2015年6月26日金曜日

「高株価」と「高齢者」と

なけなしの金を持って固定資産税の滞納分を払ってきた。その“余韻”かな、
そんなぼやき節。

株高 投資マネー膨張。30代トレーダー2億円の利益。60代 売却益で定年後の新居。

昨日の新聞に、昨今の新聞にも踊る見出しだ。

株価は高騰している。日経平均2万円を上回る。ITバブルの再来だと書く。アベノミクス長者だとも書く。

奇妙な幻想に捉われる。日本中が金持ちになっているというような“錯覚”に陥る。そして自らの「落ちこぼれ感」にさいなまれる。

株は持っていない。興味も無い。相場に興味も無いし、もともと株を買う資金も無い。

「株で儲けた」という友人の話を時々聞くことがある。それとても「他人事」だ。

株価の動きを伝えるテレビのニュースでは、兜町にいる高齢者の姿が度々映る。
儲かった、儲かったという嬉々たる表情の人。

高齢者は金持ちだと言われている。その資金を云々という論評もよく聞く。
他人様の懐のことはわからないが、れっきとした高齢者の一人である僕は「カネが無い」。

基本的には年金暮らしだ。“ベースロード電源(笑)”。
その年金は比較的高額なのだとされてはいるが。介護保険料などを差し引いて手取り月約20万円。
年金暮らし、これって8割方の高齢者の姿ではないだろうか。
大金持ちや株で儲ける人は残りの2割あるかないかでは。

株価高騰の「明るいニュース」が報じられる面を繰ると介護保険料を払えない高齢者が増えている。未収が270億円以上だと書かれている。
保険料滞納者にはペナルティーがかかると書いてある。

どっちも社会の「実相」だ。そのはざまで僕は戸惑う。

株主総会時だ。数億円の報酬とか退職金の話しがニュースを賑わす。画空ごとだ。

10年程前、ある会社でこんなことを話しあった。「会社って誰のものですか」と。

社長のもの、社員のもの、株主のもの、社会のもの。

全員の答えは社会のものだった。

昨日は電力各社の株主総会だった。
再稼働反対を訴える株主提案はことごとく否決された。

会社が「株主」と“認定”しているのは、会社提案に賛成する人達。もちろん個人投資家だけではないが。

つまり株価が上がることを期待している人達。その場の雰囲気は「会社は株主のもの」にすら見えたということ。

日本創成会議では「高齢者の地方移住」が目玉政策とされている。甚だしく疑問だ。

どこか原発避難者の話と重なる。

高齢になって移住するという事。まったく違う環境に身を置くということ。
もはや基本的には「生産人口」ではない高齢者を受け入れた自治体はどうなるのか。どうするのか。そして本人たちは。
それが“地方創生”に寄与することなのか。

高齢になって見知らぬ土地に住み、そこに馴染めるのか。車を運転できなくなった人はどう日常を送ればいいのか。
少なくとも馴染めない環境は高齢者にとって居心地のいいものでは決して無いはず。

言葉は悪いが「高齢者という“棄民”」だとも思える。

株には興味は無いし、それに手を出せる才覚も無い。株価の動向は経済指標の一つとしての関心はあるが。

なんでかきょうはぼやき節なんだ。
体が老化を訴えているからか。老いとは「肉体の問題」と「カネの問題」との対峙と葛藤だとの思い。

でも・・・。

思考だけは貧困になるなよな。金持ちをやっかむなよな。
「倚りかからず」なんだよな。くよくよするな「馬鹿者よ」、なんだよな。

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