2014年8月10日日曜日

何をしに広島、長崎に行ったのか、安倍は。

集団自衛権問題をめぐり、安倍はかねがね、その場しのぎであるにはせよ、「国民に丁寧に説明する」と断言していた。
長崎の被爆者連絡協議会との“おざなり”の会見では、納得できないとする被爆者側に、「見解の相違だ」と切って捨てた。説明はおろか議論のかけらもなく。

広島、長崎。それは日本人にとって、あまりにも、あまりにも「特別な日」なのだ。
平和宣言で何が言われ、何が全世界に発信されるのか。この日だからこそ世界も受け入れる重要な日なのだ。

事前に目を通していたはずの平和宣言、平和への誓い。それに答えを持って発信するのが国の指導者としての当然の使命だ。

広島でも、長崎でも、安倍の「あいさつ」は、日付を変えただけの、前年のほとんど同文の焼き直し。それで事足れりとする。

なぜ語らないのか。いや、語れないのだろう。ならば、わざわざ格好つけで行くなということ。

自らが言い出した集団的自衛権の問題。去年とは、「安全保障環境」が大きく変わっている。そこで、メッセージを発せられないこの国の代表者。

それを戴かざるを得ない悲しさ。

安倍を目の前にして、あれだけのことを言いきった、たぶん、原稿には無かったことをあの場で付け加えた、被爆者代表の城䑓美弥子さん。相当の決心と決意が入ったことだろう。たぶん、「にらまれる」だろう。安倍シンパからは陰に陽にいわれなきバッシングを受けるだろう。

たった一人で、国家に立ち向かった人。
その人の言を再録、再記する。その部分を。

「今進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじった暴挙です。
日本が、戦争ができる国になり、日本の平和を武力で守ろうというのですか。
武器製造、武器輸出は、戦争への道です。
一旦戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。
歴史が証明しているではありませんか。
日本の未来を担う若者や子供たちを脅かさないでください。
平和の保証をしてください。
被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないでください」。

彼女を発言者にした長崎市の実行委員会の決断。

沖縄が壊滅したのは6月23日だ。それを待たずしても勝機が無いことは、当時の政府だってわかっていた。竹やりの本土決戦が無意味なことはわかっていた。東条英機だってわかっていた。昭和天皇だってわかっていた。

でも「菊水作戦」の終了は、秘中の秘の如く、国民各層にはあまねく知らされていなかった。広島、長崎を阻止できることは不可能ではなかったのだ。

本土決戦を言う軍部の大半を、もはや指導者も御すことは不可能だった。新聞、ラジオの大本営発表を信じ込み、まだ戦えると信じ込み、うねりのようにあった「国民」の空気。

安倍は絶好のチャンスを逃したのかもしれない。政権維持に汲々とするあまりに。
城䑓さんには、怖いものは何も無かった。怖かったのは被爆体験だけだ。恐れるものは無い。

今、また、「戦争」を語ろうとする“体験者”が増えてきているようだ。どうか、語り続けて欲しい。相手が一人であろうと10人であろうと。
国民としての戦争の物語を。

彼女が語った「福島」に関するくだりも書いておく。

「このような状況の中で、原発再稼働、原発輸出、行っていいのでしょうか。使用済み核燃料の処分法もまだ未解決です。早急に廃炉を検討してください」

再度言う。安倍は「福島」に触れなかったことを。世界の多くの人が、何を語るかを注視していたにも関わらず。

安倍のフェイスブックには、長崎で語ったことが、得意そうにアップされていた。書いたのが本人かどうかはいざ知らずだが。

それに対しての「いいね!」は数千件あった。安倍信者が国民の半数近くいるという事実。安倍が醸し出す「空気」に支配され、迎合している人たちがいるという事実。

15日、安倍は、戦没者の前で、何を語るのだろうか。天皇陛下のお言葉にだけは耳目を傾けるつもりだ。それをすら、安倍は“無視”するかもしれないが。

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