2012年11月1日木曜日

“ビッグパレット”のこと


原発事故後、県内最大の避難所は郡山にあるビッグパレットというコンベンション施設だった。

あれから600日余り。きょう11月1日。当時半壊状態のようであったビッグパレトが修復工事終わり、完全に再開された。

秋の陽光を浴びて威容を誇っているかのように見える。空から見てください。その隣には“百軒長屋”のように仮設住宅が並んでいる。

復旧された施設にも、“復旧されない”住環境の人達にも、秋の柔らかな日差しは“公平”に降り注いでいる・・・。

去年の3月、4月、5月、6月、7月・・・。段ボールの仕切りだけで作られた、作った棲家。靴のまま人が歩きまわり、館内は常に埃に満ちていた。
そこに居るしか仕方がない。そこ以外に行き場が無い。無言のまま、一日寝ころんで暮らしていた人達の、口には出さない無念と恨みの声が今でも聞こえるようだ。

人間が日々を過ごす場所ではなかった。当初は食べ物にも不自由していた。

ふと思った時がある。犯罪を犯して留置所や刑務所に入れば、少なくとも三食には困らない。犯罪者で無い人が食べることに困っている。不条理だという言葉だけでは語れない。おそらく人間としての尊厳がことごとく奪われていくような光景。
唯一違うのは、“自由”が許されていたこと。あったこと。それも単に動き回るだけの。表に出るだけの。煙草を吸いに出るだけの。会話と通信の自由だけだったかも。

もう、あんな光景は見たくない。

「防災計画」が30キロ圏で言われている。避難所が見つかったとしよう。そこまで行きつけたとしよう。でも、そこにある光景は・・・。

ビッグパレットの中の管理事務所は、わずかの坪数の町役場であり、村役場であった。人がごったがえしていた。
廊下の壁にはいたるところに安否確認含め、お知らせ含め、所せましと張り紙が。入口の扉にはペットレスキューの案内が・・・。

館内にペットは入れない。車の中で寒い夜を過ごしていたペット。自転車置き場を使ってのペットの収容場所。ケージに入った、つながれたペット達は、人をみれば泣いて出してくれと言う。あるいは怒っている。具合の悪い子は寝たまま・・・。支援物資の食糧は置いてあったけど。

時々視察が来る。来ては疾風のように去っていく。東電の社長も謝りに来た。誰が何をしても、状況は変わらない。

そして、人は、その環境に馴らされていく。家畜人ヤプーを思い出す。それはストーリーとしての物で無く、暗喩として語られている“差別”・・・。

しばらくして自衛隊による風呂が出来た。皆喜んだ。でも狭いし、気兼ねもある。何人か知り合いになっていた。一人の人に声をかける。「郡山には温泉がいっぱいある。案内するから温泉行こうよ」と。「いや、自衛隊さんの風呂に入るよ」と答えが返ってくる。すでにして、その場は、慣れ親しんだような棲家、我が家になっていたのかもしれない。

写真を撮ろうと思ったこともある。でも、やめた。この光景は、この人達の事はボクの頭の中に、はっきりとした「記憶」として残すべきだと。ボクの頭の中に「記録」すべきだと思ったから。ボク個人としては・・・。

仮設が出来て皆移った。借り上げにも移った。役場も他に移動した。ビッグパレットの中庭広場にあった狭いプレハブだったものが。

仮設に移ってからも、知り合いの何人かが亡くなった。まだ人が戻れない、戻らない墓に安置されていると言う。「お盆と彼岸だけはお参りするけどさ」と家族は言う・・・。

断片的なビッグパレットの“思い出”。昨夜も学会のようなものがあったらしい。多くの人が全国から来ていたと言うが・・・。仮設に目が行ったのだろうか。

数日前、何を思ったか「古典」のことを書いた。徒然草を書いた。きょうは「古典の日」だという。何とかという日を作るのがどれだけ好きな国民だろう。
天声人語が書いていた。更科日記と源氏物語、そして徒然草を。
「ひとり燈のもとに文を広げて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなり」と引用して。

古典を引くなら、やはり「方丈記」であろう。「大地震(なゐ)ふること侍りき」の段であろうと。

あらためて考える。あそこに居た人達にとって、避難をさせられた人達にとっての「正義」とは。だれも「それ」を口にはしなかったが・・・。

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