一時帰宅した原発避難者の人が言っている。
自分の家の縁側に座って。
「ここに帰ってくるとほっとするんだよな。片づけしていて一銭のゼニにもなるわけじゃないけど、ここにいるとほっとするんだ。なにせご先祖様から譲り受けて住んでいたところだからな」
除染で庭の表土を剥がされることになるとう人が言う。
「いくら賠償金貰ったって、この庭の草木も何もみんな剥がされちゃうっていうじゃないの。元には戻らないわけでしょ。いくら金貰ったって・・・お金に変えられない物があるんだよ」
小さな工場を経営していた一家が言う。
「いくら金もらっても戻ってこないものがある。お客さんとの会話、笑顔、コミュニティー・・・」。金いらないから元に戻してくれよ」
賠償金や補償金を貰って、仮に工場が再建できたとしても、意味が無いのだと。
商売とは金が儲かればいいというのではない。
お客とのコミュニケーションがあって成り立つもんだよと。
日々、これらのことに悩み、眠れず、睡眠薬を常用している人もいる。酒に頼る人もいる。
それらが原発被災地の現実。
なにかと東電は、賠償金の支払いにさえ難色を示している向きもある。
浪江では町が代理人になって賠償請求。一人10万円だったのを35万にしろと。
現実、「金」でしか解決できないことはもう百も承知。だけどおさまらない胸の内・・・。
山に山菜を採りに行けなくなった。生き甲斐が無くなった。川で魚を捕れない。庭に草木を植えて、見る人達を楽しませたいと言う「優しさ」。
金には代えがたいものが山ほどある。
そんな“隔離”されたような東北の一部。
東京では金がすべてとばかりに、原発を売って歩いている人がいる。株価の上下に一喜一憂している人がいる。
円安・株高で儲けた自動車会社では役員報酬が2,2倍になったという。
テレビではこれを買え、あれを買えのCMが楽しそうに流されている。
電力会社は原発再稼働に大きく動いている。
北海道、関西、四国、九州の4つの電力会社は7月にも再稼働申請をするという。
政権は受け入れるはず。
再稼働反対のデモが官邸前では続いている。再稼働反対に異論は無い。しかし、彼らの言い分は再稼働反対。
福島は一つの「経験」。
福島県民という人が時々ハンドマイクを持って、自らの“体験”を話す。その人の言うことにいちいち目くじらを立てるつもりは無い。論理に飛躍があったり、どこかで刷り込まれた「話し」を、体験のように話していても。
でも、その人に最後に「再稼働反対」を言わせるところに、「ダシ」にされた福島県民を見る思いがする。
若い女の子が死んだでしょ。死体に若い人がマスクをかけていましたよ。福島の何処の話だ。福島では若い人も働き盛りの人も、高齢者も、心筋梗塞で死んでいますよね。
本当の福島の姿を報道機関は発表すべきです。
原発から1,2キロのところに住んでいて、着の身着のまま裸で逃げてきました。会場からは「おお」って声があがる。その中年の女性は福島の人であろう。避難して来た人であろう。
デモの中心に立って、それを言うこと。おそらく、言ってくれと言われたのだろう。
一昨年から時々書いている官邸前のデモのこと。福島を利用してくれるな。
再稼働反対を言う前に言うべきことがある。「苦しんでいるわが街、わが村の“仲間”達をどうにかしてくれ」。帰るところが無い人達の無念さを語ってくれ。
東北の人達は、福島の人達は、昔から、明治時代から、昭和になってから、そして今も。いつも、何かに、誰かに「利用」されているような気がして・・・。