2015年6月6日土曜日

「先生」が「センセイ」を叱るの図

学者さんたちはおおむね大学などで教鞭をとっている。「先生」と呼ばれる立場だ。その先生3人が国会の場で安保法制についての政府の解釈改憲を「違憲」だと言った。

180人もの憲法学者、先生が「違憲」だという声明を出している。

およそ国会議員から始まって、県議、市議、果ては町村会議員に至るまで、「センセイ」と呼ぶ習わしがこの国にはある。
その始まりがいつの頃からだったのかは残念ながら知らない。
国会議員を「センセイ」と呼ぶ習わしの世界に長い間巣食って来た。最初から違和感これあり。自分ではセンセイと彼らを呼んだ覚えは無い。せめて選挙で生まれた議員、国民の代表ということで「選生」と書くならまだしも・・・。

センセイがたはお互いをもセンセイと呼び合う。まさに噴飯ものだけど。

「あなた方がやっている解釈改憲なるもの、それは憲法に違反しているのですよ」と先生がセンセイを叱った。
叱られたセンセイは開き直る。

「集団的自衛権行使を憲法解釈の変更で容認することは“立憲主義”を否定していない。解釈変更は行政府の裁量の範囲内だ」と。

これは防衛大臣のお言葉。その他の政権に与する人たちも「先生」に難癖をつける。

ちょっと待ってよ。あなたがたセンセイ達は学校教育にも口をさしはさみ、道徳の名のもとに「先生の言うことを聞きなさい」とさせようとしているじゃないの。

「解釈変更は行政府の、内閣の裁量の範囲」だ。それこそ憲法で言う「三権分立」の趣旨に反している。

もともとアナタがたセンセイにそんな権利は与えられていないはずだ。

なんでそんな思いあがった考えが生まれてくるのか。そう、あなた方が担ぐ総理大臣サマが「専制」君主を気取っているからだ。

昨日、「振出に戻そうよ」と書いた。

以前には「知憲のすすめ」ということも書いた。

そもそも論、原点に立ち返った論議をしようよということだ。

違憲立法審査権というのが最高裁には付与されている。裁判官は憲法学者ではないが、少なくとも憲法についても「熟知」しているはずの人だ。

言っても聞かないのなら、先生は最高裁に提訴すればいい。

ところが問題なのは、その最高裁の判事たちだ。違憲の判断を「高度な統治行為論だ」として判断を避ける可能性は大なのだ。

その判事さんたちの任免権は、建前としては衆院選挙の時の選挙民の判断に委ねられていることになっている。しかし長官は総理大臣の指名だ。

内閣法制局の長官人事も総理大臣が握っている。

極論すれば「意のままになる人物」ということにもなる。

「センセイ」たちがいかほど憲法について学んできたか。「先生」の意見を排斥するほどの“知見”を有しているのか。

無い。

挙句、「先生」の人選を間違えただの「場」や「時期」を間違えただの、国会の中だけに存在する、まさに“国会対策的手法論”が、手続き論的なものが持ち出される始末。
「自公合意」の時に見られた小手先細工のつじつま合わせが「正論」だといわんばかりの。

センセイがたよ。もはや観念したらいかが。専制君主よ、身の程わきまえたらいかが。

センセイ方が“校則”に違反しているということ。

そもそも「センセイ」などという“敬称”を彼らに与えたことが間違いなのかもしれないな。時には官僚どもから“揶揄”としてその呼称が使われていることをご存知か。

「せんせい」は「先生」だけでいいのだ。

違う意見は聞く耳持たない。それが民主主義と言う名の国の中でまかり通っているという「不思議な国のアリヨう」。

敢えて付言しておく。

憲法のよって立つ理念である立憲主義をも否定するならともかく、 立憲主義のもとでは、国家権力の裁量の範囲は憲法によって制約されているということ。
今、政府が言っているのは「政府が決めるから、国民は任せなさい」という専制的論理。“裁量”ということで済まそうというなら、その姿勢自身こそが憲法違反なのだということを。

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