一昨年、郡山市内でも「がんばろう福島」「がんばろう東北」というステッカーを貼った車で溢れていた。たしかにそれらは一つのメッセージだった。
時々通る国道4号。その一角に大きな看板がある。
「がんばっぺ福島」と大書されていた。「がんばっぺ」、もちろん方言だ。方言だからこそ力を貰ったような気になる。
その看板の表記が最近変わった。「負げてたまらんに福島」に。負けてたまらない、負けてるわけにはいかない。
次のステップに進んだんだ。頑張ろうから、負けないぞに。
方言による“発信”。伝わるものがある。何に負けないのか。主語は無い。だからいい。相手を特定していない。そこに自分達も含まれている。
そう、負けてはいられないのだ。国でもいわゆる風評でも、なんでも。全ゆるものが包含されているのがいい。
きょうは塾の日。塾では、震災前まで、「言葉」について話して来た。最初の講義は、「昔、言葉は思想であった」というお題。
時にはコンビニ敬語を批判し、マニュアル敬語を非とした。
「よろしかったですか。なんとかになります」などなど。
そして文化としての方言という話もした。方言にはそこの地域文化があり、伝統や、その地に成り立ちもわかるようなものさえある。
島根県では小便のことを「ダラ」という。会津の特に南会津地方の方言にも「ダラ」がある。
震災後、お水くぐりの聖書。ケセン語に“翻訳”された聖書の話をした。
カトリック信者である医師、山浦玄嗣さんのライフワーク。津波の中を生き残った聖書。入手して読んだ。意訳も含めたケセン語の聖書。その地方の信者にはこれほどわかりやすいものはないのだろう。
ケセン語。それはアイヌ語に由来するとも言う。切り立った崖とか、末端とかの意味だとも。漢字の気仙はヤマト朝廷が漬けたものだとも言う。そして今の気仙沼とは違う、大船渡界隈がケセン地方だったとも。
八重の桜で話題になっている会津弁のことは敢えて問うまい。福島でも会津弁と中通弁、浜通り弁は皆微妙なることも含めて異なる。
歴史の過程で根付いた方言もある。郡山の「ばい」。なんだばい、いいばい・・・。
震災で、その地域でしか使われていなかった方言が、土地の言葉が、その地が無くなることによって「消える」運命にあるという。東北大学の方言学の先生がそれを危惧している。
福島県の南相馬や浪江、双葉では森のことを「エグネ」「カコイ」と呼んでいた。
言葉は使われなくなるとその生命を失う。いくら文献の残しても、それが日常に使われていないと“死語となる。
震災が、原発事故が、方言をも亡くしたと言うこと。
方言は「こころの拠り所」なのだ。
避難した人たちは、避難先で地元の言葉、方言、福島弁を使うことをことごとく避けているという。
いわば「出生」を隠して生きているとも聞く。喋れないから“寡黙”になる。それがストレスとなる・・・。
恐れるな。高らかに喋れ、使え、「方言」を。
「負げてたまらんに」なのだぞ。