2014年8月17日日曜日

戦争を語り継ぐということ、知らないということ

知人が娘に言われたという。
「作文コンクールで戦争のことを書こうと思っている」と。
母親は驚いた。何を話せばいいのだろうか、何を読ませればいいのだろうかと。
「こどもなりに考えているはず。思った通り、考えた通りのことを書かせればいい」と言ってみた。

もう半年以上も前か。塾で40代の塾生から言われた。
「戦争のことをよく知らない。親は話してくれなかった。教えてくれなかった。
もう少し、戦争のことを知りたい、学びたい」と。

それまでも自分の「戦争体験」は折に触れて、断片的に語ってきた。その「歴史」についても多少は、他の話に織り交ぜながら話してきた。

「とりあえず、自分で勉強するほうがいい。自分からアプローチした方がいい」。
そう答えて二冊の本を紹介した。半藤一利の「昭和史」を。二巻を。そして加藤陽子の「それでも日本人は戦争を選んだ」を。

数年前には山本七平の「空気の研究」を、一部を抜粋して読み解いて話した。

皮肉っぽく言うならば、安倍の“功績”は大きい。彼が打ち出す改憲論議や集団的自衛権の論議。それが、日本人を覚醒させ、戦争を巡る論議を、戦争とは何か、戦争とはいかなるものであったか。戦争を「身近なもの」として考えさせる機会を与えたのだから。

的外れの議論も多くある。感情的に捉えるものもある。やたら「対立」を煽っているかもしれない。
ゲーム感覚で戦争をとらえている人もいる。家族を軸に考える人もいる。いろんな意見があっていいのだ。

それは忘れてはいけない事なのだから。

今、我々が生きているこの国、その在り様。姿。出発点としての戦争があったのだから。

新聞の投稿欄。若い人、中学生が意見を寄せている。知って語り継ぐと。
これまで沈黙を守っていた、戦争体験者、とりわけ敵兵を殺した体験を持つ人も、こころの封印を解いて話し始めている。

昨日、秋篠宮ご一家は、東京で開かれた学童疎開船「対馬丸」の慰霊の集いに参加された。展示物を見て回り、関係者と語り合っていた。

昭和天皇の「苦悩」を知る平成天皇はたぶん、子々孫々に何らかの形で「戦争」を語りつがれるのだろう。美智子皇后と共に。

戦争を知らない人たちが増えている。それは事実だ。

それが意図的な“報道”なのかそうかはともかく、靖国神社の招魂祭の場にいた若者にインタビューしていた。靖国神社そのものについても知らない、わからないとほとんどが答えている。祭りがあるから来ただけだと。
「8・6」.「8・9」.「8・15」。それは何の日だと聞く。多くがわからない、知らないと答える。

8月15日は戦争が終わった日ですよ。インタビューアーが言う。「戦争ってあったんですか」と返す若者もいた。

それも、今のこの国の姿だ。

なぜか。その子たちの親が、たぶん戦後生まれの親たちが戦争認識がないからだろう。語るものを持ち得ていないからだろう。

ドイツではアウシュビッツの記憶も含めて、国として設けたメモリアルの形がある。日本には悲しいかな、国としてそれを設けてこなかった。

きのうも書いた、戦争を総括していないということの証左だ。

先に挙げた三つの日にち。1945年の8月の出来事。学校は夏休みだ。
学校教育で、思想を除外視した「歴史教育」が為されてこなかったのではないかと思う。
事実、世界史は必須科目でも日本史は、いつの間にか選択科目にされている。

夏休みのお盆明け。一日だけ登校日を設けてもいいのではないか。同世代の、先人が書いた作文や手記がある。それをみんなで読んで考える。年譜を教える歴史教育ではなく、考える歴史教育の時間が、あってもいいのではないか。

戦争があった。多くの人が死んだ。無残な死もあった。家族は皆悲しんだ。そんなことだけでも考えさせるのが教育。

こんなことを書きながら思う。自分はどういう戦争教育をされてきたのだろうかと・・・。少なくとも自分から知りに行っていた。取りに行っていた。

69年はすでにして忘却の彼方なりや。違う。
まして、3年前のあの出来事。今、福島にあること。それが50年後、60年後、どう語られているのだろう。
被災を体験した若者は、多くが語り継ぐ意思を示している。体験者として。それを国が国中が受け止めるかどうかだ。

悲惨な出来事は、すべて「延長線上」として存在すると思う。

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