2015年6月17日水曜日

「同族会社の社長としての安倍」という“喝破”

「憲法の解釈を閣議で決定するのは、同族会社の会議のようなもの。百家争鳴になっても一番偉い社長や会長の鶴の一声で決議されてしまうのと同じです。
現在、国の存立と国民の権利にかかわる明白な危険とは何か。
それは一番偉い最高責任者であると言っても過言ではありません」。

新聞の投稿欄に作家の森村誠一が寄せた一文だ。彼はもう82歳だとか。

この“喝破”、きわめて明解なりやと思うのだけど。皮肉を込めた正解なのだ。

安保法制をめぐる、集団的自衛権をめぐる国会の動き。自民党の議員のほとんどは“同族会社の社員”なのだ。
その“会社”は安倍が創業者でないにも関わらず。

“社員”も安倍が採用した人達では無い。3割の選挙民が推したものなのだけど。

「我が国」「我が軍」「我が党」。この「我が」という言葉。まるで自分の“所有物”のように聞こえるではないか。我が党は我が社なんだろう。

社長のご機嫌を損なわないように、あれやこれやと言いつくろう幹部社員たちと思えばわかりやすい。

でも、事は一社云々を越えているのだ。憲法と言う最高法規をめぐる問題なのだ。
にも関わらず、永田町に巣食う「同業他社」たちは、本質論をそっちのけにして、小手先の“方法論”のような、修正なんてことを言いだす。
この法制を巡っては国の根幹にかかわることにあっては“修正”なんていう国会の“習性”は存在しないはずなのだ。

同業他社、同業団体として、安倍会社の提案に対してイエスかノーかしかないはずのことなのだ。

憲法学者のほとんどが、「違憲」だとした法案。それはもっとも重い提起なのだ。
その時点で、この法案は「終わっている」と見るべきなのに。

平和のための戦争と言う。そんな勝手な屁理屈は無い。戦争が平和をもたらすわけが無い。
そもそも憲法とはだけではく、そもそも平和とはという本質論にも及ぶのだ。

戦争に前方も後方も無い。戦場に前方も後方も無い。敵からすれば、すべてが敵なのだ。

戦国時代の戦だってそうだった。桶狭間だってそうだ。後ろから攻めた方が勝つ。退路を断ち、帰る道を閉ざした方が勝つ。それが戦略だった。

戦時中、孤立した太平洋の島嶼。あらゆる物資が欠乏していた。そこに向かう輸送船をアメリカは徹底的に攻撃して壊滅させた。
正面よりも後方を叩いた方が得策だったのだ。輸送船には反撃能力が無い。

その輸送船には物資だけではない。兵力も乗っていたのだ。

戦時中の本土攻撃。その目標は「兵站」を叩くことだった。主な目標にされたのが軍需工場だった。そこはことごとく攻撃の対象であり、焼失の憂き目にあった。

郡山大空襲と言うのもあった。そこにあった保土ヶ谷化学の工場が軍需工場とみなされ空襲されたのだ。

後方の方が、支援する方が襲われる危険は大なのだ。
集団的自衛権の行使は後方支援。そんな「理屈」は歴史に照らしても現実に即さない。

平和の祭典、東京オリンピック。それを招致するために、東京の“後方”にある原発事故現場を「隠した」。アンダーコントロールされていると言って。
しかもその「コントロール」は最高指揮官が為したものでは無い。東電に任せきりの事。

「安保会社」を創業したのは祖父だ。二代目はあまり家業に熱心でなかった。創業家三代目がその「再興」を図ろうとしている。
そして、その三代目は何とも目立ちたがり屋のお坊ちゃまなのだ。何をしでかすかわからないようなお方。そうだよな。「憲法審査会」の開催まで止めろと言うくらいなんだから。
「我が国」の面目躍如なりってことか。

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