事務所に来るとポストからはみ出しているチラシの数々。寿司屋かピザ屋から始まって・・・。必要な郵便物が埋没している。
殆ど見ないでゴミ箱へ。すぐに一杯になるゴミ箱。
新聞の折り込み。以前よりは減ったようなものの、不動産物件物や家電量販店の物など。絶対買わないもののチラシ。そしてスーパーのなんとかデー。
切ってメモ代わりにしようにも両面印刷。紙が良すぎて便所紙にもならない(笑)。
読まれないチラシや哀れ。
聞くところによると資源回収でもチラシの類は困るとか。新聞紙なら古紙回収、リサイクルってことらしいけど。
燃えるゴミの袋の中へ。かくてゴミが増える。生ゴミではなく紙ゴミが。
大いなる無駄、資源の無駄。
そして無意味とさえ思える広告手法。寿司の出前はとらないよ。ピザの出前もとらないよ(爆)。
紙資源の無駄遣い。燃やされるゴミ。一枚5円で半ば強制的に売られる買い物袋、レジ袋。駅中食品館ピボット。エコの名の下に。紙と石油精製品では出る一酸化炭素の量が違うってことなのか。レジ袋、買い物袋は再利用可能。チラシは無理。鼻もかめない、尻も拭けない。
無駄排除と無駄横行と。身近に気づく変な光景。
2011年2月9日水曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
「黙食」の記憶
敗戦後,転々と居が変わり、落ち着いたのが初台の家だった。 食糧事情がやや良くなり、一家は丸い卓袱台を囲んで夕餉をとっていた。 “家長”は祖母だった。 「ご飯は黙って食べなさい」が家訓のように言い渡されていた。 隣に座っている弟は奇妙な特技の持ち主だった。 ...

-
1945年6月6日。沖縄根拠地隊司令官の太田實中将は本土の海軍次官に宛て打電した。 “本職の知れる範囲に於いては、県民は青壮年の全部を防衛召集に捧げ、残る老幼婦女子のみが、相次ぐ砲爆撃に家屋と財産の全部を焼却せられ、僅かに身を以って軍の作戦に差し支えなき場所の小防空壕に避難、...
-
東日本大震災から8年だ。毎年考えて来たのが「復興」という言葉、その事象。 未だもって、「復興」を言う言葉には“わだかまり”があり、自分の中で“消化”されていない。納得できる“回答”を持っていないのだ。 今も「3・11」は続いている・・・。 勤労統計の“偽装”は、この国の根...
-
1945年、沖縄戦で最後の司令官だった大田実海軍中将は東京の海軍次官に打電した。 「沖縄県民斯く戦えり。今後、格別の高配を賜らんことを」。 そして、彼は自死した。 その後の沖縄の変遷。国は沖縄県民に対して“高配”があったのだろうか。 在日米軍の基地が70%沖縄に置かれて...

2 件のコメント:
亭主さま
我が家では朝日新聞配達店に市の広報以外の折り込み広告は入れないように頼んでる。スーパーや家電量販店の「セール」を見逃すことあるけれど・・・。
ご近所の住民で独自の資源回収運動として新聞紙、厚紙(チラシ、菓子箱、化粧箱)、段ボールは分別して回収業者に有料で買い取ってもらっている。貯まったお金で懇親会などして。
tacoさま
なるほど。こちらは新聞紙は町内会費の充当らしい。恩恵なし(笑)。あとは「子供会」用の回収も月一あり。近所で・・・。こっちでは難しいかな。
コメントを投稿