2014年8月16日土曜日

「総括」や「反省」をしない国

どうやら、しばらくは「戦争」のことについて書かねばならないと思う。「語り継ぐ」というような大げさなことではなく、知らない世代が世の大勢になっているからということでもなく。

まだ「戦後」は終わって無いと思うから。

結局、あの230万人以上とも、民間人を含めると320万人以上ともいわれる死者を出し、国民感情を引き裂き、多くの差別を、さまざまな差別を生み、いまだ持ってその“呪縛”から抜け出せないあの戦争。

その戦争の総括というものは国としてなされたのだろうか。なにがしかの決着をつけたのは極東軍事裁判だけである。戦争に責任があるかどうかは別にして、多くの死者を出し、国土を荒廃させた責任と言うものは存在するはず。
戦争責任は軍事法廷だけだったということ。

もちろん「戦争責任」について書かれたり述べられたものは多々ある。国としてそれを鮮明にしたのかということだ。

「反省に立って」という。しかし、その反省がどういうものだったのか。判然としていない。

原発が然りだ。反省もなければ総括も無い。責任の所在すらうやむや。いたるところに“災後”がある。手が付けられないような。

多くの意味において、「福島」に決着を付けなければ、次へ行ってはいけないのだ。そう、再稼働。まさに“過ちは繰り返しませんから”の不戦の誓いの如く。

首相は昨日、「歴史と謙虚に向き合う」と宣言した。でも実際はどうか。とても謙虚に向き合っているとは思えないから。
全てにおいて、「あの戦争」には決着が付けられている。新たな安全保障という発想の原点。

遺骨収集、細々と続けられている、それも民間頼りの。遺骨が帰るのを待ちわびている遺族がいる。「骨」が帰って来ない限り、遺族にとっての戦後は、いや、戦争そのものも終わっていないのだ。

マレーシア沖では沈没した日本の戦艦の残骸をスクラップ業者が壊して引き揚げ、鉄を金に換えているという。
なぜ、日本と言う国家として、それを引き揚げ、そこにひそんでいるであろう共に沈んだ“英霊”を弔うことに専心しないのか。

海の中に眠らせたままでいいのか。遺骨を異国の地に放置したままでいいのか。

戦後は終わって無い。戦争それ自体も終わってはいない。

国として、国家として、日本政府として、総括、反省をしたのはかつての「村山談話」だけだ。

国家として総括、反省をしていない。平たく言えば「けつを拭いてもいない」ということ。反省というのは他国に対してだけではない。自国民に対してもだ。

講和条約締結で戦争が終わったわけではない。名ばかりの“独立”をかちとっただけだ。

たとえば佐藤栄作首相。「沖縄返還がなければ日本の戦後は終わらない」と言った。返還はされた。でも、米軍基地はその実相も明らかにされずに、沖縄に治外法権区域を作ったままだ。

全て、戦争にかかわることは「うやむや」にされたままなのだ。

靖国だけに収れんさせてはいけない。手段的自衛権だけに収れんさせてはいけない。政治かは、今からでも遅くない、まだ間に合う。

戦争を学んでほしい。戦争を知って欲しい。

戦争を知らない世代だからと“豪語”しないで欲しい。

昨夜もNHKの番組で「戦争」についての討論がされていた。元外交官、学者、ジャーナリスト。そこで口角泡を飛ばすように語られていたのは、集団的自衛権を巡る「国家としての戦争」のことだけ。

「国民としての戦争」。体験者が、ようやく語り始めたような気がする。

国家としての戦争と、国民としての戦争を、同じベクトル、同次元で語り、その根源を合致させなければ総括にも何もならない。
それを為すには、相当、頭の整理と混濁があるだろうが。

国策としての原発。被災者を生む原発。どこかで“合致”するところもある。

原発事故からはまだ3年余りだ。それすら“忘れられようとしている”ということ。

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