2014年8月22日金曜日

「許されざる者たち」

予想としてはあった。でも、書くのをためらっていた。でも、やはり現実に発生した。

広島の大水害の空き巣事件だ。

半壊になった家に住民が戻ってきたら、家中が荒らされていた。掛けた鍵も壊されて窓ガラスを破られて。

懸命に働く自衛隊、警察、消防がいる。救いたい、早く汚泥を無くしたい。
すでにして、中高生、大学生もボランティアで入り、家の泥出しや、瓦礫の片付けに汗を流している。ボランティアは普段着のままだ。真砂土が乾いて粉じんとなって飛散する。彼らの多くは無防備だ。

災害現場。そこには治安や防犯にあたる人達はいない。多くの人は肉体作業に追われている。
そこに目をつける奴らがいる。こんな言葉では片付けられないほど憎いが「火事場泥棒」だ。

3・11後の様相。原発事故で避難した町村。立ち入り禁止区域。国道や県道は警察が警戒している。裏の抜け道通って、それが「目的」である、空き家への侵入。福島では多発していた。

犯人は検挙されていない。

津波にあった三陸。

慰霊の場におかれた、祈りの場である場所の賽銭箱を盗んでいく奴がいた。
それも常習だ。

犯人は検挙されていない。

賽銭箱を撤去するという決断を強いられているとも聞く。善意の方に申し訳ないとして。

「心が痛まないのか」。そんな発想は無意味なのだろう。

なんでも有の世の中。

彼らがつかまっても、微罪だ。窃盗か住居不法侵入か。
今の法律ではそれ以上は裁けない。

「死刑にしろ」と言いたくなる。死刑肯定論者ではもちろんないが、感情的にはそうなる。

弱みに付け込む犯罪。いわゆる年寄りをターゲットにした「おれおれ詐欺」の類もそうだ。

人の弱みに付け込む。弱い人を狙う。そんな「社会現象」がいつのころから蔓延していったのだろう。被災者救済をうたい文句にしたNPOを名乗る詐欺団体だって然りだ。

皆、つかまっても微罪で終わりだ。

広島でも、京都でも、その他の地でも、天変地異に対処する法整備はまったくなっていない。上記の犯罪行為とは別の話だが。

行政はすべからく法を建前にして、法に基づいて動く。避難勧告、指示だってそうだ。多くの公務員が法に縛られている。

3・11後もそうだった。あらゆる既成の法律が壁になって、被災地の復興を妨げた。建築基準法、私権擁護、国土計画法・・・。

既成の法律はぶち破らねばならないのだ。また気持ちは3年前にさかのぼっている。

我々の生活を規制している、規定している法律の数々。多くが「前世期の遺物」なのだ。

社会構造が変わり、価値観が変わり、システムも変わっている。法だけは旧態依然。

婚外子というか、妻が他の男と関係を結んで子供が出来た。その子は結婚している形態にある、血のつながらない夫の子とされる。
その規定は明治30年頃に出来た民法の規定による裁判所の判断。

今の夫婦の形態、家庭の形態、男女の意識。DNA鑑定というのまで出来上がった時代。それらに法は追いついていない。実情とかけ離れた“場所”にある法律によって人の生き方が変わる。決められる。

法律家の怠慢だ。司法の怠慢だ。過去の遺物のような法を、勉強し、熟知することが法律家の仕事ではない。

そして、立法府の怠慢だ。

改憲論議の前にやることは多々あるはずだ。
国民の生命と安全を守るために国家がやるべき、法治国家としての責務があるはずだ。

それだって「3・11」の大きな教訓のはずなのに。

大災害にいかに法が対処できるか。災害対策基本法からはじまって、あらゆる法律の見直しが必要なのだ。

「火事場泥棒」に厳罰を科せられるような。

「3・11」の現場に立った、応援に出向いた自治体の職員は、その法の壁にぶち当たって、葛藤をしていたはずなのだが。全部がそうだとは言えないが。

「法律、法令ではこうなっています」。けんもほろろな窓口対応をする役人もなんと多い事か。

「人命は地球より重い」。そう言って超法規的措置をとった総理大臣が昔いた。ハイジャック犯を海外逃亡させた。その人の派閥の系譜の下に安倍はいた。
憲法には手を付けようとする。国民の生活が脅かされていることに法は対処できない。身近な法が。

本末転倒のような気さえするのだが。

なぜ、なぜ、こんな不道徳な、不埒な人間が出来てしまったのだろうか。

災害弱者も含め、あくまでも弱者は弱者のままだ。

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