2014年8月30日土曜日

福島の「これから」・・・

テレビを付ければ、新聞を開けば、政局話に花が咲いており・・・。
石破がどいした、人事がどうなる、同工異曲の記事、解説。どうでもいいような。

一つだけ気になる言葉。石破が言った「組織人だから総理の意向に従う」。政治家って国会議員って組織人なのだろうか。政党には所属している。政党とは組織か。

この言葉から何を連想しても「国民」という思考は伺えない。政党の所属しているからといっても、選挙で国民に選ばれた個々人であるべきなのだと。
せめて政党人だからとうならまだしも、組織人というアイデンティティーに埋没した感覚が理解しがたい。

どこのマスコミを見ても、復興大臣や環境大臣の名前は出てこない。福島にとっては、その任に当たる人が「クソの役にも立たない」人物であろうと、どういう人がなるのかが気になるところなのだが。

すでにして、福島はさほど眼中にも無いということの裏返しなのか。

明後日にも県知事が、これもまったくわけのわからん奴だが、官邸におもむき、中間貯蔵施設の受け入れを正式に表明するらしい。

なんかずいぶん「まわりっくどい」手を使ってきたもんだ。今さらながら思う。

中間貯蔵施設の建設が決まる。国から3010億円、県も数十億円。復興拠点づくりに何億円。

貯蔵施設が出来上がったら、たぶん、その建設は“急ピッチ”で進められるだろうが、数年後には搬入だ。
仮置き場に“放置”されたままの黒い袋の山。それを運び込むのに10トンダンプが何千台、何回往復するのだろう。すでにしてフレコンバッグは“破損”し始めている。ダンプがたとえば国道288号を通る。その他の国道、県道を走る。道路の舗装は破損するだろう。

その過程で、なにかと「問題点」が生じるはず。
中間貯蔵施設を作らねば黒い袋の山は無くならない。だれもそのことはわかっている。わかっているが「新たな問題」に直面することになる。

県知事は最終処分場の県外設置を、あらためて国に確約を求めるという。国だった「そうします」というだろう。“確約”するだろう。だけど、その目途はどこにも無い。引き受けるところは無いはず。指定廃棄物の処分場ですら、大もめに揉めているのに。

皆、本心ではわかっているのだ。大熊、双葉が結局は最終処分場になるということを。それを口に出せないだけで。

9月1日。それは福島の新たな混乱の始まりかもしれない。

数年後には、国は「除染」から手を引くだろう。無尽蔵に「カネ」を福島につぎ込むわけにはいかないのだから。

すべて、国家を軸にした大ペテン劇が始まるのだ。

福島は黙って受け入れるしかない。諦めるしかない。

大熊、双葉の復興拠点構想。新たな街づくり。

そこに、拠点とされたところに田園の光景は蘇るのか。

住民が避難した場所。そこで「泣いている」のは「土」だ。田畑は手入れを怠れば、その「価値」が無くなる。3年も手つかずでいた土地。そこを復元できるのか。

無理だ。

手入れされない「土」は悲鳴を上げている。土地が傷ついたということは、そこから生み出されていた作物が無くなるということだ。単なる放射性物質の飛散と言うことだけではない。傷ついた土地、土。海。それは、「食」ということから考えても、人間そのものの在り様を傷つけてしまったということだ。

「土」を蘇らせないかぎり復興なんて言葉は無意味だ。

だから、その地を捨てざるを得なかった人たちの、言い知れぬ苦悩があるのだ。

そんなことを含め、中間貯蔵施設の建設は、新たな苦悩の始まりだ。
これからの福島はどうなる。それへの問いかけが始まるということなのだ。

政局報道にうつつを抜かすマスコミたちよ。あなた方は、その使命として、いっときたりとも福島から目をそむけてはないないのだ。

妄語です。ご寛容にて。

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