年を経るごとに何物も劣化しいていく。当然のことだ。いつまでもそのままでは有り得ない。
広島の惨事。花崗岩が年とともに風化した真砂土という地質が問題だという。
乾けばかたまる。かたまらないものは粉塵となる。
汚泥に足を取られながら、救出、救援活動に励む人達に敬意を表する。駆け付けたボランティアにも。
「恩返し」だと言って駆け付けた東北の人達もいた。
被害にあった地域は、たぶん、「住めない」地域になるだろう。岩だって一滴の水が穿っていくのだから。
何時までも避難所暮らしは続けられまい。
避難所暮らしがどういうものか。3年前、毎日のように通っていたから実情はよくわかる。誰にも、何処にも“悪意”は無いが、支援物資で食いつなぐ日々。それは人間の尊厳が損なわれた場所なのだ。
県営住宅、市営住宅の空き部屋への紹介が始まっているという。民間でもアパートを持っている人から無償提供の申し出もあるという。
でも、間に合わないだろう。仮設住宅の検討がされているという。
東北。仮設住宅の劣化が激しい。もともと「仮設」とは2年間もてばいいようなつくりだ。
業者によってもつくりが違う。間に合わせの応急仮設。そこでの暮らしが4年、5年となるとは誰も予測してなかったろう。
溶岩流で被災した伊豆大島。流されて地域は、おおくがあの時のままだ。瓦礫は残っているし、全くの更地のままのところも。
仮設は、物理的に住めなくなるところなのだ。劣化して。
我が家の周りは今、除染が盛んに行われている。やっとだ。剥ぎ取った土は「フレコンバッグ」に入れられ、地中に埋めるのが通例。
たぶん、2~3年でそのバッグは劣化する。破れる。線量の多寡の問題ではなく、劣化が常につきまとっているということ。
公有地であっても、善意で提供された土地であっても、そこに野積された真っ黒いフレコンバッグの山。やはり経年劣化ということなのだろう。
破れだしているところもある。
黒い汚染土の山を見ながらの日々。それを異状視していた感情も、やがて慣らされ“劣化”され日常の光景として受け止められることになるのか。
解決策は「中間貯蔵施設」ということにしかならないのか。
すべて、「致し方ないこと」とする以外にないのか。
多分、1Fの原発施設も、どこかで経年劣化を起こしていたのだろう。40年の耐用年数。
劣化に気づいていた人もいる。会社は劣化を認めてこなかった・・・。
人間だってそうだ。老化とは劣化のことだ。特に身体能力という点では。
食い物に気をつけ、「適度な運動」をする以外に劣化を止める、遅らせる手立ては無い。
日々、広島の惨状を見るにつけ、傍観者にしか過ぎないが、激しい脱力感と無力化に襲われる。
政治の劣化。この3年余り、もう、いやというほど見聞きさせられてきた。その劣化防止策は見つからない。日々嘆いていても「致し方ない事」だとは十分承知の上で。
2014年8月25日月曜日
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