2014年8月7日木曜日

「盆踊り」に想うこと

「民衆のもっとも原初的な、そして、もっとも純粋な歓びの表現はTanz(タンツ・踊り)である」。

ニーチェの言葉だ。

郡山では「うねめ祭り」という夏祭りが始まる。夜は「踊り流し」。浴衣姿の人
達が通行止めになった大通りをうねめ音頭に合わせて踊る。郡山の“伝統芸能”、
ひょっとこ踊りもある。
大方は企業や団体の踊り手だが・・・。


盆踊りの季節だ。全国のあちこちで盆踊りが行われている。
原発避難者もそれぞれの仮設の広場で、櫓を囲んで踊っていた。汗を厭うこと
もせず、嬉しそうに。

またも昔話だ。

まだ敗戦の翳が色濃く残っているころ、東京の初台町会でも盆踊りをやってい
た。空襲を免れ、残った屋敷がある。その屋敷の敷地内。門から玄関までのか
なり壮大な広場。そこが会場だった。

やがて家の裏にあった小さな“お稲荷公園”が会場になる。

櫓の上から聞こえてくるのは太鼓と笛。そして踊りの曲は「東京音頭」。

♪は~、踊り踊るならちょっと東京音頭。ヨイヨイ。花の都の、花の都の真ん中で、それ、や~とな~それイヨイヨイ、や~となあそれヨイヨイよい♪

//押して、押して、また押して。かついで、かついで後戻り。押して、押して、開いてちょちょんがちょん//

今でも覚えている音頭と踊りの振り、踊り方。踊ったわけではないけれど。

どこで入手したのか。まだあの頃。近所のおばさんたちが大勢集まってきて、
オジサンもまざっていたか。皆、嬉々として踊っていた。とにかく皆、疲れて
いたはず。食糧だって存分ではなかったはず。日頃の労苦を吹き飛ばすように、
嬉々として踊っていた。とにかく“戦争”の恐怖は無くなったのだ。
母親も交ざっていたような気がする。

子どもはと言えば、盆踊りに合わせて出る縁日の屋台。お目当ては。

金魚すくい。綿あめ。射的。かき氷。ヨーヨー釣りってのもあったか。


高校、大学か。冒頭のニーチェの言葉に出会った時に、この時の盆踊りの光景が重なった。

郡山の夏の“風物詩”に「ビール祭り」と言うイベントがある。7月の下旬、数日間で数万人。開成山公園にでかいテントが設置され、櫓ならぬステージが組まれ。国内最大規模の野外ビヤホールだとか。

あの年、2011年。ビール祭りは開催された。会場には郡山に避難してきている人、仮設の人が招待されていた。何人かの顔見知りとも出会った。

やがてステージの音楽が生バンドが激しいラテンのリズムの演奏になった。ステージ前のちょっとした空間。数人の人が踊り出した。みるみるその輪は広がっていく。仮設に居る人たちが圧倒的に多い。

まさに「踊り狂って」いた。忘我の境のように。中には泣きながら踊っている人もいた。涙が伝染していっていた。皆、泣きながら踊っていた。飛び跳ねていた。輪になって走りまわっていた。

そして、やがて皆笑っていた。笑顔が満ち溢れていた。

束の間の解放感だったのか、何かを発散させたかったのか。踊り狂う彼ら、彼女らの姿にこっちが慰められていたような・・・。

この時、また、あのニーチェの言葉が脳裏に湧き出していた。

被災した各地で、夏祭りがある。大人も子供も、ひと時の祭りを楽しむ。
踊れ!。歌え!。舞え!。

なによりもいいのだ。原初的になることが。素になることが、感情をからだで表現することが。

盆踊りか・・・。夏祭りか・・・。

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