広島の平和記念公園にある碑。礎(いしじ)。慰霊碑に刻まれ、被爆者の“過去帳”がおさめられているところ。
「安らかにお眠りください。過ちは繰り返しませんから」。
この碑文を巡って、ある時から“異論”が出されるようになった。
やれ、「主語が無い」、やれ、「原爆を落としたにはアメリカなのになんで日本人が過ちをという言葉を使うのか」などだ。
まったく取るに足らない議論だ。
過ちとは戦争だ。戦争は人間が引き起こす。人類が人類に対して発した本質的メッセージとして、どうして捉えることが出来ないのだろうか。
とにかく、石に刻んで、過ちを繰り返さないと多くの人が誓ったはずだ。しかし、その誓いは破られた。
核兵器こそ用いられていないものの、核爆弾こそ落とされていないものの、人は常に争いをやめない。
ミサイルが飛び交い、多くの兵士、民間人、なによりも子供が傷つけられ、殺され・・・。
過ちが続いている。
不戦の誓いをしたはずの日本人も、喉元すぎれば何とやらか。再び「過ち」の中に突入する可能性を図るに至った。
戦争とは・・・。そのことを語り続ける以外に無い。
過ちが繰り返されようとしている今、「語り部」たちが、戦争を知る人たちが立ち上がり始めているという。
「過ち」の空気を察知したからかもしれない。
修学旅行は広島、長崎に行くべきだ。だまって碑の前に立っていればいい。
資料館に立ち寄ればいい。
そこにある写真を見ればいい。そこにある写真は「事実」を映した写真なのだ。
黙って見て、何を感じるかはそれぞれの自由だ。
デジタル技術が進歩した今、ネットに流布される写真の中には、まったく信を置けないものがある。
なぜなら、いくらでも「加工」できるからだ。無いものを在るようにできるからだ。
そのデジタル技術の写真が、「福島の真実」という“美名”をかぶせられて流される。
きょうはあの「11日」だ。
修学旅行は福島に行くべきだ。来るべきだ。
そこに、焼死者はいないけれど、もちろん近くまでは行けないけれど、爆発した建屋の痕跡はある。焼け野原ではないが、雑草に覆われ、人気の絶えた街を見ることはできる。
塾で三本の校長の言葉を紹介した。和歌山大学長、立教新座高校の校長。遠い昔の話ではない。たった3年前にあった「悲劇」とどう向き合うかを問うた言葉だ。
広島のことを知るなら、たった3冊の本を読めばいい。はだしのゲン・峠三吉の「人間を返せ」・栗原貞子の「生ましめんかな」。
それだけ読めば「戦争」がなんであるかをおぼろげながら知ることが出来る。
戦争は人間が引き起こすことを知ることが出来る。
原発事故も人間の欲望が起こしたものであることも知ることが出来る。核爆弾も、核開発によるエネルギーも、人間が制御出来ないものであることを知ることが出来る。
過ちは繰り返される。いくら誓っても繰り返す人たちがいる。原発とても同じだ。「過去の反省に立って」、それは単なる言葉のあやに過ぎない。
感情論と掃き捨てられるかもしれない。
だけど、原爆も原発も、根源にある「人間の欲」ということでは同位置なのだ。
小石を投げろ。どんな小さな小石だって、水に波紋を広げることはできるのだ。
「可能性がある限り、全力を尽くす」。今日から始まった全国高校野球選手権、選手宣誓であった力強い言葉。
2014年8月11日月曜日
“チェルノブイリ”異聞
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