新聞の歌壇にあった句。投稿者は福島市在住の女性。
「つづまりは 孤独という名の箱であり
アパート三階十五号室」
多分、避難してきて住んだ借り上げ住宅。知り合いは、家族は・・・。
たぶんいないのだろう。
31文字に書かれたフクシマ点描。“つづまり”という言葉が胸を打つ。
小さくなってという意味の「約まり」なのか、どん詰まりをいうのか、人生の後半に来ての終の棲家をいうのか・・・。
なんにしてもその「無念さ」が、歌に託す以外にない「やりきれなさ」が伝わってくるのだ。
家を追われ、失った人の悲しみや悔しさ。
三階十五号室で、その人は毎夜歌に気を紛らわしているのか。
いや、紛らわしているのではない。
言葉を探し、言葉を紡ぎ、言葉を編んで・・・。
著名な詩人が大声で、多くの人を前にして叫ぶ声よりも、このひそやかな声の方が福島の実相を物語っている。
たぶん、同じ境遇の人が大勢いる。歌は詠めないが同じ気持ちの人もいる。
この「悲しみの人」にどう寄り添えばいいのか。
ボクはこの歌を記憶する。そして、こういう歌が詠まれていることを紹介する。
多くの人に読まれる、多くの人の目に留まる。そう思って投稿したのかどうか。
真意はわからない。ワカンナイ。
歌を紹介することが寄り添いになるとも思っていない。しかし、伝えたかった。
歌に解説はいらない。ただ、それだけを読んでくれればいい。
福島にそういう「歌人」がいることを知って貰いたい。
せめて、その十五号室に南向きの窓があり、この五月の陽光が、他の多くの人と平等に彼女の部屋にも差し込んでいるであろうことを祈る。
テレビのワイドショーは、きょうの大きな話題は陽光から身を守る紫外線カットのグッズの特集だった。化粧品の特集だった。
そんな人達も、もしかしたら“孤独”かもしれない。しかし、その孤独と十五号室の“孤独”とはまったく違う筈・・・。