我々の生活を規制している、規定している法律の数々。多くが「前世期の遺物」なのだ。

社会構造が変わり、価値観が変わり、システムも変わっている。法だけは旧態依然。

婚外子というか、妻が他の男と関係を結んで子供が出来た。その子は結婚している形態にある、血のつながらない夫の子とされる。
その規定は明治30年頃に出来た民法の規定による裁判所の判断。

今の夫婦の形態、家庭の形態、男女の意識。DNA鑑定というのまで出来上がった時代。それらに法は追いついていない。実情とかけ離れた“場所”にある法律によって人の生き方が変わる。決められる。

法律家の怠慢だ。司法の怠慢だ。過去の遺物のような法を、勉強し、熟知することが法律家の仕事ではない。

そして、立法府の怠慢だ。

改憲論議の前にやることは多々あるはずだ。
国民の生命と安全を守るために国家がやるべき、法治国家としての責務があるはずだ。

それだって「3・11」の大きな教訓のはずなのに。

大災害にいかに法が対処できるか。災害対策基本法からはじまって、あらゆる法律の見直しが必要なのだ。

「火事場泥棒」に厳罰を科せられるような。

「3・11」の現場に立った、応援に出向いた自治体の職員は、その法の壁にぶち当たって、葛藤をしていたはずなのだが。全部がそうだとは言えないが。

「法律、法令ではこうなっています」。けんもほろろな窓口対応をする役人もなんと多い事か。

「人命は地球より重い」。そう言って超法規的措置をとった総理大臣が昔いた。ハイジャック犯を海外逃亡させた。その人の派閥の系譜の下に安倍はいた。
憲法には手を付けようとする。国民の生活が脅かされていることに法は対処できない。身近な法が。

本末転倒のような気さえするのだが。

なぜ、なぜ、こんな不道徳な、不埒な人間が出来てしまったのだろうか。

災害弱者も含め、あくまでも弱者は弱者のままだ。

2014年8月21日木曜日

やはり“人災”というべきだろう。重なる広島と福島。

広島市の豪雨災害。とにかく、ちょっとづつでも「復旧作業」がはかどることを願うのみ。「整えられない死」を悼むのみ。

伝えられることを見て、聞いていて考える。

もちろん大雨が主因だが、結果「人災」ではなかたのかということ。

花崗岩が風化して真砂土という粉末状の土になり、その中に人家もあったとうこと。

過去の水害との対比写真があった。明らかに、この数十年で、山の下まで人家が出来ている。かつては田畑であったところに。田園地帯のひろがっていたところ。

都市近郊に、人は住まいを求めていった。高度成長の波が地方都市にも波及した。田園地帯は宅地化されていった。
そこは人が住むには「不適格」な場所だったのに・

偉そうなことを言うようだが、入ってはいけない自然の領域に、知るや知らずは人が住んでしまったということ。

事故があると必ず、メディアは「専門家」を登場させる。土木学者や地質学者は、そろっていう。
「あの辺は危険な個所だったのだ」と。

ならば、なぜ、以前からそこに宅地が出来ることに警鐘を鳴らし、住むことを止めるよう、行政に働きかけなかったのか。

高度経済成長が生み出したものに、人間は無反応になってきていたのではないか。

国も、行政も知っていたのだと思う。でも、「まさか」とか「想定外」の思想に“安住”して、対策をうってこなかった。

原発事故の時のそうだった。さまざまな学者、専門家がメディアに登場し、原発の危険性を、そうなることを予測していたかのような論を振りかざしていた。

だったら、事故が起きる前、いや、原発そのものが出来る前に声を出して、学者生命を賭してでも言わなかったのか。働きかけなかったのか。

あれ以来、学者、専門家という人達には限りない不信を持っている。

後からならどうでも言えるのだ。事故が起きてから学説を言う。

そこが住むのに“危険”な場所であることは学者も自治体もわかっていた。デベリッパーは・・・。


自然に意志は無い。自然は人の営みには無関係だ。

場所も地形も現象も違うが、「津波てんでんこ」を教えてきた群馬大学の片田教授が岩手の子どもたちに教えてきたこと。日頃の心構え。


気象庁の予測、計測値。その数字は上にあがっていただろう。土質の問題点も国交省は把握していたはず。その危険性はわかっていたはず。

真夜中とはいえ、それが官邸に上げられたのか・・・。

皆、無責任であり、想像力の大いなる欠如だ。

自治体の作るハザードマップ。それだけで「防災対策」が良しと言えるのか。
大雨の降る中、避難は不可能だ。
過去の経験を生かせば、降り始めた時、長雨に見舞われていたことから、想像力を働かせば、早い避難を指示出来たはずだ。

行政の動きと天候を時系列で比較してなんだかんだと報道しても始まらない。

市の消防の危機管理官が「誤算だった」と認めたことは潔い。ただ、今は、まだ捜索と生活再建が優先だ。
責任をいいたてても致し方無い。でも、マスコミはすぐそれに食らいつく。

現場では今も山から濁流が流れ落ちていることだろう。

1Fでも毎日地下水が流れ込んでいる。

溢れる水を、人間の思い通りに「止めること」は出来ないのだ。

避難出来ない人、避難出来ない状況。そこでも「避難」の術をさぐる。
あらゆることが進化した日本でもそれは不可能なのだろうか。

避難・・・。原発事故と重なる。避難計画が策定出来ない中、再稼働の動きが続く。

どうにかならなかったのか・・。その思いを強くする。

天皇陛下は「ご静養」を取りやめられた。見舞いの言葉を県知事に寄せた。

2014年8月20日水曜日

「異常が日常になっている」ということ

広島安佐南区、北区の豪雨災害。言葉も無い。京都も高知も九州も。

家がなぎ倒され、土砂で埋まり、濁流が町中を奔流する。規模はともかく、「3・11」で見た光景が重なる。

どうすることも出来ないが、東北の人にとっては、この西日本の豪雨災害。他人事では無いはずだ。

死者、不明者30人以上。亡くなった方も中には救助活動をしていた消防指令もいるという。

悲しみにたえない惨劇。

話題にはならないが、犬や猫を飼っていた家もあるはずだ。どうしただろうか。そんなことも思ったりする。

テレビで見る限り、そこは山間部、山に挟まれたような地形の場所。一見、住宅街。そこまで、宅地開発しなければならなかったのか。

かつても大規模な土砂災害が発生したところだという。人口増によって宅地化されたところだとも言う。
危険性が指摘されていたところだともいう。

ゴルフを中断しても官邸の対策本部に安倍が詰めなければならないような災害。

広島県は災害対策法の適用を申請した。自衛隊の派遣を要請した。
自衛隊が出動しなければ対応は無理なのだ。

一夜にして奪われた生活。何よりも死者。

山に雨が降り、その水が流れ落ちる。激流となって。

ここ数年でもなんどそんな光景を見て来ただろう。

他人事のようで申し訳ない。

異常気象のせいだという。異常だらけだ。日本だけではない。アメリカでも大干ばつ、山火事。あまり報道されないが、アメリカの食糧事情も脅かしかねない。

気象予報の精度は格段に進歩した。降雨量はある程度予測できる。山がくずれるかどうか、そこまではまだ未知数なのだろう。予想の範囲であっても。

避難勧告も指示も出せるような余裕はなかったのだろう。

他地区の豪雨災害は、河川の氾濫だった。

かつてない降雨量。観測史上経験の無い降雨量と昨今しきりに言われる。

異常気象、それはもはや「異常」ではなく「日常」となったと理解する時なのだろう。

よほどのことが無い限り、自然災害は防ぎようがないのかもしれない。

おそらく地球はそんな世紀、時代に突入したのかもしれない。

広島だけではない。この夏の豪雨で家を流され、壊された人達。これからの生活再建をどうしていくのだろう。

自分自身に置き換えてみる。絶望と自暴自棄に陥るだろうと。

自然災害に対して、個々人への補償は無い。基本的には。国からの支援があってもそれはインフラ整備に回される。個人の住宅にはまわらない。

自治体からは1万円程度の見舞金だ。保険に入っている人は多い。しかし、その保険の査定には時間がかかる。待っていられないくらいの時間が。

数々のチェック項目。保険会社も支払いを出し渋るだろう。

今は晴れているかもしれない。「日常」と化した「異常」は、明日にもまた大雨を降らすかもしれない。

他人事のようで申し訳ない。方丈記を連想するのだ。

住民も自治体職員も不眠不休の日々が続くだろう。食糧のことも気になる。
ボランティアが駆け付けるだろう。自衛隊、消防の必死の活動もあるだろう。

天災に立ち向かう人知のなんと「やるせない」ことか。

自治体だって全国からの応援を求めないと仕事になるまい。数々の「住民対応」。

天災に対して経験則は何の役にも立たない。いくら国土を強靭化してもいかんともしがたいことがある。

三陸の民とてそうだった。此れより下に家を建てるな。先人の教訓があったにもかかわらず、住まざるを得なかった“歴史”。

もはや何があってもおかしくない。3・11で学んだことはそれだけ。

歯がゆいが、ただテレビの画面を見ることしかできない哀しさ。
あらゆることが、自然に対しては無力であるということ。

晴天よつづけ、救援活動の迅速なることを祈る。失われた命よ安らかなれ。救出されて人達に一日も早い安堵を。

歯がゆい、無力だ・・・。これを書いている自分が。メディアよ、今後もなるべく長く伝え続けてくれよ・・・。

とにかく「異常」が異常でなくなった。その認識だけは持たないと。

2014年8月19日火曜日

言葉の「マインドコントロール」

なぜだかわからないが僕は多くの軍歌を知っている。大方の軍歌を知っている。そして歌える。今でも・・・。

日露戦争時に歌われたものも、この前の戦争で歌われたものも。
1945年8月15日をもって、日本の全てが劇的に変わったわけではない。

戦争の残滓はいたるところにあった。戦争が終わったのに、なぜかラジオからも、街中からも軍歌が聞こえていた。
戦争を鼓舞するものも、たとえば露営の歌のように、戦争を悲しく歌ったものも。

稲田行革相が靖国神社を参拝した。「お国のためになくなった英霊を・・・
」とインタビューに答えていた。

「お国」って何なのだろう。「御国」か。

♪お国のためだ、構わずに、遅れてくれなと目に涙♪

ここはお国の何百里・・・で始まる長い歌。“戦友”の中の一節。

「歸國」という題名のテレビドラマがあった。倉本聰の作品。2010年に放送されたはず。

平成のある日、深夜、東京駅の新幹線ホームに軍用列車が滑り込んでくる。
降り立ったのは一人の士官が率いる部隊。
英霊達だ。

彼らの使命は「平和になった祖国」の姿を、南の海に眠る兵士たちに伝えることだったが。

24時間か、それぞれ自由行動が許された。故郷に帰る。故郷は姿を変えていた。会いたかった親もいなかった。恋人のもとを訪ねる。もちろん人の妻だ。そこでの醜い人間模様を見る。

さまざまなケースが登場する。林立する高層ビル群。無くなった田畑。高度成長の挙句、物資的には豊かになったものの、自分たちが召集された時の日本はそこには無かった。

「ゴースト」として見た60年後の日本。それが、そのために戦って命を捧げた「御国」だったのかと。

彼らは思う。彼らが見たのは、彼らが思い描いてた祖国の有り様では無かった。

再び東京駅に集結した部隊。悲しみを秘めて、サイパンに向かう軍用列車に乗り込む。
「俺たちが帰りたがっていた国はこういう国だったのか」と。

帰国ではなく、なぜ歸國なのか。そう、帰るも国も、その字で表していた時だったから。彼らが戦争に行ったのは。

「お国のため」。その言葉は、まさに今でいう“マインドコントロール”だった。

「お守り言葉」という考え方がある。その言葉には強い響きがあり、それを信じる。

個々人がどう考えていようと、国中が「お守り言葉」に支配されていた。

御国の為に。それは、全くの正しいことだったのだ。言葉にマインドコントロールされていたのだ。

祖国が平和になるための戦争だと信じていたのだ。

昨今、またもや「お守り言葉」に類するような風潮が出現している。
例えば、積極的平和主義という。対比する言葉は無い。

消極的平和主義なんていうのは無い。

集団的自衛権の行使により平和を確保する。その言葉の意味がわからない。

平和でないことに平和と言う言葉が使われ、その“危険さ”を消してしまうような言葉のマインドコントロール。

言葉の意味はよくわからないままに使われている「お守り」。

「歸國」はテレビドラマ化され、舞台化もされた。あのドラマを理屈抜きにもう一回見てみたい。直視して。

英霊が祀られている靖国神社を訪れたシーンもあったはず。

2014年8月18日月曜日

「日本の繁栄は他国の戦争にあった」ということ


戦後の、戦後しばらくしてからの日本の急激な高度経済成長。それを支えたのは何だったのか。もちろん、国民の勤勉さ、創意工夫もある。しかし、その流れを加速させたもの。それは朝鮮戦争。そのいわゆる「朝鮮特需」。

急ピッチで生産された兵器が米軍に提供された。いわゆる軍需産業は多大な利益をあげた。そしてベトナム戦争。軍需産業は、兵器製造産業は、日本の経済発展に大きく“貢献”した。

豊かさを目指す国民は、言葉としてはそれを多少意識してはいただろうが、豊かさへの道に酔っていた。
まるで、戦時中の貧困との対極のように。

日米安保に基づく米軍基地。国は地位協定による「思いやり予算」で基地を支援した。基地のある街は米兵が落とす金で潤った。

こんな話がある。

「そろそろどこかで戦争でも起きてくれないことには、日本経済も立ちゆかなくなってきますなあ。さすがに日本の国土でどんぱちやられたのではたまらないから、私はインドあたりで戦争が起きてくれれば、我が国としては一番有り難い展開になると思ってますよ。」
安保法制懇の重要メンバーで現在JR東海の葛西敬之名誉会長が、かつて言い放った言葉だという。

本音なのだろう。際どい言い方かもしれないが、他国で血が流れることを経済に置き換えるということ。その血の中にはもちろん米兵の血もある。

人間の血が購うものは何か。それが経済成長と言うことなのか。

それをアメリカ国家は知っている。“ショウザフラッグ”と言い、あたかも、日本にも血を流せと迫った。


原発と金。六ヶ所村への東電の「寄付金」がまたぞろ”問題視“されている。
「原発マネー」に対する東電批判の視点ではあるが、読みようによっては「カネ」を要求する、求める、六ヶ所村や東通村への非難とも読める。

ここから考えなければならないのが「一つの東北論」。

中央からのアメとムチで懐柔されてきた東北。近代史の中でも、繁栄から、成長から取り残されてきた東北。
食糧やエネルギーの供給地とされてきた東北。再処理施設と言う名の「ゴミの集積所」とされる東北。

そして、労働力の供給地であった東北。

いや、かつては兵士の供給地であった、“使い捨て”の兵隊さんの供給地であった東北。

2・26事件に多く加わった東北出身の陸軍兵士。


原発エネルギーの供給地だった福島。繁栄を支えた。
「金の卵」といわれた集団就職の子供たち。労働力として、繁栄に貢献した。

うすら寒いような気候だったお盆。明けると暑さが戻ってきた。
ありきたりの「お盆の帰省」のニュースにはうんざりだった。

夏休みということもあったのだろうか。集中豪雨に見舞われて地域には若いボランティアの人達の姿があった。

助け合いのボランティア。人の役に立ちたいというボランティア。

彼らの姿に、学徒動員、勤労奉仕の70年前の若者の姿が重なる・・・。


昔も今も、戦争があれば「死の商人」が暗躍する。そう暗躍だ。彼らを儲けさせ、瀟洒な暮らしをさせるために、どこかで血が流されている。若者や子供の。



「初夏の光の中に苗木植うる この子供らに戦あらすな」。

平成7年の全国植樹祭に行かれた美智子皇后の詠まれた歌だ。好戦的言辞を弄する人はこの歌をなんと聞く。

平和を希求し続ける皇室。

美智子皇后の心とともに在りたいと思う。

2014年8月17日日曜日

戦争を語り継ぐということ、知らないということ

知人が娘に言われたという。
「作文コンクールで戦争のことを書こうと思っている」と。
母親は驚いた。何を話せばいいのだろうか、何を読ませればいいのだろうかと。
「こどもなりに考えているはず。思った通り、考えた通りのことを書かせればいい」と言ってみた。

もう半年以上も前か。塾で40代の塾生から言われた。
「戦争のことをよく知らない。親は話してくれなかった。教えてくれなかった。
もう少し、戦争のことを知りたい、学びたい」と。

それまでも自分の「戦争体験」は折に触れて、断片的に語ってきた。その「歴史」についても多少は、他の話に織り交ぜながら話してきた。

「とりあえず、自分で勉強するほうがいい。自分からアプローチした方がいい」。
そう答えて二冊の本を紹介した。半藤一利の「昭和史」を。二巻を。そして加藤陽子の「それでも日本人は戦争を選んだ」を。

数年前には山本七平の「空気の研究」を、一部を抜粋して読み解いて話した。

皮肉っぽく言うならば、安倍の“功績”は大きい。彼が打ち出す改憲論議や集団的自衛権の論議。それが、日本人を覚醒させ、戦争を巡る論議を、戦争とは何か、戦争とはいかなるものであったか。戦争を「身近なもの」として考えさせる機会を与えたのだから。

的外れの議論も多くある。感情的に捉えるものもある。やたら「対立」を煽っているかもしれない。
ゲーム感覚で戦争をとらえている人もいる。家族を軸に考える人もいる。いろんな意見があっていいのだ。

それは忘れてはいけない事なのだから。

今、我々が生きているこの国、その在り様。姿。出発点としての戦争があったのだから。

新聞の投稿欄。若い人、中学生が意見を寄せている。知って語り継ぐと。
これまで沈黙を守っていた、戦争体験者、とりわけ敵兵を殺した体験を持つ人も、こころの封印を解いて話し始めている。

昨日、秋篠宮ご一家は、東京で開かれた学童疎開船「対馬丸」の慰霊の集いに参加された。展示物を見て回り、関係者と語り合っていた。

昭和天皇の「苦悩」を知る平成天皇はたぶん、子々孫々に何らかの形で「戦争」を語りつがれるのだろう。美智子皇后と共に。

戦争を知らない人たちが増えている。それは事実だ。

それが意図的な“報道”なのかそうかはともかく、靖国神社の招魂祭の場にいた若者にインタビューしていた。靖国神社そのものについても知らない、わからないとほとんどが答えている。祭りがあるから来ただけだと。
「8・6」.「8・9」.「8・15」。それは何の日だと聞く。多くがわからない、知らないと答える。

8月15日は戦争が終わった日ですよ。インタビューアーが言う。「戦争ってあったんですか」と返す若者もいた。

それも、今のこの国の姿だ。

なぜか。その子たちの親が、たぶん戦後生まれの親たちが戦争認識がないからだろう。語るものを持ち得ていないからだろう。

ドイツではアウシュビッツの記憶も含めて、国として設けたメモリアルの形がある。日本には悲しいかな、国としてそれを設けてこなかった。

きのうも書いた、戦争を総括していないということの証左だ。

先に挙げた三つの日にち。1945年の8月の出来事。学校は夏休みだ。
学校教育で、思想を除外視した「歴史教育」が為されてこなかったのではないかと思う。
事実、世界史は必須科目でも日本史は、いつの間にか選択科目にされている。

夏休みのお盆明け。一日だけ登校日を設けてもいいのではないか。同世代の、先人が書いた作文や手記がある。それをみんなで読んで考える。年譜を教える歴史教育ではなく、考える歴史教育の時間が、あってもいいのではないか。

戦争があった。多くの人が死んだ。無残な死もあった。家族は皆悲しんだ。そんなことだけでも考えさせるのが教育。

こんなことを書きながら思う。自分はどういう戦争教育をされてきたのだろうかと・・・。少なくとも自分から知りに行っていた。取りに行っていた。

69年はすでにして忘却の彼方なりや。違う。
まして、3年前のあの出来事。今、福島にあること。それが50年後、60年後、どう語られているのだろう。
被災を体験した若者は、多くが語り継ぐ意思を示している。体験者として。それを国が国中が受け止めるかどうかだ。

悲惨な出来事は、すべて「延長線上」として存在すると思う。

2014年8月16日土曜日

「総括」や「反省」をしない国

どうやら、しばらくは「戦争」のことについて書かねばならないと思う。「語り継ぐ」というような大げさなことではなく、知らない世代が世の大勢になっているからということでもなく。

まだ「戦後」は終わって無いと思うから。

結局、あの230万人以上とも、民間人を含めると320万人以上ともいわれる死者を出し、国民感情を引き裂き、多くの差別を、さまざまな差別を生み、いまだ持ってその“呪縛”から抜け出せないあの戦争。

その戦争の総括というものは国としてなされたのだろうか。なにがしかの決着をつけたのは極東軍事裁判だけである。戦争に責任があるかどうかは別にして、多くの死者を出し、国土を荒廃させた責任と言うものは存在するはず。
戦争責任は軍事法廷だけだったということ。

もちろん「戦争責任」について書かれたり述べられたものは多々ある。国としてそれを鮮明にしたのかということだ。

「反省に立って」という。しかし、その反省がどういうものだったのか。判然としていない。

原発が然りだ。反省もなければ総括も無い。責任の所在すらうやむや。いたるところに“災後”がある。手が付けられないような。

多くの意味において、「福島」に決着を付けなければ、次へ行ってはいけないのだ。そう、再稼働。まさに“過ちは繰り返しませんから”の不戦の誓いの如く。

首相は昨日、「歴史と謙虚に向き合う」と宣言した。でも実際はどうか。とても謙虚に向き合っているとは思えないから。
全てにおいて、「あの戦争」には決着が付けられている。新たな安全保障という発想の原点。

遺骨収集、細々と続けられている、それも民間頼りの。遺骨が帰るのを待ちわびている遺族がいる。「骨」が帰って来ない限り、遺族にとっての戦後は、いや、戦争そのものも終わっていないのだ。

マレーシア沖では沈没した日本の戦艦の残骸をスクラップ業者が壊して引き揚げ、鉄を金に換えているという。
なぜ、日本と言う国家として、それを引き揚げ、そこにひそんでいるであろう共に沈んだ“英霊”を弔うことに専心しないのか。

海の中に眠らせたままでいいのか。遺骨を異国の地に放置したままでいいのか。

戦後は終わって無い。戦争それ自体も終わってはいない。

国として、国家として、日本政府として、総括、反省をしたのはかつての「村山談話」だけだ。

国家として総括、反省をしていない。平たく言えば「けつを拭いてもいない」ということ。反省というのは他国に対してだけではない。自国民に対してもだ。

講和条約締結で戦争が終わったわけではない。名ばかりの“独立”をかちとっただけだ。

たとえば佐藤栄作首相。「沖縄返還がなければ日本の戦後は終わらない」と言った。返還はされた。でも、米軍基地はその実相も明らかにされずに、沖縄に治外法権区域を作ったままだ。

全て、戦争にかかわることは「うやむや」にされたままなのだ。

靖国だけに収れんさせてはいけない。手段的自衛権だけに収れんさせてはいけない。政治かは、今からでも遅くない、まだ間に合う。

戦争を学んでほしい。戦争を知って欲しい。

戦争を知らない世代だからと“豪語”しないで欲しい。

昨夜もNHKの番組で「戦争」についての討論がされていた。元外交官、学者、ジャーナリスト。そこで口角泡を飛ばすように語られていたのは、集団的自衛権を巡る「国家としての戦争」のことだけ。

「国民としての戦争」。体験者が、ようやく語り始めたような気がする。

国家としての戦争と、国民としての戦争を、同じベクトル、同次元で語り、その根源を合致させなければ総括にも何もならない。
それを為すには、相当、頭の整理と混濁があるだろうが。

国策としての原発。被災者を生む原発。どこかで“合致”するところもある。

原発事故からはまだ3年余りだ。それすら“忘れられようとしている”ということ。

2014年8月15日金曜日

「強者と弱者と」。8月15日に想うこと。

塾生の一人が本を貸してくれた。安野光雅著「皇后美智子様のうた」。この数日、時間を見つけて一葉一葉ページを繰っている。

平成17年、両陛下で訪れたサイパン。“バンザイクリフ”で海に頭をたれておられた両陛下。その時を詠んだ歌。

「いまはとて島果ての崖踏みけりしを皆の足裏思えばかなし」。

戦後50年の平成7年。両陛下は長崎、広島、沖縄への慰霊の旅を果たされた。
戦後60年の平成17年、サイパンへの慰霊を果たされた。

形としては、昭和天皇の詔書で始まり、昭和天皇の詔書で終わった「先の戦争」。
戦争に対する余人には理解出来ない「思い」が両陛下にはあったのだろう。

今日の戦没者追悼式典。
「終戦以来すでに69年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時を忍ぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。
ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り、戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と、我が国の一層の発展を祈ります」。

なにやら「戦争」の匂いがする昨今。お言葉には例年にない力が込められていたように見えた。

もしかしたら、見間違いかもしれないが、首相の式辞や衆参両院議長、最高裁長官の挨拶のときは天皇陛下は自席で正面を向いて聞いていたと見えた。
遺族代表の挨拶時、両陛下は体の向きを右斜めに座りなおした。遺族代表の言葉に耳を澄ませるかの如く。話す人の姿をきちんと見ようとするかの如く。

とても美しい光景に見えた。

今、日本にあって、一番言論の自由が制約されているのが天皇だ。自分の考え、意向をいたずらに発することが出来ない。過去にあったことに目を向け、その地に出向く。それを皇室の伝統的な風習である歌に託して思いを伝える。

今年7月、両陛下は宮城県のハンセン病療養所を訪ねられた。念願の14カ所ある療養所を全てまわられた。元患者と会い、話を交わされた。
6月の沖縄。撃沈された学童疎開船「対馬丸」の記念館を訪れ、死んだ子供たちを弔った。沖縄の人たちの声を聞かれた。去年には水俣病患者とも会われている。

これらを訪問先と望まれる両陛下の心の中にあるものは何か。

「弱者」への視点だ。徹底した弱者への思いやりだ。

3・11.両陛下は被災地に駆けつけ、避難所を見舞い、ひざまずき、被災者と対等の目線でその労をねぎらっていた。

救われた。





岩手県宮古市に津波で家族を全て失い、親戚に引き取られて育った昆 愛美ちゃんという女の子がいる。当時5歳だったか。
愛美ちゃんはおかあさんに手紙を書くと言い出した。そして画用紙に書いた。
「ママへ、生きているといいね。おげんきですか」。書き終えてそのまま寝入ってしまった。

その話を聞いた美智子皇后は歌に詠んだ。
去年のことだ。

「生きてるといいねママお元気ですか」文に項(うな)傾(かぶ)し幼児眠る。

弱者に目を据える天皇皇后両陛下がいる。両陛下の気持ちを忖度することもなく、今、この国は強者の声ばかりが聞こえてくる。強者にすり寄る見苦しい振る舞いもある。権力者が如何なく権力をほしいままにし、経済成長の原理をほしいままにし、より富んでいくことを良しとしている階層がいる。
強者は時として視野狭窄に陥る。

弱者がいるから強者が強者として存在し得るのだ。でも、そんな簡単な理屈にも気づかない。

言論の自由も持たず、何等の実験も無い。そんな中で、徹底して弱者の側に身を置く両陛下。

今、この、平成と言う時代は「悲しみの時代」と位置付けてきた。今日の両陛下の目の中に、ひそかに宿る悲しみの光をみたような気がした。

2014年8月14日木曜日

安倍晋三クンの「夏休み」

お盆休み、夏休み。もちろん結構なことなのですが。それがあるから働かないといけないって人もいる。

安倍が長期の夏休みをとっている。新聞の片隅に載っている首相動静。日程的にはとてもじゃないが過酷だ。ゆっくり休んで英気を養う。そんな状況では無い様だ。

いちいち人の動静にとやかく言うのも大人げないと思うのだが。

山梨の別荘ではゴルフ。それも結構。気晴らし必要。でもね、首相がゴルフ場に行くっていうことは大変なことなのだ。

警備。

クラブハウスにはおそよその場に不似合いな警護の警察官がいる。
コースに出れば前後2ホールは空ける。

コース内の木立にはプレーする人ではない人。そう護衛さんがあちこちに散らばっている。

とにかく首相が動けば何十人の警察が動く。所轄も含めて。

山口入り。お盆の季節、選挙区に帰ることを「田の草取り」と永田町用語では言う。田んぼのお手入れ。票田のお手入れ。
お手入れには余念が無いらしい。支持者、後援会を回ること、回ること。夜は花火大会。

黒服の警察はその場の雰囲気にそぐわない。

明日は戦没者追悼式に参列する。

官邸の主が不在の中、なぜか内閣府はGDP国内総生産の速報を発表した。うまいタイミングだ。永田町に人はいない時期。
そうだろう。成績よろしくない。年率6,8%の減とくれば。

担当大臣は登庁してか。安倍も選挙区で。
「想定の範囲」だと受け流す。

いや、想定内だったら、アベノミクスとやらを、消費税増税時に予測できることとして言っておいてもよかったのだが。

このGDPの急減、日本経済にとっては大事(おおごと)なんだと思うんだけど。

ロシアが北方領土で軍事演習。大がかりな。事前に情報は入っていたが、遺憾だの到底受け入れることは出来ないなどと言っても、やられてしまったのだ。

“ウクライナ”問題で、欧米の意向に必ずしも追随せず、プーチン訪日を念頭に置いてのすり寄り。されどプーチンは見事、柔道の技。肩すかし。安倍が真っ向から立ち向える相手ではないということ。

プーチンの訪日は絶望的とも言われる。

かくなることを「外交音痴」と呼んだ。

明日、安倍は靖国に行くのか。英霊に尊崇の念を表するために。行かないだろう。いや、行けない。

英霊への尊崇の念が彼の精神的支柱だったら。夏休みを利用して、どこへ行くべきか。

ルソン島、サイパン、パプアニューギニア、硫黄島・・・。そう、まだ骨のまま埋まっているさまざまな英霊に尊崇の念を表しに行くべきではないか。

埋まったままの骨があるのだ。かの地には。天皇皇后両陛下が、サイパンの海に黙った静かに頭を垂れたように、慰霊の旅に行くことが安倍の心情に沿ったものだと思うのだが。

30年以上前か。硫黄島に行った。壕があった場所にはいまだ、人骨があった。硫黄の匂いの中に、骨が焼かれる匂いをかいだ・・・。
かの地に「捨てられた」ものは、彼の念頭に無いのだろう。体験していないことは。頭の中の「靖国」にしか、彼の戦争は無いのだ。

捨てる、棄てる、忘れる。それは「福島」にも当てはまる。福島に来て、“復興”なるものが遅々として進まないことを詫びてもいいのではないか。一国の宰相であるならば。山口の花火にうつつを抜かすのなら、いわきの花火大会に来たっていいのじゃないか。

当店、からから亭、年中無休を継続中。夏休みは返上なり。

毒を吐きすぎているからかもしれない。腹の虫がご機嫌斜めだ。30度超えの表に数回。冷えた店にもやむおえず立ち寄る。それのせいだろう。
厠にこもること何回だったか。そこでの所要時間、数時間なり。

連日、昼も夜も、そこそこの高級店での外食三昧。よく腹を壊さないものだと、彼の強靭な体力に感服する次第にて。

どうやら夏休みの宿題もため込んだのかな。

2014年8月13日水曜日

「餓え」を知っている世代、知らない世代

お盆の入り。新盆(あらぼん)参り。こっちではなぜか(あらぼん)と言う。
迎え火を炊く習慣も大方無くなったか。茄子と胡瓜で作った精霊馬の風習も大方無くなったか。

ニュースは帰省ラッシュをいつものように伝える。
帰省してきた家族を、国の親たちは親戚たちは、ご馳走を作って歓待する。
長旅につかれたからだを待ち受ける故郷の味。

墓参りの人の流れが絶えない。真夏に黒い服装が行き交う。
原発避難区域。一時帰宅の人は数として減って来たようだという。
通行証をチェックしている人の話。
盆の供養もままならぬのか。

昨日の塾。食と農の話をした。
食糧自給率のこと、農政のこと、第一次産業従事者が減っていること。

先の戦争。大勢の兵士が民間人が亡くなった。暑い東南アジアの島々で。亡くなったのは敵に撃たれて死んだだけではない。多くの餓死者がいたということ。

「食わなければ人間は生きていけない」。

食えなければ死ぬ。

戦後、まったくの食糧難だった。毎日が餓えていた。親は必至で食料の確保に尽力してくれていた。

コメを、ごはんを食べられるようになったのは配給制度が出来てから。
いわゆる代用食で飢えをしのいできた。その中にサツマイモがあった。母親の郷里から送られてくる素麺があった。

毎日、来る日も来る日もサツマイモか素麺。ある時から、それらを胃が受け付けなくなった。

塾の後の懇親会。サツマイモ入りのご飯だった。芋を外して食べていた。未だにあの“トラウマ”から抜け切れないようだ。

戦争を知っている世代と、知らない世代のことを時々書く。それを言いかえれば「餓えていた世代」と「飢えを知らない世代」という分け方もできるかもしれない。

日本のアジア各国への植民地化政策。戦地拡大。その要因の一つは「食糧の確保」があったとも思える。食糧を確保するための戦争。その地で悲惨な餓死・・・。

何でも食べたという。外地の戦地では。外地からの引揚者は。草でも動物でも、何でも食べたという。

内地にあって、親の庇護のもと、なにがしらの食べ物にはありつけていた。でも、サツマイモと同じように、あの醤油の出汁だけのメリケン粉のかたまりをちぎって入れていた「すいとん」もある時から喉を通らなかくなっていた。

進駐軍とギブミーチョコレート。チョコレートが欲しかったわけではないはずだ。食べ物が欲しかったのだ。食べ物の代名詞としてあったチョコレートなんだと思う。

やがて「豊かな」時代になった。いまどき、どこへ行っても食べ物が溢れている。
食べ物が溢れていることが当たり前になった時代。食糧難のことなどは多くの人が考えない。

でも、日本の食糧自給率は減っている。コメを耕さない田んぼも増えた。コメを作っても割に合わないからだ。

都会の店頭には、飲食店には外国物の食材や食品が並ぶ。エネルギーとしての石油だけではない。生きていくために必要な食糧まで、輸入に依存しているのだ。

「食の安全保障」という思考が成り立つ。自給自足が成り立つ。
それが、どれほど真剣に考えられているのだろうか。

福島では多くの豊かに仕上げた田畑が汚染された。海が汚染された。両としての食の安全が脅かされているのだ。

そのことをどれくらいの人が認識しているのだろうか。

サツマイモご飯から一歩引いていた自分。あんなに餓えていたのに。慣らされているのかな。食糧の確保に。

ダイエットだ、たんぱく質がどうだ。コメ離れだって進んでいる。なんだべな・・と思う。

食の安全とは賞味期限であたり、健康に害を及ぼさないことだと思われている。それを否定する気はない。
全く腐ったもの以外は、虫がついていようといまいとそれを食べるしかなかった時代。いかようにも食べ物を選別できるようになった時代。

飢えが何をもたらすのか。飽食が何をもたらすのか。

「生きる」という根源での世代間格差ってあるような気がして・・・。

2014年8月12日火曜日

「平均的国会議員像」を見た

これが、今のこの国の国会議員像なのだな。この程度のレベルなんだな。こういう人を長年支持してきた東京の武蔵野市ってどういう風土なんだろう。

そんなことを思ってしまった。

長崎の平和宣言。市長の読み上げた宣言文に噛み付いた自民党の土屋正忠という衆院議員。

「集団的自衛権」など国政の重大問題に一地方の首長が言及することではない。言いたいなら国会議員になってから言え」。

呆れ返って、開いた口がふさがらず愕然とする。こういう手合いが国政の場にいることに。

長崎の平和宣言は田上市長の個人的な見解ではない。長崎市が市民や学者など「起草委員会」を作って練り上げた宣言だ。

多くの長崎県民の意思だ。

おい、土屋とやら。お前、何様のつもりなんだ。偉そうに言うけど。何がわかっているんだ。

田上批判は、安倍の気持ちを忖度してのことか。ふざけるなよ。

自民党もつくづく地に落ちたものだと思う。かっての自民党を熟知しているものにとっては悲しみさえ覚える。

なぜ、地方の首長が国政に関する事に口を出してはいけないのか。武蔵野市のことはよく知らないが、市長時代には、長きにわたって国の方針に唯々諾々と従ってきたのだろう。

国政に関して、国の政策について地方の首長には発言権が無い。それは民主主義を否定することなのだ。

原発再稼働。国の最重要政策だ。形としては国は再稼働の判断をしないことになっている。規制委員会の審査結果受けて、地元の自治体が判断することとされている。
国政に対して地方は発言権があるのだ。

ま、それは国の責任逃れの典型だけれど。

「ちょっと揶揄しただけさ」とテレビのインタビューに豪語していた。

揶揄とはいかなる意味だ。からかってみたってことか。

長崎県民は、この事に怒っていいはずだ。

土屋何某の発言は、その権威主義的発想は、おそらく今の議員の平均的発想なのかもしれない。

地方分権といい、地方の時代だと、表看板ではいう。実態は交付金など金をくれてやり、国の言うがままにしろっていう思い上がり。

もはや、永田町は、安倍がいち早くぶち上げた内閣改造にばかり目が行っているのだろう。マスコミもそうだ。安倍のご機嫌を伺う。大臣でなくても副大臣でも、政務官でもなんでも「ポスト」が欲しい。

そんな「空気」の中で右往左往する自民党の魑魅魍魎どもよ。

なんか「政治の形態」を変えた方がよさそうだ。と言っても現役はやらないけど。自民党には派閥を復活させよう。強固な派閥を。党中党を作ろう。派閥に歯止めをかけさせるために。
選挙区制を変えよう。中選挙区に戻そう。比例復活なんて愚策はやめよう。

野党は・・・。民主党は解党させよう。政治不信を、これほどまでの政治への不信を招いたのは「3・11」後の政権が要因なのだから。
その不信は、今でも続いている。国民の政治不信が、逆に安倍支持者を際立たせる結果になっている。

何人も、ヒロシマ、ナガサキの被爆者にたいして「揶揄」する権利は有しない。
あの「地獄絵図」が戦争への懸念表明につながるのは当然のことなのだ。

一陣笠の無知な発言に時間を割くのも腹立たしいが、それが我々の前に存在しているという現実。

2014年8月11日月曜日

「過ちは繰り返しませんから」

広島の平和記念公園にある碑。礎(いしじ)。慰霊碑に刻まれ、被爆者の“過去帳”がおさめられているところ。

「安らかにお眠りください。過ちは繰り返しませんから」。

この碑文を巡って、ある時から“異論”が出されるようになった。
やれ、「主語が無い」、やれ、「原爆を落としたにはアメリカなのになんで日本人が過ちをという言葉を使うのか」などだ。

まったく取るに足らない議論だ。

過ちとは戦争だ。戦争は人間が引き起こす。人類が人類に対して発した本質的メッセージとして、どうして捉えることが出来ないのだろうか。

とにかく、石に刻んで、過ちを繰り返さないと多くの人が誓ったはずだ。しかし、その誓いは破られた。

核兵器こそ用いられていないものの、核爆弾こそ落とされていないものの、人は常に争いをやめない。
ミサイルが飛び交い、多くの兵士、民間人、なによりも子供が傷つけられ、殺され・・・。

過ちが続いている。

不戦の誓いをしたはずの日本人も、喉元すぎれば何とやらか。再び「過ち」の中に突入する可能性を図るに至った。

戦争とは・・・。そのことを語り続ける以外に無い。
過ちが繰り返されようとしている今、「語り部」たちが、戦争を知る人たちが立ち上がり始めているという。
「過ち」の空気を察知したからかもしれない。


修学旅行は広島、長崎に行くべきだ。だまって碑の前に立っていればいい。
資料館に立ち寄ればいい。
そこにある写真を見ればいい。そこにある写真は「事実」を映した写真なのだ。
黙って見て、何を感じるかはそれぞれの自由だ。

デジタル技術が進歩した今、ネットに流布される写真の中には、まったく信を置けないものがある。

なぜなら、いくらでも「加工」できるからだ。無いものを在るようにできるからだ。

そのデジタル技術の写真が、「福島の真実」という“美名”をかぶせられて流される。

きょうはあの「11日」だ。

修学旅行は福島に行くべきだ。来るべきだ。
そこに、焼死者はいないけれど、もちろん近くまでは行けないけれど、爆発した建屋の痕跡はある。焼け野原ではないが、雑草に覆われ、人気の絶えた街を見ることはできる。

塾で三本の校長の言葉を紹介した。和歌山大学長、立教新座高校の校長。遠い昔の話ではない。たった3年前にあった「悲劇」とどう向き合うかを問うた言葉だ。

広島のことを知るなら、たった3冊の本を読めばいい。はだしのゲン・峠三吉の「人間を返せ」・栗原貞子の「生ましめんかな」。

それだけ読めば「戦争」がなんであるかをおぼろげながら知ることが出来る。
戦争は人間が引き起こすことを知ることが出来る。

原発事故も人間の欲望が起こしたものであることも知ることが出来る。核爆弾も、核開発によるエネルギーも、人間が制御出来ないものであることを知ることが出来る。

過ちは繰り返される。いくら誓っても繰り返す人たちがいる。原発とても同じだ。「過去の反省に立って」、それは単なる言葉のあやに過ぎない。

感情論と掃き捨てられるかもしれない。

だけど、原爆も原発も、根源にある「人間の欲」ということでは同位置なのだ。


小石を投げろ。どんな小さな小石だって、水に波紋を広げることはできるのだ。

「可能性がある限り、全力を尽くす」。今日から始まった全国高校野球選手権、選手宣誓であった力強い言葉。

2014年8月10日日曜日

何をしに広島、長崎に行ったのか、安倍は。

集団自衛権問題をめぐり、安倍はかねがね、その場しのぎであるにはせよ、「国民に丁寧に説明する」と断言していた。
長崎の被爆者連絡協議会との“おざなり”の会見では、納得できないとする被爆者側に、「見解の相違だ」と切って捨てた。説明はおろか議論のかけらもなく。

広島、長崎。それは日本人にとって、あまりにも、あまりにも「特別な日」なのだ。
平和宣言で何が言われ、何が全世界に発信されるのか。この日だからこそ世界も受け入れる重要な日なのだ。

事前に目を通していたはずの平和宣言、平和への誓い。それに答えを持って発信するのが国の指導者としての当然の使命だ。

広島でも、長崎でも、安倍の「あいさつ」は、日付を変えただけの、前年のほとんど同文の焼き直し。それで事足れりとする。

なぜ語らないのか。いや、語れないのだろう。ならば、わざわざ格好つけで行くなということ。

自らが言い出した集団的自衛権の問題。去年とは、「安全保障環境」が大きく変わっている。そこで、メッセージを発せられないこの国の代表者。

それを戴かざるを得ない悲しさ。

安倍を目の前にして、あれだけのことを言いきった、たぶん、原稿には無かったことをあの場で付け加えた、被爆者代表の城䑓美弥子さん。相当の決心と決意が入ったことだろう。たぶん、「にらまれる」だろう。安倍シンパからは陰に陽にいわれなきバッシングを受けるだろう。

たった一人で、国家に立ち向かった人。
その人の言を再録、再記する。その部分を。

「今進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじった暴挙です。
日本が、戦争ができる国になり、日本の平和を武力で守ろうというのですか。
武器製造、武器輸出は、戦争への道です。
一旦戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。
歴史が証明しているではありませんか。
日本の未来を担う若者や子供たちを脅かさないでください。
平和の保証をしてください。
被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないでください」。

彼女を発言者にした長崎市の実行委員会の決断。

沖縄が壊滅したのは6月23日だ。それを待たずしても勝機が無いことは、当時の政府だってわかっていた。竹やりの本土決戦が無意味なことはわかっていた。東条英機だってわかっていた。昭和天皇だってわかっていた。

でも「菊水作戦」の終了は、秘中の秘の如く、国民各層にはあまねく知らされていなかった。広島、長崎を阻止できることは不可能ではなかったのだ。

本土決戦を言う軍部の大半を、もはや指導者も御すことは不可能だった。新聞、ラジオの大本営発表を信じ込み、まだ戦えると信じ込み、うねりのようにあった「国民」の空気。

安倍は絶好のチャンスを逃したのかもしれない。政権維持に汲々とするあまりに。
城䑓さんには、怖いものは何も無かった。怖かったのは被爆体験だけだ。恐れるものは無い。

今、また、「戦争」を語ろうとする“体験者”が増えてきているようだ。どうか、語り続けて欲しい。相手が一人であろうと10人であろうと。
国民としての戦争の物語を。

彼女が語った「福島」に関するくだりも書いておく。

「このような状況の中で、原発再稼働、原発輸出、行っていいのでしょうか。使用済み核燃料の処分法もまだ未解決です。早急に廃炉を検討してください」

再度言う。安倍は「福島」に触れなかったことを。世界の多くの人が、何を語るかを注視していたにも関わらず。

安倍のフェイスブックには、長崎で語ったことが、得意そうにアップされていた。書いたのが本人かどうかはいざ知らずだが。

それに対しての「いいね!」は数千件あった。安倍信者が国民の半数近くいるという事実。安倍が醸し出す「空気」に支配され、迎合している人たちがいるという事実。

15日、安倍は、戦没者の前で、何を語るのだろうか。天皇陛下のお言葉にだけは耳目を傾けるつもりだ。それをすら、安倍は“無視”するかもしれないが。

2014年8月9日土曜日

・・・そして、ナガサキ。

6日、頭を垂れて黙とうした。きょう9日、鐘の音に祈った。11日、沈黙の海を想う。15日、天皇陛下の言葉に心耳を澄ますつもりだ。

「ナガサキ」。田上市長の平和宣言は世界に向けて発せられた。穏やかな口調ながら、決意をにじませた語り口だった。
そして「福島」にも言及した。福島への支援を続けると述べた。

「集団的自衛権の議論を機に、平和国家としての安全保障のあり方についてさまざまな意見が交わされている。日本国憲法9条がうたう平和主義の「戦争をしない」という誓いは被爆国・日本の原点であり、被爆地・長崎の原点でもある」。
「被爆者たちが自らの体験を伝え続けた平和の原点が揺らいでいるのではないかという不安と懸念が、急ぐ議論のなかで生まれている」と憲法解釈変更への危機感をにじませ、国民の声に耳を傾けるよう政府に求めた。

参列した安倍はじっと目を閉じ、世界に向けた宣言を聞いていた。

被爆者代表の75歳になる城䑓美弥子さんの「平和への誓い」の言葉はもっと“辛辣”だった。
自らの被爆体験を語りながらこう言った。

「今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本の憲法の精神を踏みにじった暴挙だ。武力で平和を作るというのか。
日本は戦争が出来る国になる。
武器の輸出は戦争を招く。いったん戦争が始まったら、戦争は戦争を呼ぶことは歴史が証明している。
被爆者の苦しみを無かったことにするようなことはしないでください」。

やはり安倍は目を閉じたままだった。

市長の平和宣言も、被爆者代表の平和への誓いも、事前にその文案は国に届いている。二つの問いかけに安倍はどうこたえるのか。

何も答えていなかった。

世界にメセージを発することもなく、“内向き”の当たり障りのない挨拶。

一市長の想いも国は歯牙にも掛けない。生死の淵をさまよい、今なお、「語り部」を続け、命あり限り、原爆を語り継いで行くという一国民の訴えも“無視”した。

式典が終わったあとの同行記者との会見。質問も答弁も「政局」だ。「人事」だ。

なぜ、この祈りの日に、記者も安倍も、話題は改造人事なのだ。

これが「平和日本」の今の姿。城䑓さんも「福島」に言及していた。

世界は、このヒロシマ、ナガサキでのこの国の指導者の言葉をどうとらえるのだろうか。

子供たちが歌っていた。「あの子」という歌を。

福島から招かれた二人の高校生は言っていた。「原爆も原発も根っこは同じだと思う」と。

被爆を歌う会の被爆者らのメンバーは「もう二度と」というオリジナル曲を歌いあげていた。

地元の高校生も歌っていた。

大人も歌で語り継ぎ、子どもは歌うことで自分たちの置かれた場所を感じる。使命も感じたと察する。

無かったことにしようかとするような国。原発はどう語り継がれるのだろうか。

八月は、さまざま考える月なのだ。この「国」に生まれたものにとって。

2014年8月8日金曜日

「食」の安全保障

安全保障というと、すぐさま反応するのが日米安保条約を基軸とした、軍事力の安全保障となる。
抑止力という言葉があり、集団的自衛権という言葉が“意味なく”蔓延し、「自国民の生命、安全を守るため」という。軍事力、軍事力による戦争。安全保障の裏表。

戦争はなぜ起きるのか、起きたのか。領土拡大という欲望。エネルギー資源を確保するための、権益を護持するという欲望。

領土拡大だって、領地の拡大だって、収奪だって、殿さまの権威の問題もあったのだろうが、かつては、戦国時代含め、農地が欲しかったからだ。石高制という封建領主の有り様は、年貢にとの裏表。

戦争になったら、今の政治は、日本領土内、本土内の戦争は想定していない。
海の向こうでの戦争。

兵士が戦場に行く。「腹が減っては戦(いくさ)が出来ない」。古今東西の普遍的原則。

兵士に食糧を供給しなければならない。東北と言うところは昔から穀倉地帯であったわけではない。食糧供給地として存在した。食糧を生産していた農民は兵士として徴用されていった。

訳あって、吉野せいの「洟をたらした神」を再読している。貧農の物語を。

ロシアのプーチンは、欧米の対ソ制裁に対抗して、農産物の“禁輸”を決めたという。日本への影響もあるかも。輸入制限のことだが。

なかなか一筋縄ではいかないズルしゃも。

食の安全保障を手玉にとってきたのだ。そう、今、この国、日本にとって、必要な安全保障は、軍事力の安全保障では無く、食の安全保障なのだということ。

3・11を契機に日本人が最も考えなくてはならなくなったことは農林水産業、第一次産業。食糧自給率のもんだいなのだ。

世の中、グローバル経済が善だとされる。その延長線上にあるTPP交渉。

今、農林水産省の試算でも、日本の食力自給率は40%だ。60%は外国依存。
TPP交渉の成り行きによっては,自給率は14%に低下するという。

日本人の食を日本ではまかなえないという現実。

なにかの拍子で、はずみで、食糧の対日禁輸措置なんていうのが取られたら・・・。

中国の食肉偽装事件。そう、あんな食肉だって食べなければいけない事態だって有り得る。

エネルギーの自給率は4%だという。石油を筆頭に、化石燃料含め、ほとんどが海外依存だ。原発という理屈がそこから出たのだとすればまやかしだ。ウランは輸入しなければ手に入らない。

エボラ出血熱が問題になっている。もし、日本にも飛び火したら。可能性は無きにしも非ずだ。
病の安全保障だって重要なのだ。

食の安全保障。福島県産は多くが忌避されている。食べて応援なんてどうでもいい、マスコミ向けのポーズだ。

都会には食糧が満ち溢れている。誰も食糧危機だなんて思っていない。テレビは“贅沢三昧”のグルメ番組ばかり。
福島では多くの農地が奪われた。漁師も海の汚染に戦々恐々としている。漁も不活発だ。

再稼働反対。同意見だ。その運動に一生懸命な人達。食糧危機なんて意識したことあるのだろうか。集団的自衛権反対。同意見だ。でも、目先にある食の安全保障を考えたことがあるのだろうか。

福島の第一次産業を取り戻す闘い。そんなこと誰か考えているのだろうか。いや、県民すらそうだ。県民の関心事は「金め」の行方、帰趨なのだ。

2014年8月7日木曜日

「盆踊り」に想うこと

「民衆のもっとも原初的な、そして、もっとも純粋な歓びの表現はTanz(タンツ・踊り)である」。

ニーチェの言葉だ。

郡山では「うねめ祭り」という夏祭りが始まる。夜は「踊り流し」。浴衣姿の人
達が通行止めになった大通りをうねめ音頭に合わせて踊る。郡山の“伝統芸能”、
ひょっとこ踊りもある。
大方は企業や団体の踊り手だが・・・。


盆踊りの季節だ。全国のあちこちで盆踊りが行われている。
原発避難者もそれぞれの仮設の広場で、櫓を囲んで踊っていた。汗を厭うこと
もせず、嬉しそうに。

またも昔話だ。

まだ敗戦の翳が色濃く残っているころ、東京の初台町会でも盆踊りをやってい
た。空襲を免れ、残った屋敷がある。その屋敷の敷地内。門から玄関までのか
なり壮大な広場。そこが会場だった。

やがて家の裏にあった小さな“お稲荷公園”が会場になる。

櫓の上から聞こえてくるのは太鼓と笛。そして踊りの曲は「東京音頭」。

♪は~、踊り踊るならちょっと東京音頭。ヨイヨイ。花の都の、花の都の真ん中で、それ、や~とな~それイヨイヨイ、や~となあそれヨイヨイよい♪

//押して、押して、また押して。かついで、かついで後戻り。押して、押して、開いてちょちょんがちょん//

今でも覚えている音頭と踊りの振り、踊り方。踊ったわけではないけれど。

どこで入手したのか。まだあの頃。近所のおばさんたちが大勢集まってきて、
オジサンもまざっていたか。皆、嬉々として踊っていた。とにかく皆、疲れて
いたはず。食糧だって存分ではなかったはず。日頃の労苦を吹き飛ばすように、
嬉々として踊っていた。とにかく“戦争”の恐怖は無くなったのだ。
母親も交ざっていたような気がする。

子どもはと言えば、盆踊りに合わせて出る縁日の屋台。お目当ては。

金魚すくい。綿あめ。射的。かき氷。ヨーヨー釣りってのもあったか。


高校、大学か。冒頭のニーチェの言葉に出会った時に、この時の盆踊りの光景が重なった。

郡山の夏の“風物詩”に「ビール祭り」と言うイベントがある。7月の下旬、数日間で数万人。開成山公園にでかいテントが設置され、櫓ならぬステージが組まれ。国内最大規模の野外ビヤホールだとか。

あの年、2011年。ビール祭りは開催された。会場には郡山に避難してきている人、仮設の人が招待されていた。何人かの顔見知りとも出会った。

やがてステージの音楽が生バンドが激しいラテンのリズムの演奏になった。ステージ前のちょっとした空間。数人の人が踊り出した。みるみるその輪は広がっていく。仮設に居る人たちが圧倒的に多い。

まさに「踊り狂って」いた。忘我の境のように。中には泣きながら踊っている人もいた。涙が伝染していっていた。皆、泣きながら踊っていた。飛び跳ねていた。輪になって走りまわっていた。

そして、やがて皆笑っていた。笑顔が満ち溢れていた。

束の間の解放感だったのか、何かを発散させたかったのか。踊り狂う彼ら、彼女らの姿にこっちが慰められていたような・・・。

この時、また、あのニーチェの言葉が脳裏に湧き出していた。

被災した各地で、夏祭りがある。大人も子供も、ひと時の祭りを楽しむ。
踊れ!。歌え!。舞え!。

なによりもいいのだ。原初的になることが。素になることが、感情をからだで表現することが。

盆踊りか・・・。夏祭りか・・・。

2014年8月6日水曜日

「絶対悪」としての核

69年前の広島が、きょうのように雨だったら・・・。雨の中の原爆記念日、追悼式典。
テレビから流れてくる鐘の音。黙とうをしながら、その鐘の音が耳朶にこびりつく。耳の中で大きく谺する。

郡山は快晴。まだ窓外からに風はいささか心地よい。あの69年前のこの日。焼けつくような暑さだったという広島。

69年の「時間差」を埋めたいと思っているのかどうか。テレビを介して広島に身を置く。

広島平和宣言で松井市長はこう言った。
「被爆69年の夏。灼けつく日差しは“あの日”に記憶の時を引き戻します。一発の原爆により焦土と化した広島では、幼子からお年寄りまで一日で何万と言う市民の命が絶たれ、その年のうちに14万人が亡くなりました」。

「“水をください”。瀕死の下級生の懇願にも、“重症者に水をやると死ぬぞ”と止められ、耳をふさぐ思いで水を飲ませてやらなかった。死ぬとわかっていれえば存分に飲ませたやったのにと悔やんでる当時中学生だった人もいます」。

「あまりにも凄絶な体験ゆえに過去を多く語らなかった人々が、年老いた今、少しずつ話し始めています」。

「子どもたちから温かい家族の愛情や未来の夢を奪い、人生を大きく歪めた“絶対悪”をこの世から無くすためには、脅し、脅され、殺し、殺され、憎しみの連鎖を生み出す武力ではなく、国籍や人種、宗教などの違いを超え、人と人との繋がりを大切に、未来志向の対話ができる世界を築かなければなりません」。

「唯一の被爆国である日本政府は、我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増している今こそ、日本国憲法の崇高な平和主義のもとで、69年間戦争をしなかった事実を重く受け止める必要があります」。


皮肉にも、NHKのカメラは安倍首相の姿を捉える。無表情に見えた。

男女の中学生二人が「子ども代表」として原爆を語り継ぐことの必要性を訴え、たとえ、方法が違っていても、お互いの考え方が違っていても、一緒に平和を作りましょうと、バトンリレーに例えて、彼らの“覚悟”を語っていた。

挨拶の中で聞いた。しっかり聞いた。安倍首相は「非核三原則を堅持する」と言った。この場での発言は世界に対しての宣言であり発信なのだ。

広島にあるのは平和祈念公園だ。ドームがあるのは。挨拶の中でも「平和」という言葉がどれくらい使われたのだろう。
いや、きょうだけのことでは無い。

平和憲法、積極的平和主義、平和運動、平和、平和・・・。「平和」という言葉に戸惑う。
平和って何なのだと。

小学校の5年と6年の担任に梅田育子という先生がいた。当時、すでに50を越えていただろうか。
習字の宿題があった。「平和日本」と書いて出した。
教室に各自の“作品”が張り出された。
一つ一つ見て回っていた先生。
「瀬川君、なんでこの言葉を選んだのですか」と聞かれた。
「そうあって欲しいから」。そんなようなあやふやな答えをした。その頃、そんな言葉が口々に言われていたからかもしれない。

「そうよね、平和って大事よね。でもね、世の中が平和じゃないから平和って言葉があるの。本当の平和になったら、そんな言葉も無くなる。平和って言葉が無くなるような時代にしなくちゃね」。そんなことを先生は言っていた。

子供心に先生の言っていることがわかったような気がした。それ以来、「平和」という言葉を安易に使わなくなった。ある意味“封印”してきたような気がする。

だいぶ経ってから、このことが忘れられずに90歳になった先生に電話した。この事を話した。
「そんなこともあったよね・・・」とだけ答えが受話器の向こうから答えが返ってきた・・・。

戦争を知らない子ども達という歌があった。ベトナム戦争の真っただ中、反戦歌だとして。

戦争が終わって 僕等は生れた
戦争を知らずに 僕等は育った
おとなになって 歩き始める
平和の歌を くちずさみながら
僕等の名前を 覚えてほしい
戦争を知らない 子供たちさ

口ずさむ平和の歌ってなんだろう。反戦歌だというが、どこかに「日本には戦争がもう無い」という“安心感”のようなものがあったのではないか。戦争を知らないということを誇らしく思っているようにも聞こえた。

安倍も石破も、「戦争を知らない世代」だ。戦争を知っている人はだんだん減ってくる。もうまもなく誰もいなくなる。

戦争を知っている人、原爆を知っている人、最後の力を振り絞って、それを語り継がねばならない。二人の子供が言ったように「リレーのバトン」として。

松井市長は婉曲に原発事故の被災者に触れていた。放射線の影響に苦しみ続けるすべての人々にと。

今日の式典には原発事故で被災した福島県の中高生5人が参列していた。
「原爆と同じように、原発事故の記憶をつなぎ、風化させたくない」と思いを語っていた。広島の被爆経験者と話し合い、苦しみを“共有”していた。

2014年8月5日火曜日

安倍政権は「福島」を見放した

福島県知事選を巡り、政権側は自民独自の候補擁立を断念し、「相乗り」という選択肢をとった。

結論を言ってしまおう。“不戦敗”に等しいことだと。

自民県連は独自候補擁立を決めていた。しかし、決められなかった。関係者に聞くと、なんだ、かんだと内輪の言い訳めいたことをいうが、要は「成り手がなかった」ということに尽きる。

「相乗り」はまだ幹事長や安倍が言ったことではない。しかし、もはや既成事実だ。

決められなかった県連にも問題がある。責任は大きい。一旦はこぶしを振り上げたのだから。

自民党内では各種の選挙があるたびに、かなり綿密な情勢調査を行う。福島では独自候補では勝てないという判断が出たのだろう。

滋賀、福島、沖縄。この三つの知事選。結果は政権基盤にも影響するとこ大。
たかが知事選、されど知事選だったのだ。
そして、参院選での第一声。安倍の。「福島の復興なくして日本の再生なし」。
福島を「解決」することが大きな要素だとは思っていたのだろう。あの頃は、まだ「福島」は熱かったから。

福島知事選。言わずと知れた原発問題を抱えたままの福島。その知事選に自民党は負けるわけにはいかなかった。沖縄だって帰趨は見えない。苦し紛れの仲井真擁立。

福島、沖縄。勝敗は政権運営に大きく影響する。政権の行方にも影響する。しかし、勝てる候補が見つからない。いや、誰を立てても勝てないかもしれない。

苦し紛れの選択。「相乗り」。独自候補ではないが、“負けた”ことにはならない。なんとでも言い訳がつく。

なぜ独自候補を立てられなかったのか。県選出の閣僚もいるし、そこそこ“大物”議員もいるはすなのに。

安倍は彼らに「出ろ」とは言えなかった。言ったとしても、だれも火中の栗は拾いたくなかったのだ。永田町の、都会のど真ん中の安穏な議員生活の方がよかったのだ。

さて、相乗り。現職ということになろう。再選時は三党相乗りだったし。
雄平の叔父、渡部恒三が陰で糸を引いていたのだろう。
ちょっと前にも書いた。雄平がその気になってきたと。
国会対策、寝技に長けた、竹下登の門下生。技が冴えたということか。

恒三さんが、「雄平をよろしく」と会津地方の首長らに依頼しているということを半年前から聞いていた。

多くの県民は、雄平に飽き飽きしている。平時なら、官僚出身の優秀な副知事の言うことをきき、県庁職員が担ぐ神輿に乗っていればよかった。
非常時はそうはいかない。

おととし、菅が首相、雄平が知事。「福島は終わった」と書いた。「県民の悲劇」だとも書いたような気がする。それは今でも変わっていない。

優秀な秘書だったが主になる能力も持ち合わせていない玉だったから。

雄平は立つだろう。他に相当な人物を持ってこない限り、三選と相成る。相乗りだから“負けた”ということにはならないという目論見。

あと4年、まだ雄平にこの県を託すのかよ。うんざりだ。

自公民以外の他党はどうする。環境学者の飯田哲也あたりがなんとかフォーラムというのを立ち上げ、知事選に政策反映をとも言っているようだ。自分は出ないとも言っているようだ。

最近、小泉進次郎が足しげく福島入りしている。きのうは会津若松で講演をして、再稼働に疑義を唱えていたとか。
でも、まさかね・・・・。

福島県知事選は、県の”復興、再生“に寄与するものではないということなのか。単なる政権延命の具にされるということなのか。

自民党の県連もバカにされたもんだ。永田町からは。
それよりも、なにより県民は・・・。

福島は権力者にいいように使いまわされているような。出汁や具にされるって全く持って気に入らない。

2014年8月4日月曜日

八月の濡れた砂

♪あたしの海を まっ赤に染めて
夕日が血潮を 流しているの
あの夏の光と影は どこへ行ってしまったの
悲しみさえも 焼きつくされた
あたしの夏は あしたもつづく

想い出さえも 残しはしない
あたしの夏は あしたもつづく♪


石川セリが歌った「八月の濡れた砂」という曲。映画の主題歌である。戦争を
歌ったものでは無い。でもなぜか八月になると聞きたくなる歌である。

感傷的な思いをすべて拭い去る。どこかで69年前の広島、長崎を歌った歌に
聞こえてくるのだ。 

8月6日、9日、そして15日。その日がそうであったように、熱い8月なの
だ。

その頃兵庫県の姫路にいた。姫路大空襲というのがあった。7月のはじめの頃。
4歳。記憶は曖昧だ。とぎれとぎれだ。

家の後ろにあった土蔵を焼夷弾が直撃したという。祖母、母、弟妹。がむしゃ
らに逃げていた。あちこちに焼け焦げた臭いがあった。防火水槽の中に折り重
なった死体があった。逃げる途中に踏切があった。踏切は遮断機が下りていて、
長い、長い、果てしなく長い軍用列車が、貨物列車が走っていた。途切れない。
後ろから火が迫ってくる気配があった。ようやく踏切が開き、トウモロコシ畑
に身を潜め、二夜を明かした。途中はぐれた祖母は防空頭巾に火が付き、用水
路に落とされ、一命を取り留めた。顔には大やけどの跡が、ケロイドが残った。

飾磨というところの農家とおぼしきところの離れを借りることが出来た。東京から駆け付けたのか、父親もそこには居た。そこで「ピかドン」の事を聞いた。長崎のことも聞いた。数日後だったはず。黒い雨の事が話題になっていた。外出は許されなかった。

母屋のラジオの前に大人たちみんなが集まっていた。そこで玉音放送を聞いた。

どことなく「安堵」の空気がそこを支配していたようだった。
どうやって来たのかわからない。その後、東京三河島の復興長屋の一部屋に居
た。そこに1年。戦争で焼け残った初台の家に住むことになった。

広島には何回も行った。何回も「広島」を見た。長崎にも行った。大学生時代。

「原爆記念館」に長時間いた。見るのが辛い、見るべきものを焼き付けた。

広島の死者は少なくとも14万人だという。長崎も少なくとも7万人だという。
正確な数字は、それを数字で語ることの是非はともかく、数はまだわからない
のだ。

国家としての戦争。その視点で語られる原爆がある。被災した、死亡した人た
ちの目線で、事実で語る国民としての戦争がある。

あの夏の光と影は、その地に残されている。
皮肉なことに、アメリカでは今なお、広島、長崎は悲劇として、アメリカの罪
として映画化され続けているとも言う。

原爆投下はアメリカの戦力をロシアに誇示するためだった。まさに「国家とし
ての戦争」だ。
被ばく者の人生。出自を隠しながらも生きながらえねばならなかった広島、長
崎の人。そこにあるのは「国民としての戦争」の物語。

未だ持って、国家としての戦争と国民にとっての戦争。その乖離が埋められな
い。

昨今で言えば、まさにガザの光景だ。

国家としての戦争。抑止力としての核。その延長線上に、不連続な連続として
原発がある。国にとっての原発。被ばくにおびえる市民。

あの夏は明日も続く・・・。消えないのだ。ノーモア、ヒロシマならノー、モ
アフクシマなのだ。

見て、知って、忘れない。八月の海に流してはいけないことの数々。暑い八月
の夏は重いのだ。

2014年8月3日日曜日

「歩きスマホ」と「二宮尊徳」


郡山の地も連日の酷暑。かなりこたえています。

そんな暑さの街中、本を読みながら歩いている女性に出会いました。正確にいうと見かけました。
明らかに「読書」なのです。地図を見ているのではない、フリーペーパーを見ているのでもない、雑誌でもない。ちらっと見ですが、明らかに本を片手で持って読んでいたのです。

歩きスマホではない、歩き読書。

若いころよくやっていました。本を読みだすと止まらない。電車の中でもバスの中でも、歩きながらでも、気になって仕方がない、続きが、その先が。ホームで読んで、読みながら車内へというのも。

歩きながらの読書、それは「ぶつかる」という危険な行為に結びつくんでしょうが、なぜかやっていました。

いまどき、歩道を歩きながらの読書、学生街でもあるまいしと思いながらも、なんか「いい光景」だったのです。その本がなんだかはわかりませんが。

「薪を背負って読書、勉強をしながら歩いていた二宮金次郎、二宮尊徳」。”教育“の手本でした。学校の校門にもその姿が、銅像がおいてありました。

ふとそんなことが酷暑の中の蜃気楼のように頭に浮かんできて・・・。

二宮尊徳の訓えの中に「報徳訓」というのがあります。

父母の根元は天地の令命に在り 身体の根元は父母の生育に在り
子孫の相続は夫婦の丹精に在り 父母の富貴は祖先の勤功に在り
吾身の富貴は父母の積善に在り 子孫の富貴は自己の勤労に在り
身命の長養は衣食住の三つに在り 衣食住の三つは田畑山林に在り
田畑山林は人民の勤耕に在り 今年の衣食は昨年の産業に在り
来年の衣食は今年の艱難に在り 年年歳歳報徳を忘るべからず

今、これを読んで感じるのは後半の部分。
前に書いたかな。安藤昌益の“思想”と合致しているのです。

「長生きをするには、衣食住のバランスをよくしなければならないし、衣食住を良くするためには、それらをつくってくれる田畑、山林を良く手入れしなければならない」。

この報徳訓は、なんと福島県の相馬市の憲章にも記されています。

「報徳の訓えに心をはげまし うまずたゆまず 豊な相馬をきずこう」と。

そして全文も銅像の台座に彫り込まれていたような。相馬の歴史と風土が、合致してるとうことなのでしょうか。


それにしても、「スマホ」の普及率って何だろう。凄い。世界中、戦乱の地にあっても使われているスマホ。

郡山の街中でも、どこでも、歩きスマホ、ながらスマホ人だらけ。もはやスマホとは、携帯電話の延長ではないんだな。

歩きながらもさることながら、車運転してのスマホも度々見かける。そんなに必要なものなのか。持っています、使っていますけど。“中毒”にはなっていない。

ネットツールであることが一番の利点か。LINEが登場してからなおさら。

テレビで「ネットの闇」みたいな話を時々識者がやっている。特にネット絡みの犯罪が起きると。

どこかでスマホ否定論。そして、番組では視聴者の意見を聞く。イエスかノーかLINEでお答えください。10分で多くの反応。

嗤うしかないのか。

報道番組でもツイッターでの主張者からの意見を。見てるとほとんど無意味。問いかけに即座に反応しなければならないその“特性”。

「考えること」を無視しているかのようなネット社会、その代表か、スマホ。

若い人のスマホ操作を見ていると驚くばかり。その早いこと速い事。指がよくもまあ、あんなに動くもんだとも。

結局、スマホって「便利さの象徴」なんんだろうなって。

どうも、第一次産業従事者にとっても「スマホ」は、品質管理含め、必須アイテムとなっているとか。

なんかけったいな景色やなあって思うんやけど。

「もし、二宮尊徳がスマホを持っていたら」。そんな奇想天外な番組やったらどうなるんだろう。

お粗末さまでした。日曜妄語。

2014年8月2日土曜日

「平均」した人の在り方

子どもの頃、大方の日本人がそうであったように、貧しく飢えていた。
そんな家庭が平均的だった。
給食費がはらえずにもじもじしているのも平均的子供だった。

ベーゴマ。めんこ。平均的遊びだった。

小学校、中学校、高校、大学。成績は常に平均的だった。真ん中くらいっていうこと。

会社員になって平均的給料を貰い、26歳と言う平均的年代で結婚し、時々借金し、飲み屋につけをため。平均的サラリーマン像。

平均って人並みってことか。大方がそうだっていうことか。真ん中ってことなのか。判断の基準なのか。

以前から、福島県っていうのは、各種指標によると、大方なんでも47都道府県の中で、平均点以下だ。

どうも、この「平均」「平均的」って言葉が昔から嫌いだ。横並びの人間になれっていわれているみたいで。

日本人の平均寿命が伸びた。医学が進歩したからだという。そしてマスコミはこぞって認知症の話題を、介護の話題をとりあげる。寿命の伸びと連動でしているみたいに。

男は80,6歳。やれやれ、平均的人生を送ってきたつもりの人間には、そこまで生きろっていうことのように受け止める。
あと7年だぜ。そろそろ疲れて来たっていうのに。女は86歳強。どうすんだべ、家のかみさん。

昔からそうだが、なんでも、人の一生も平均値で捉えられるってこと。

そして、目下の福島の問題。
追加被ばく線量、空間線量。平均0、23μ㏜の問題。

そもそも、年間1ミリって決めて通達して、認知させたのは国。
最初は20ミリだった。さまざまな意見が知見なるものが示される中で、5ミリになり、1ミリで落ち着いた。毎時換算0,23μ。

その数字は除染の基準にもなり、避難者の帰還決定の数字にもなった。

平均0,23μ。それの持つ意味。

その「基準」を国は引き上げようとしている。どうも、0,3ということらしい。しかも、それはこれまでの空間線量ではなく、個人線量計で算出されたものとするという。

個人線量計。それぞれの人が日々異なる行動をしている。平均は無い。空間線量は計ればその場でわかる。街のあちこちにはモニタリングポストも置いてある。もはや福島を象徴する「悲しいオブジェ」のごとくに。

個人線量計になったらそういう測定が為されるのだろう。

除染費用の軽減とか、早期帰還をはかるための“政策”だとも言われる。

これほど日々悩まされる放射線量も「平均」で語られるということ。

それはともかく、「平均的日本人像」って何だろうとも。同じような顔、同じような考えってことか。家庭の平均収入、個人の平均収入。格差社会の中にある平均ってなんだろう。

平均という言葉が使われるたびに、その中に「個」が埋没していくような。

てな、愚痴っぽい話で本日はこれまで。お後がよろしいようで。

2014年8月1日金曜日

「責任」が“存在”しない国

東京の第五検察審査会が、福島原告団の訴えを入れ、一度は不起訴になった当時の東電幹部に対し、起訴相当と判断した。
何にしても、検察は再捜査せねばならなくなる。
事故を巡って、その責任を巡って、法廷の場で争われることになった。二回にわたって審査会が議決すれば「強制起訴」となるからだ。


その結果がどう出るか。予断は許すまい。

事故を巡って、原発をめぐって、司法の判断が問われるということだ。
検察と言うところは「体制維持派」だ。ほとんどの検察官は公務員と同じような“感覚”を持っている。出世だ。
だからどこまで本気で再捜査をするかどうか。疑念はある。

司法の有り様が、いままま、あらためて問われるということ。
検察審査会の議決は、かなり綿密な“調査”をしており、津波の想定にとっても、いままで明らかにされていなかった15メートル以上という予測が東電の中にあったことを明確にしている。

国民感情、国民的常識にかなった「起訴相当」。

判例主義に凝り固まっている裁判所が、この審査会の意思をどれだけくみ取れるか、新しい挑戦が出来るかだ。あえて福島県民の感情とは言わない。

前にも書いたが「誰も刑事責任を問われない、追わないというのが理解できません。不思議です。間違っています」。語気鋭く言っていた、元有力政治家の孫の言葉をまた思い出している。

福島原発事故に関して、誰も責任をとっていないというのは、明らかにおかしいことなのだ。東電幹部だけではない。国策として原発を推進してきた国も同様だ。

責任を問われる恐れはない。そう踏んだから再稼働が高らかに叫ばれるのだ。
裁判所が有罪判決を出せば、再稼働を巡る論議にも影響するはずだ。
政府事故調、民間事故調、国会事故調。皆、尻切れトンボだった。強制権が無いから踏み込めなかった。

事故からやがて3年半。司法の”正義“に期待したい。

東電幹部は「企業責任、経営者責任」にも言及せず、その職を去っている。
国の責任者は、いまだ政治家で有り続けている。
監督官庁の、推進の大本だった経済産業省。その当時の幹部、担当者は、もはや多くが退官。天下りでの“優雅な”日々を、恥じることも無く送っている。

責任の無い国の見本みたいなものだ。

避難者、仮設暮らしの人の中には、責任うんぬんよりも今の気持ちは明日の生活のことだという人も出てくる月日の経過なのだ。
間もなく来るお盆。墓参りの人は少なくなるだろうと、“検問所”に働く人は見通している。

原発の責任・・・。
川内再稼働。政府はその責任は無いという。規制委がOKを出せば、あとは地元の判断だと。
規制委員会委員長は言う。基準の適合審査をしただけで、再稼働を決めるのは国だと。
自治体は、戸惑う。はっきり物を言わない。
九電も責任については口を濁す。

責任のたらいまわし。それが原発を取り巻く日本の構図。

あの小泉だってこの構図をおかしいと言う。でも、言うだけ。

「安全体制を構築する」。官房長官は言った。ならば構築できなかったら責任は国にあると言っているに等しいのだが。

民主政権時、再稼働は「4大臣会合」で決めると決めた。たった4人の関係閣僚だけで決めるのかと批判した。でも、そこには多少なりとも政府の責任が存在していた。
その「4大臣会合」ですら、安倍政権は否定した。責任の場から逃れた。

普通の国民感情なら、国民の常識からすれば、原発の導入は政治が決めたもの。だから政治が責任を問われねばならない。そう思うのは当然だと思うのだが。

「政府の責任で、国が前面に出て事故収束を図る」。そこにも責任という言葉は使われていたが、結果、たんなる「口約束」、「その場しのぎ」だったということ。

長々、お目汚しでございました。