2014年8月21日木曜日

やはり“人災”というべきだろう。重なる広島と福島。

広島市の豪雨災害。とにかく、ちょっとづつでも「復旧作業」がはかどることを願うのみ。「整えられない死」を悼むのみ。

伝えられることを見て、聞いていて考える。

もちろん大雨が主因だが、結果「人災」ではなかたのかということ。

花崗岩が風化して真砂土という粉末状の土になり、その中に人家もあったとうこと。

過去の水害との対比写真があった。明らかに、この数十年で、山の下まで人家が出来ている。かつては田畑であったところに。田園地帯のひろがっていたところ。

都市近郊に、人は住まいを求めていった。高度成長の波が地方都市にも波及した。田園地帯は宅地化されていった。
そこは人が住むには「不適格」な場所だったのに・

偉そうなことを言うようだが、入ってはいけない自然の領域に、知るや知らずは人が住んでしまったということ。

事故があると必ず、メディアは「専門家」を登場させる。土木学者や地質学者は、そろっていう。
「あの辺は危険な個所だったのだ」と。

ならば、なぜ、以前からそこに宅地が出来ることに警鐘を鳴らし、住むことを止めるよう、行政に働きかけなかったのか。

高度経済成長が生み出したものに、人間は無反応になってきていたのではないか。

国も、行政も知っていたのだと思う。でも、「まさか」とか「想定外」の思想に“安住”して、対策をうってこなかった。

原発事故の時のそうだった。さまざまな学者、専門家がメディアに登場し、原発の危険性を、そうなることを予測していたかのような論を振りかざしていた。

だったら、事故が起きる前、いや、原発そのものが出来る前に声を出して、学者生命を賭してでも言わなかったのか。働きかけなかったのか。

あれ以来、学者、専門家という人達には限りない不信を持っている。

後からならどうでも言えるのだ。事故が起きてから学説を言う。

そこが住むのに“危険”な場所であることは学者も自治体もわかっていた。デベリッパーは・・・。


自然に意志は無い。自然は人の営みには無関係だ。

場所も地形も現象も違うが、「津波てんでんこ」を教えてきた群馬大学の片田教授が岩手の子どもたちに教えてきたこと。日頃の心構え。


気象庁の予測、計測値。その数字は上にあがっていただろう。土質の問題点も国交省は把握していたはず。その危険性はわかっていたはず。

真夜中とはいえ、それが官邸に上げられたのか・・・。

皆、無責任であり、想像力の大いなる欠如だ。

自治体の作るハザードマップ。それだけで「防災対策」が良しと言えるのか。
大雨の降る中、避難は不可能だ。
過去の経験を生かせば、降り始めた時、長雨に見舞われていたことから、想像力を働かせば、早い避難を指示出来たはずだ。

行政の動きと天候を時系列で比較してなんだかんだと報道しても始まらない。

市の消防の危機管理官が「誤算だった」と認めたことは潔い。ただ、今は、まだ捜索と生活再建が優先だ。
責任をいいたてても致し方無い。でも、マスコミはすぐそれに食らいつく。

現場では今も山から濁流が流れ落ちていることだろう。

1Fでも毎日地下水が流れ込んでいる。

溢れる水を、人間の思い通りに「止めること」は出来ないのだ。

避難出来ない人、避難出来ない状況。そこでも「避難」の術をさぐる。
あらゆることが進化した日本でもそれは不可能なのだろうか。

避難・・・。原発事故と重なる。避難計画が策定出来ない中、再稼働の動きが続く。

どうにかならなかったのか・・。その思いを強くする。

天皇陛下は「ご静養」を取りやめられた。見舞いの言葉を県知事に寄せた。

“チェルノブイリ”異聞

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