2011年11月17日木曜日

友あり、遠方より行く・・・

きのう、東京でした。昔いた会社のOB会。記者とカメラマン。高齢者ばかりです。
場所は東京六本木。昔の通称テレ朝通りからちょっと入った会館。麻布霞会館。よく歓送迎会などで使っていたところです。改修されていました。昔の面影無し。迷って到着。

六本木界隈。六本木ヒルズなるものが出来て、再開発がされて、町のたたずまいは一変しています。テレ朝があった場所は大きなホテルが建っており、テレ朝通りの建物もほとんど変わっており。馴染みだった店はことごとく無く。

何十年も寝ずに働いた地。面影はありません。道が無かったところに道が出来、あったはずの道が無くなっている・・・。

「ここは俺の居たとこじゃないよ」。都市は変貌するもの。致し方ないこととはいえ、無情です。故郷が無くなった気分です。

ふと連想する原発20キロ、3キロ圏内。何年か何十年後には、町は消え、面影は無くなってしまうだろうということ。事の本質は別にして・・・。

OB会。歓迎されました。

「お、放射能運んできたか」と言って固く手を握ってくれた先輩。思いっきりの笑顔で。震災後、電話が通じない時にいち早く手紙をくれた先輩です。

震災後、二度にわたって「支援物資」を送ってくれた先輩も。「来てくれてありがとう」と。

思い出話に花を咲かせ、近況報告。「地震で家は損壊し、放射能騒ぎでいろいろだけど、かえって楽しくやってます。ここにいる皆さんはもう老い先短い。米や野菜はいくらでも送ります。美味いもの食べてください」と亭主毒舌。
そうなんです。この頃の時代の人たちは皆毒舌なんです。毒舌の下に優しさがある世代。

「大変だったね」とねぎらい受けるのが面映ゆいくらい。

三河島事故、鶴見事故と多くの死者を出した事故の現場を撮影してきたカメラマンかとは、今度の震災津波で、死者を写さない、放送しないことの是非論も交わされ。

OB会の前に、近所に稽古場と住まいを持つ、地唄舞、神崎流の家元と旧交を温めました。古い木造家屋だった稽古場。耐震構造にしなくてならないという「おふれ」で、鉄筋構造の家に建て替えたとか。多額の借金をして。
高層ビルの下で暮らす昔からの住民はなにかと住みにくいとか。そのお家元、阿川佐和子さんと中高同級生とか。二人でトークショーやって収益を被災地に寄付したそうです。

都心の再開発。見るたびに違和感を覚えます。林立している巨大なビルには恐怖を感じます。町並みは変わるものとはわかっていても。

東京は秋晴れ。無風。とんぼ返りした郡山は風は吹き、気温低く、雨も・・。
まさに物理的温度差。

夜は「日本酒道会」の秋の例会。春は震災の影響で中止になっていたもの。そういえばOB会も当初は3月末に予定されていた・・・。延期物件、同じ日に二つ。昼はビールで夜は日本酒。さすがにきょうは・・・

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...