国賓として来日中のブータン、ワンチュク国王。その国会演説をきょうユーチューブで見た。書き起こしもネットで見た。
人口七十万人。ヒマラヤの小さな国。GNPではなくGNH、国民総幸福度を大事な指標にする国。
素晴らしい演説だった。
東日本大震災に触れて、「このような不幸から強く立ち上げることが出来る国があるとすれば、日本と日本国民だ」。
日本人の誇りをかきたて、希望を与える言葉。日本の指導者からは聞いたことが無い。
ヤジと怒号しか聞かれない国会の本会議場。たしかに多くの議員が聞き入っていた。演説が終わると総立ちで拍手。中には励まされた議員もいたかもしれない。そして、国賓だけに催される晩さん会。これを欠席して政治資金パーティーの出て、ネタ話にしていたバカな閣僚もいる。
演説で国王はこうも述べている。
「我々ブータン人は皆様とともにあります。我々の物質的支援はつましいものですが、我々の友情、連帯、思いやりは心からの真実味のあるものです」。
震災後すぐに八千万円の義援金を送ってきてくれた国。そんなに豊かな国では無いはずです。財政的には。震災後、多くの国民が寺院に出向き、大震災の犠牲者に祈りをささげたという国。
「ブータン人は何世紀も続けてきたように人々のあいだに深い調和の精神を持ち、質素で謙虚な生活を続けています。
今日のめまぐるしく変化する世界において、国民が何よりも調和を重んじる社会、若者が優れた才能、勇気や品位を持ち先祖の価値観によって導かれる社会。そうした思いやりのある社会で生きている我々のあり方を、私は最も誇りに思います」とも。
天皇陛下は、このブータン国王の来日を心待ちにしていたのではないだろうか。
自らは口に出来ない思いをブータン国王なら言ってくれるのではないかと期待されていたのかもしれない。
ブータン興王の言葉は天皇陛下と同じ思いではなかったのだろうかと思ってみたりする。
病と得られた天皇にとって、会見が出来なかったことが一番心残りなのではないだろうか。
かつて日本人が大事にしていた言葉。「知行合一」。それにも言及した。
日本人が最初にブータン王国に入ったのは昭和33年だという。国交樹立して25年。
西岡さんという農業研究者が、大根を植え、収穫し、食糧自給率86%の国にする礎を築いたという。その日本人への「恩義」を絶対忘れないというブータン国民・・・。
昭和天皇が崩御された時、「弔問外交」が交わされ、多くの国の首脳は日本からの経済援助を求めた。そんな中、弔問に訪れたブータン国王はこう言ったという。「私は弔意を示しに来たのです。金を無心に来たのではありません」と。
今頃、相馬市で小学生と歓談しているのかも。被災した人たちに国王が与えたメッセージの意味は大きい。
それにしても・・・。なんで・・・。
こんないい演説を既存メディアななぜきちんと伝えないのだろう。NHKは中継すべきだった。新聞は演説全文を掲載すべきだった。
いま、日本が必要としている言葉をメディアはきちんと伝えないという現実。今の日本人の心の“貧困”を物語っているのか。
2011年11月18日金曜日
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