ニュージーランドの地震。多くの被災者、死者、不明者。なんとも言いようがなし。一人でも多くが救出され、早く復旧することをあらためて祈るのみ。
倒壊したビルのガレキの中にいるであろう人達。たまたまあの場所にいた。たまたまその席に座っていた。被害者本人に何の意思あろう。
人生は往々にして、生死は往々にして「たまたま」に左右される。日常生活でも味わう「たまたま」な出来事。出会い。それを偶然というのか、運が悪い、運がいいと言うのか。
人はたまたまこの世に生まれてきたわけではないのに。
地震はたまたまあそこに、あのポイントに起きたのか。そう、たまたまなんでしょう。地震にだって故意は無いはず。
そのたまたまを予測することは不可能。人知及ぶべからず。
地震大国日本。阪神淡路大震災の記憶未だ定かなり。たまたまへの備えいかばかりか。公共施設などの耐震強化率低し。たまたまの不安増す。
たまたま持っていた携帯電話。そのメールが被害の状況や安否を知らせる唯一の手段だった。近代文明の産んだ利器。古代から存在する地震。
不可能であるとは分かっていても「たまたま」を的確に予測する近代文明の術が出来上がること願う。
2011年2月24日木曜日
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2 件のコメント:
亭主さま
良寛は「しかし災難に逢う時節には 災難に逢うがよく候、死ぬ時節には 死ぬが良く候 是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候」と手紙に書いた。
それにしてもマスコミは「72時間」と騒ぎ立て被災者の家族の不安を煽っている。100時間でも生きていてくれ!と祈っている家族がいるのに・・・。
tacoさま
良寛の句は亭主も名言として承知。現実感としてはいささかその極致には至れないと思うけど。
「奇跡」を信じたいけどね。「救援隊にも疲労の色が見えています」なんだいこのレポートは。疲れるのは当たり前だろが。
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