2011年11月27日日曜日

「被災者に元気をもらう」ということ

今夜はサッカーオリンピック最終予選のシリア戦。勝ってほしいけど。

そろそろ終わりに近づいたJリーグ。ベガルタ仙台が5位以上を確定させたとか。リーグ開始時は11戦連勝だった。J2に降格していたチーム。被災県のチーム。

かつての友人にネットのハンドルネームを「ペガサポ」と付けていた人がいた。
初めは何のことかわからなかったが、書いている内容を見るとサッカーのことがほとんど。そこで判明。ベガルタのサポーターの略だったことが。

J1チームーを持つ仙台が羨ましいと思ったこともしばしばあり。野球の楽天もあるし。こっちには何にもないや(笑)。

そのベガルタ仙台の監督が言っている。被災した選手もいる中で、全力を引き出すことは難しかった。そのためにしたことは被災者との触れ合い。瓦礫を片付けたり、子供たちと球をけったり。「立ちあがろうとする人の姿を見たら、元気をなくしてる場合じゃないと思った」と選手達は思ったという。

被災した人達に元気を貰う。貰った。このサッカー戦手達。もちろんベガルタだけではなく、他のスポーツ選手も、慰問に行って逆に励まされてきたと感じた人達・・・。

多分、ボランティアに行った人達もそうだったんじゃないかと思う。避難所に行ってその実態を見て、励ましに行ったのが逆に、まさに逆境にある人からもらってきたものが多いという。

励ましとか元気とか。強者が弱者に与えるものではない。むしろ弱者からもらえるもの。

被災者、避難民。「可哀そうな人」という一語でくくる向きもある。たしかにその生活は気の毒の一語に尽きよう。しかし、一語で括っての弱者や被災者ではない。
その中に身を置いてみると学ぶことがいっぱいある。「俺なんかまだまだ恵まれているのに」。そう思うともうちょっと何か出来ないかと考えたりする。

ベガルタの監督は言う。「リーグ戦が終わったら、選手を集めて被災地に行きたい」と。

絆というものがあるのだとすれば、たぶんこういうことなのかも。

被災地の人の力は実は凄いのだぞ。そうかんじる時がしばしばある。そして、改めてそれを実感した次第。

原発被害農家の人が語っていた。都会に住む人達に訴えたいこととして。「食べ物も労働力も電力も、みなさんの生活は福島や東北によって成り立っていることに思いをはせてほしい。私たちは長い時間をかけて冷害を克服しながら、何とかここまで農業を築き上げてきた。荒れてしまったこの農地を見てほしい。せめて、事故がもたらしたこの状況を皆で共有しよう」。

これからのキーワード。それは「共有」なのだとこれまた再認識。

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