2014年8月2日土曜日

「平均」した人の在り方

子どもの頃、大方の日本人がそうであったように、貧しく飢えていた。
そんな家庭が平均的だった。
給食費がはらえずにもじもじしているのも平均的子供だった。

ベーゴマ。めんこ。平均的遊びだった。

小学校、中学校、高校、大学。成績は常に平均的だった。真ん中くらいっていうこと。

会社員になって平均的給料を貰い、26歳と言う平均的年代で結婚し、時々借金し、飲み屋につけをため。平均的サラリーマン像。

平均って人並みってことか。大方がそうだっていうことか。真ん中ってことなのか。判断の基準なのか。

以前から、福島県っていうのは、各種指標によると、大方なんでも47都道府県の中で、平均点以下だ。

どうも、この「平均」「平均的」って言葉が昔から嫌いだ。横並びの人間になれっていわれているみたいで。

日本人の平均寿命が伸びた。医学が進歩したからだという。そしてマスコミはこぞって認知症の話題を、介護の話題をとりあげる。寿命の伸びと連動でしているみたいに。

男は80,6歳。やれやれ、平均的人生を送ってきたつもりの人間には、そこまで生きろっていうことのように受け止める。
あと7年だぜ。そろそろ疲れて来たっていうのに。女は86歳強。どうすんだべ、家のかみさん。

昔からそうだが、なんでも、人の一生も平均値で捉えられるってこと。

そして、目下の福島の問題。
追加被ばく線量、空間線量。平均0、23μ㏜の問題。

そもそも、年間1ミリって決めて通達して、認知させたのは国。
最初は20ミリだった。さまざまな意見が知見なるものが示される中で、5ミリになり、1ミリで落ち着いた。毎時換算0,23μ。

その数字は除染の基準にもなり、避難者の帰還決定の数字にもなった。

平均0,23μ。それの持つ意味。

その「基準」を国は引き上げようとしている。どうも、0,3ということらしい。しかも、それはこれまでの空間線量ではなく、個人線量計で算出されたものとするという。

個人線量計。それぞれの人が日々異なる行動をしている。平均は無い。空間線量は計ればその場でわかる。街のあちこちにはモニタリングポストも置いてある。もはや福島を象徴する「悲しいオブジェ」のごとくに。

個人線量計になったらそういう測定が為されるのだろう。

除染費用の軽減とか、早期帰還をはかるための“政策”だとも言われる。

これほど日々悩まされる放射線量も「平均」で語られるということ。

それはともかく、「平均的日本人像」って何だろうとも。同じような顔、同じような考えってことか。家庭の平均収入、個人の平均収入。格差社会の中にある平均ってなんだろう。

平均という言葉が使われるたびに、その中に「個」が埋没していくような。

てな、愚痴っぽい話で本日はこれまで。お後がよろしいようで。

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