昨日の話の続きです。結婚式の。
神宮外苑のイチョウの樹。落ち葉はまだ数葉。前日の雨に打たれ、歩道を歩く人に踏みしだかれて地面にこびりついていました。
本格的な落葉はこれからなのでしょう。木々は緑でした・・・。
新婦の名前は「さやか」ちゃん。ニックネームは「さやん」と言うそうです。
驚きました。この新郎新婦。当初の披露宴の予定は3月12日だった。前日の3月11日。午前中に区役所に行って婚姻届を出していました。そして翌日の準備をしていたところに震災・・・。
この夫婦の結婚記念日は3・11です。喜びと悲劇と悲しみと苦しみをすべて味わった2011年3月11日。
さやかちゃんは福島県でアナウンサーをしていた時に、フラダンスと出会いました。そのころフラガールの映画がヒットしていたからでしょうか。
当時在籍していた女子アナ6人で「KFBフラガールズ」というのを結成しました。仕事が終わった後、皆で集まって先生招いて練習をしていたみたいです。
かなり難しかったらしい。
念願かなって(いや、当然“談合”もあったでしょうが^^)、いわきの常磐ハワイアンセンター、古いかこの呼び名。スパリゾートハワイアンズのステージに立ち、本職のフラガールと共演しました。その番組もありました。
思い出すに、さやかの(いつの間にか呼び捨)入社時の履歴書に趣味は三味線、日本舞踊と書いてあったような気がします。
きのう配られた席次表。そこには、趣味フラダンスと書いてありました。東京に戻ってからもフラダンスの教室に通っていたようです。
披露宴の余興がそのフラダンス。北海道や名古屋に行った当時の同僚の女子アナも参集。フラガールズ“再結成”。
ドレス姿で踊る新婦の目には大粒の涙が・・・。
いわきのハワイアンズ。復興のシンボルです。そして、被災したフラガール達は避難所を回り、回り。笑顔を見せながら、自分たちの悲しみや苦しみを微塵も見せずに被災者たちを激励し続けてきました。
披露宴会場のステージで踊るフラダンス。KFBフラガールズ。彼女たちには単なる余興ではない、もっともっと秘めた深い、強い思いが込められていたような。
列席していた人たちに彼女たちの思いが伝わってくれたらいいなとしみじみ感じ入っていた次第。
お約束の祝辞をやってきました。新郎の名前が幸司くん。幸いという字が入っています。新郎の来賓あいさつでも「お幸せに」という言葉がありました。
新郎・新婦に聞きました。「幸せかい?」って。もちろん二人とも幸せですと答える。「どういう字を書く?」と聞く。はい、亭主は意地悪です。
「幸福の幸です」と答える。
幸という字は漢字。中国から来た字。日本語では、日本の字では「仕合せ」と書く。仕という字の意味は為る。為るを合わせる。仕え合わせる。支えあうという意味にもなる。転じて、仕合せという字の本来の意味は「めぐりあわせ」ということ。
そういう「仕合せ」になってくださいと。
仮設にいる人たちへのメッセージも込めて。
震災や原発の話もちょっとしました。そしてまたクソ爺の余計なひと言。
俵万智に有名な句。「寒いねと語りかければ寒いねと答える人のいる暖かさ」。
そんな夫婦になってくださいと。
仮設で孤独死が出始めています。寒い東北の冬。語りかける人のいない仮設での独居生活。何を言っても答える人のいない日々の被災者。そんな思いが亭主の頭から常に抜けないからでしょうか。
せめてこの夫婦、3・11に入籍した夫婦。暖かさだけは持ち続けて欲しい。
不自由な体なれども東京駅を走り新幹線に飛び乗った亭主。車内は寒かった。隣席に話かけるわけにもいかず。
「分かつべき人がいるのは幸せと、あなたは強く言っていた、3・11結婚記念日」。新幹線の中でふと思いついた”ぱくり”。サラダを食べるの忘れてた・・・・。
2011年11月14日月曜日
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