2011年7月。前夜から一時帰宅で川俣町山木屋の自宅に戻っていた渡辺はま子さんが、庭でガソリンをかぶり焼身自殺した。
前夜、縁側の座椅子に座り庭を眺めながら夫に言っていたという。
「あんたは避難先に帰りなさい。私はもうあそこには行かない。ここにいる」と。翌朝早く、夫が見つけ、火を消そうとしたがかなわなかった。
夫は原発事故による避難のストレス、それに起因するうつ症状があったとして東電を訴えた。
東電側は反論した。東電が考え出したのか、東電側の弁護士が考え出したのか、とんでもない「詭弁」。
「個体の脆弱せいによる自殺」。その他の人が自殺していないのだから、はま子さんの性格が弱い、脆弱だったとする反論。裁判の中で展開されていた論法。
東電は、東電側の弁護士は、奇妙な言葉を見つけ出し、詭弁を弄する。
ゴルフ場が放射性物質で汚染された損害賠償訴訟。事故でまき散らされたものは「持ち主」がいない。「無主物だ」。そう言い張り、裁判所もその主張を認めた。
今回の福島地裁の判決。「自殺は原発事故が原因」だとして、因果関係を認めた。司法の初めての判断。
9千万円余りの損害賠償請求に対して、4900万円の賠償支払いを命じた。
極めてまともな判決。それが異例のように伝えられるという異常さ。
裁判所は裁判の過程でも「和解」を求めてきた。和解とは。金による解決だ。
はま子さんの夫はそれに応じなかった。
「東電の責任を明確にしたかったから」と。
原発事故に起因する関連自殺。福島だけでも56件ある。現在裁判中のものもある。
他の裁判所がどういう判決を下すのか。
「判決を真摯に対応します」とコメントした東電は、控訴するのか。
個体の脆弱性。この言葉を初めて聞いたとき、怒りが込み上げてきた。人間を個体と言う言い方。わけのわからぬ言葉を抜き出してきて責任逃れをしようとはかる「東電側」。
何が何でも東電を悪者にしようと言っているのではない。
一般人の普通の感覚で言おう。事故があったのは事実だ。なんであれ、事故の責任はあるはずだ。
それをなんだかんだとわけのわからぬ言葉を並べて責任逃れをしようと図る”姑息さ“に腹が立つのだ。
集団的自衛権にまつわる内閣法制局の「見解」を引き合いには出さないが、司法の在り方が、これほどまで問われた時は、過去をみてもあるまい。
司法が東電の責任を認めた。そのことに意義がある。
だけど、これとて損害賠償という民事訴訟だ。
以前から何度も言っている。刑事責任を問うべきだ。明らかにすべきだと。
罪人を作れと言っているのではない。刑事責任が問われなければいけないのだ。
当時の東電幹部、原子力村の関係者、そして政府・・・。
それを問うた公訴提起は、すべて、検察の不起訴決定で見送られている。
検察審査会が動いた。不起訴不当とした。
裁判は行われる。
そこで有罪判決が出されない限り、この国にあっては「法の正義」は成り立たない。
今、改めて問われているのは裁判所による「法の正義」の履行なのだ。
黒を白といいくるめるのが司法の役割ではない。
なぜ普通の国民が、時代劇の「大岡越前の守」を好み、拍手喝さいを送るのか。答えは簡単だ。大岡忠相の“弱者の視点”を歓迎するからだ。
昨日のこの判決。多分、今後の原発訴訟の流れを変えるだろう。
なぜ、刑事責任を問うのか。金で解決しようとする、出来るとしたら、再稼働して事故を起こしても、誰も責任を負わないということになるからだ。
潔く責任をとる。日本人の“美徳”だったはずなのに・・・。
2014年8月27日水曜日
“チェルノブイリ”異聞
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