2014年8月8日金曜日

「食」の安全保障

安全保障というと、すぐさま反応するのが日米安保条約を基軸とした、軍事力の安全保障となる。
抑止力という言葉があり、集団的自衛権という言葉が“意味なく”蔓延し、「自国民の生命、安全を守るため」という。軍事力、軍事力による戦争。安全保障の裏表。

戦争はなぜ起きるのか、起きたのか。領土拡大という欲望。エネルギー資源を確保するための、権益を護持するという欲望。

領土拡大だって、領地の拡大だって、収奪だって、殿さまの権威の問題もあったのだろうが、かつては、戦国時代含め、農地が欲しかったからだ。石高制という封建領主の有り様は、年貢にとの裏表。

戦争になったら、今の政治は、日本領土内、本土内の戦争は想定していない。
海の向こうでの戦争。

兵士が戦場に行く。「腹が減っては戦(いくさ)が出来ない」。古今東西の普遍的原則。

兵士に食糧を供給しなければならない。東北と言うところは昔から穀倉地帯であったわけではない。食糧供給地として存在した。食糧を生産していた農民は兵士として徴用されていった。

訳あって、吉野せいの「洟をたらした神」を再読している。貧農の物語を。

ロシアのプーチンは、欧米の対ソ制裁に対抗して、農産物の“禁輸”を決めたという。日本への影響もあるかも。輸入制限のことだが。

なかなか一筋縄ではいかないズルしゃも。

食の安全保障を手玉にとってきたのだ。そう、今、この国、日本にとって、必要な安全保障は、軍事力の安全保障では無く、食の安全保障なのだということ。

3・11を契機に日本人が最も考えなくてはならなくなったことは農林水産業、第一次産業。食糧自給率のもんだいなのだ。

世の中、グローバル経済が善だとされる。その延長線上にあるTPP交渉。

今、農林水産省の試算でも、日本の食力自給率は40%だ。60%は外国依存。
TPP交渉の成り行きによっては,自給率は14%に低下するという。

日本人の食を日本ではまかなえないという現実。

なにかの拍子で、はずみで、食糧の対日禁輸措置なんていうのが取られたら・・・。

中国の食肉偽装事件。そう、あんな食肉だって食べなければいけない事態だって有り得る。

エネルギーの自給率は4%だという。石油を筆頭に、化石燃料含め、ほとんどが海外依存だ。原発という理屈がそこから出たのだとすればまやかしだ。ウランは輸入しなければ手に入らない。

エボラ出血熱が問題になっている。もし、日本にも飛び火したら。可能性は無きにしも非ずだ。
病の安全保障だって重要なのだ。

食の安全保障。福島県産は多くが忌避されている。食べて応援なんてどうでもいい、マスコミ向けのポーズだ。

都会には食糧が満ち溢れている。誰も食糧危機だなんて思っていない。テレビは“贅沢三昧”のグルメ番組ばかり。
福島では多くの農地が奪われた。漁師も海の汚染に戦々恐々としている。漁も不活発だ。

再稼働反対。同意見だ。その運動に一生懸命な人達。食糧危機なんて意識したことあるのだろうか。集団的自衛権反対。同意見だ。でも、目先にある食の安全保障を考えたことがあるのだろうか。

福島の第一次産業を取り戻す闘い。そんなこと誰か考えているのだろうか。いや、県民すらそうだ。県民の関心事は「金め」の行方、帰趨なのだ。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...