2013年5月10日金曜日

もう一つの憲法

誰でも知っている。大昔、推古天皇の時代、聖徳太子が作ったという日本で初めての憲法。十七条憲法。
その憲法がいつまで使われていたか、後の時代に“改正”があったのか、その存在するも歴史の過程で忘れ去られていたことなのか・・・。それは知らない。

歴史の教科書には載っているこの憲法のこと。しかし、我々が知りえたのは、自由民権運動の末に勝ち得た明治憲法であり、敗戦を機に作られた現行憲法だけのような気がする。

十七条憲法。官僚や貴族に対する道徳的規範が示されている。その精神は「論語」によるところが大きい。そこに日本人が持っている「和」「環」の精神、話し合いを尽くす政事、まつりごとの要諦が記されている。
その第1条。
和を以って貴しとなし、忤(さから)うこと無きを宗とせよ。人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし。ここをもって、あるいは君父に順たがわず、また隣里(りんり)に違(たが)う。しかれども、上(かみ)(やわら)ぎ下(しも)(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん」。

和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調・親睦の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就するものだ。そんな意味。

原点は論語の学而篇12章、「礼の用は和を貴っとしと為す」にある。

和らぎ、調和。日本人の原点であるはず。「和」の国。「大和の国」の由来も。

今の憲法にも、その精神は流れているものと思う。

十七条憲法の第4条。
「群卿百寮(ぐんけいひゃくりょう)、礼をもって本とせよ。それ民を治むるの本は、かならず礼にあり。上礼なきときは、下(しも)(ととの)わず、下礼なきときはもって必ず罪あり。ここをもって、群臣礼あるときは位次(いじ)乱れず、百姓(ひゃくせい)礼あるときは国家自のずから治(おさ)まる」。

政府高官や一般官吏たちは、礼の精神を根本にもちなさい。人民をおさめる基本は、かならず礼にある。上が礼法にかなっていないときは下の秩序はみだれ、下の者が礼法にかなわなければ、かならず罪をおかす者が出てくる。だから、群臣たちに礼法がたもたれているときは社会の秩序もみだれず、庶民たちに礼があれば国全体として自然におさまるものだ。

この大昔の憲法でさえ、立憲民主主義の要諦を説いている。

改憲を言う人達は、“政府高官”は、今の憲法は遵守しないということか。もう、そんな憲法には従わない、縛られないということか。

少なくとも御名御璽と記された現行憲法。それを守る義務は課せられている。それから逃れることは、それが存続している限り許されない。

憲法13条すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」。
憲法25条、もう何度も書いたが・・・。
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」。

少なくとも福島県民の中に、この憲法の規定から除外されている人達がいるということ。

選挙制度だけではない。国は被災地に対して、家や土地を奪われた人達に対して明らかに“憲法違反”を侵している。

その事に対しての違憲訴訟は無い。集団疎開訴訟なんていう物があっても。

憲法問題についてのメディアの連日の取り上げ方は物凄い。なんらかの意図さえあるように思える。
それぞれの政党の代表が、紙を読み上げ、どっちなんだかわからない主張をお経のように言っていた国会の憲法審査会。

公明党の代表の陳述の時、後ろの席で居眠りしていた巨漢。どんな立場の人かは知らないが、あの映像が憲法論議の一つの象徴のようにも見えた。

なぜか、高校生の時に慣れ親しんだ論語を、あらためて読み返したい心境なり。

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