2013年5月9日木曜日

「東北」は奪われる、限りなく・・・。

昨日だったか、東北は様々な物「中央」に奪われてきた。そういうことを書いた。

たぶん、過去の歴史としてではなく、現在も、将来もさまざまな事や物が奪われていくのだろう。そんな恐怖を感じる。
「奪い」は限りなく続いていくような。

復興予算というのがある。復興庁というのが出来た。復興大臣というのがいる。
もちろんそれらを作ったのは前政権、民主党政権だったが。

被災地東北の復興に国があたる。当然だ。政権がどこだかは関係ない。
民主党政権は復興予算として5年間で19兆円をつけた。安倍政権になって、それに上積み。25兆円になった。
被災地の人達はそれを歓迎し、少なからず“期待”さえもった。

民主党政権の末期、その復興予算なるものが「流用」されている。無関係なところに使われている。大きな問題になった。批判された。

安倍政権はきちんと精査すると言った。配分も各省庁に任せるのではなく、復興庁が一括してその使途を決めるとも言ったと記憶している。

実際に、現地では、それが消化されていない。使うための自治体の体力、能力に限界があるためだ。使われなかった予算は「返納」されるはず。

その「流用」がやはり行われていた。しかも“巧妙な“手口で。なんとか基金というのを使い、溜めこんでおける仕組みを使って。
隠れ蓑を利用しての税金の、国家予算の「隠し口座」とも言いたい。

財務省の仕事は、その予算を各省に配分して終わり。どう使うかは各省の勝手。
それが癒着の構造とあいまって、わけのわからない理屈、理由を捻り出して竹の、およそ復興とは関係ないところに膨大な予算が回されている。

例えば、遠く離れた地域の林道整備、箱モノ建設、その他もろもろ・・。
予算をとってきた自治体も、それを回して貰った人達も知っている。うすうすとはいうけれど。それがもともとは東北の復興のための予算であることを。
知らないふりをする。

一部の有能な官僚、良心のある官僚を除いて、大方の官僚は小ずるい。入省当時からそういうふうにしつけられている。

どこから「カネ」を引っ張り出してくるか。それによってその人達の優劣が決まる。
復興予算であろうとなかろうと関係ない。悪知恵を絞りに絞って、関係業界に振り分ける。それは省益に叶うことなのだから。

安倍ちゃんも気の毒といえば気の毒だ。すべては政権という言葉で括られるのだから。

ずるしゃも官僚は、政権が、経済成長がどうだ、憲法改正がどうだということにうつつを抜かしているのをこれ幸いと「流用」「無駄使い」を平気でやる。

敢えて言おう。明治政府は官僚政府だった。官僚のあるべき姿は民から税を撒き上げ、虐げることも異に介さない。その多くが。

城山三郎の小説とは異なる世界なのだ。

明治政府が行って来た、地方、特に東北からの“収奪”。その気風は今も続いているのか。

東北のための予算が、他の地域の、それも、国のために役立つかどうかわからない事のために使われる。

平たく言えば、東北はその取り分を減らされているのだ。奪われているのだ。
東北出身の閣僚達はどう思っているのだろう。
「厳正に執行するよう指示しまう」。こんな通り一遍の言葉で過ぎ去っていくのかも。

きょうもNHKの被災地の声でやっていた。仮設の実情を。手作りの集会所をめぐる人間模様を。
避難所で温かい汁物をふるまわれたことの“喜び”を味わった人は、仮設の中でラーメン屋を開いた。

支えられたのだから、何かあったらこっちが支える番だと彼らは言う。

そんな民草の声を聞くたびに、その反対側にいる輩の余りにもの醜さに言う言葉も無い。

国が被災地に押しつけてくるがんじがらめの制度ややり方。東北の民はそれに抗する道を探らねばならないはず。

東北収奪、それはこの国の社会システムとして機能しているのかもしれない。
それが終わらない限り、収奪が終焉しない限り、この国を「美しい国」とは呼べない。

“チェルノブイリ”異聞

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