北朝鮮を“電撃訪問”した内閣官房参与の飯島勲は安倍首相に「報告」したあとこう言ったそうな。
「(自分の)再訪朝は100%無い。老いた68歳の地の叫びはもう終わりました」と。
68歳は大役をこなすには年齢的には限界だということらしい。
80歳の三浦雄一郎がエベレストの登頂に成功した。多くの「お付き」の人達に支えられてのことだろうが快挙と言えば快挙だ。彼は仲間やシェルパへの感謝の気持ちを伝えることを忘れなかった。
どうも世の中は年齢によってその人のやったことの“評価”を決めたがる。
高齢者が何かやるとビッグニュースになるらしい。
飯島は68歳を“限界”と言ったが、“限界”を知らない、わきまえない“暴走老人”は「亡国の論理」を繰り言のようにわめき・・・。
日本郵政の社長には、西室泰三という77歳の“老人”が、とっくに引退したはずなのに返り咲き。
多分、78歳だと思うけど、田原総一朗はテレビの露出は減ったものの、執筆意欲は衰へずか。「40歳以上はもういらない」なんて本を出し、バブルを知らない世代が社会を変えるとのたまっている。
だったらバブルを知っていて、その再来を願っている兜町にたむろする「欲ボケ」の金の亡者はなんと言うのか。
昨日の株価大暴落で、「虎の子の老後の蓄えが・・・」って。株買えるなん余裕じゃないのと言いたくなる。
アベノミクスによる株価上昇、それを「バブル」と名付けるには早過ぎる。バブルはもっと長期なのだ。単なる気まぐれ相場の為せる業とも。
ただ、安倍は「長期にわたる資産バブル」を目論んでいることは間違い無い。
バブル崩壊後の”怖さ“を知っているはずの人達がその再来を願う虚しさ。
歴史にも経験にも学んでいない愚者の群れ。
80歳を超えた元従軍慰安婦が悲痛な体験を語っている。
77歳の憲法学者、樋口陽一さんは「改憲阻止」に身体を張っている。
仮設で暮らす90歳。プランターの土で少々の野菜を育てている。収穫時、「少々の喜び」を味わっている。そして言う。「畑仕事がしたい」と。
100歳を超えた聖路加病院の日野原重明理事長はお元気なのだろうか。
週間新聞「たいまつ」を主宰している秋田県在住のむのたけじさんは多分98歳だろう。朝日新聞を退社したのは「戦争責任」を感じたからだという。
3・11後も彼は積極的に語っていた・・・。この国の在り様を。
高齢化社会という日本。そのなかでの、それぞれの「高齢者」。
いつも見るNHK仙台の被災地からの声。きのうは釜石の鵜住居地区に住む女子高校生が言っていた。
「ここに残ります」と。友達を亡くしたのは悲しいと涙を流しながら、笑顔を取り戻して言う。きっぱりと。
「釜石が、鵜住居が好きです」。
津田アナウンサーは彼女の言葉を「光」だと表現していた。彼女の言葉を聞き、笑顔を見て、ボクはまた東北が好きになった。
瀬川賢一、72歳。後期高齢者まであと数年。何を為し、何を語るべきなのか。
「限界」だとはまだまだ言わないつもり。